「あの・・・お花は要りませんか?」
「あ、あのっ・・・これ、お花です・・・」
人通りもまばらな路地で、一人の少女が花を盛ったカゴを手に花売りをしている。
しかしその眼前を通り過ぎる人々は、まるでその少女が存在していないかのように一瞥もくれず、足を止めることはもちろん無い。
それでも懸命に、一輪でも売ろうと健気に声をかけ続ける少女。
まだまだ発展の途上にあるこの国キスビットにおいて、貧富の差は依然として大きかった。
政府も、各都市の自治体も、それぞれが貧困層の救済策を講じてはいるものの、国自体がそれほど強くないため、根本的な解決は難しいのだ。
アスラーンが大半を占める都市、ここラッシュ ア キキにおいてもそれは同様で、この少女のような人々はいくらでも居た。
徐々に日がかげり、往来も途切れた夕刻。
今日の夕食をどうしようかと、少女が顔を曇らせたそのとき。
「お嬢さん、花売りかね?」
少女に声をかける人物があった。
いかにも裕福そうな、恰幅の良い紳士だった。
「は、はいっ! 1輪5セオンです!」
少女が兄弟たちと分け合って食べるパンが1つ150セオン程度。
しかしこの花はその辺の野原で摘んできたもの。
この5セオンが高いのか安いのか妥当なのか、それは買う側の判断にゆだねられる。
「いや、私はそんなゴミなどに興味は無いんだがね」
「え・・・ゴ、ゴミ・・・?」
思わぬ返答に我が耳を疑った少女。
目の前の紳士は微笑を保ったまま、信じられないような言葉を吐き出した。
「私が買いたいのは、
「えっ? 私の・・・花・・・?」
「1万セオンでどうだろう」
「そ、そんなに!? あぁ・・・でも私、そんな大金を頂けるようなお花は持っていませんけど・・・」
少女は自分が何を求められているのか理解できない。
しかし蠱惑的とも言える大金にすぐ飛びつかないのは、根が正直者なのだろう。
「物分かりの悪い娘だな。良いからちょっとこっちへ来い」
男は少女の手を荒々しく引くと、すぐ横の路地裏へと連れ込んだ。
カゴから花が舞い散る。
「痛っ は、放してくださいっ」
「そんな薄布1枚でこんな路地につっ立ってるんだ、お前だってその気なんだろう!?」
「なんのことですか!? やめて! いや!」
「金は払うと言ってるんだ! おとなしくしろ!」
ここまで来てようやく自分が望まれているもの、相手が欲しているものを理解した少女。
自分と同じような境遇で、
彼女達のことを非難はしないし、生きていく手段の一つとして有効なのも理解できる。
むしろそれを決意することができたのはすごいとさえ思う。
自分には、どうしてもできないことだから。
「いやぁ! だっ、誰かぁぁ・・・」
「こんな時間にこんな場所で誰が助げぶおぐしゃッ!!」
何かが壊滅的に踏み潰されたような音と共に、男の荒々しい気配が消えた。
少女がきゅっと固く閉じていた目を恐る恐る開けると、そこには先程の男の代わりに別の男が立っていた。
恰幅の良い紳士を踏み台にして。
「やあお嬢さん。俺、これから素敵なレディに会いに行くんだ。手ぶらってわけにもいかないから、お花を売ってくれるかい?」
すらりとした細身で長身のその男は、尖った耳から察するに精霊だということが分かる。
にんまりと口元を歪めて笑う表情はどこか軽薄そうで、しかしなぜか安心感を覚えるものだった。
「えっと・・・お花は・・・」
少女は乱れた服を直しながら、地面に転がったカゴと散らばってしまった花に視線を落とした。
まさかこれを目の前で拾って、一度地面に落ちたものを売るなんてことはできない。
「ああ!ここに並べてあるの、選び放題ってことか!ありがとう!じゃあぜーんぶ貰うから、これで足りるかな~?」
男は目にも止まらない素早さで地面に落ちていた花を残らず
「あ、そこの
そう言い残すと、男は信じられない身軽さで跳躍し、花を両手に抱えで壁を蹴りつつ建物の屋根へと消えて行った。
何が起きたのか理解できないまま、ぽかんとしている少女。
その細い足首をガシッと掴む者があった。
「きゃあっ!!」
「ぐぅっ・・・くそっ!一体何がげぶおぐしゃッ!!」
「おいお嬢さん、この辺でキザで不真面目そうな精霊を見なかったか?」
悲鳴を上げて振り向いた少女が見たのは、サターニアの男性だった。
恰幅の良い紳士の上に立っている。
「え、えっと・・・あの・・・」
あまりの展開に困惑する少女。
しかしサターニアの男は少女が持つカゴに視線を送ると、すぐ何かを察したようだ。
「どうやらやっこさん、ここを通ったのは間違いないらしい。よし、行こう」
「うむ。博物館はあちらの方向だ」
いつの間にかサターニアの男の後ろには、アスラーンの男が居た。
二人は視線を交わし小さく頷くと、そのまま駆けていった。
「ぎゃんっ!!」
ご丁寧に地面の
その後、気を取り直して帰ろうとした少女が手にしたカゴの中に札束を見付けてものすごく驚いたのは、また別のお話。
「あぁ!ねぇイオン!これ!」
写真の部屋と、目の前にある部屋を見比べていたコマが声を上げた。
あまりに違いが大き過ぎて逆に気付きにくかったその点に、ようやく気が付いたのだ。
「これ、無くなってる!」
コマが指し示したのは、自分が今立っている床だった。
大きな絨毯が無くなっている。
「これは、私としたことが。まさか絨毯が消えていたとは」
「お金を細長く並べて絨毯で筒状にロールすれば、二人ぐらいで運べるんじゃない!?」
「なるほど。まぁ重量から考えると3人くらいが妥当でしょうか。前後だけで運ぶと中央部分が垂れ下がって運びにくいでしょうし。つまりチャイには協力者が2人ほど居る、と」
「その通りです!チャイには
大声を上げながらケサーナが部屋に入ってきた。
どうやら特に何の痕跡も認められず、この部屋に戻ってきたらしい。
「警部さん、まだ推測ですが恐らくチャイはこの絨毯で・・・」
イオンが写真を手に説明をする。
そのついでに、なんとも都合の良いことを言い出した。
「しかし、まさかここでアレが役に立つとは。たまたまあの絨毯に発信器を付けていたんですよ。この受信機で絨毯の現在地が分かります」
「は・・・発信器?」
「よくやったわイオン!」
いかに大富豪とは言え民間人が発信器、という状況を飲み込めないケサーナとは対照的に、コマは破顔してイオンを讃えた。
そしてその手から受信機をぶん取ると、嬉々として操作し始めた。