沿玉で開催されている鬼祭り、その会場のキスビットコーナーの裏手で一人の鬼が
名を、エビシと言う。
彼は特に器用な方では無く、このようなイベントにはあまり向いていない。
それなのにこの会場ではキスビットの広報活動をする任にあたっていた。
国内のどの都市でも、今まであまり積極的に海外へ出向くことが無かったキスビット。
現在では国内だけの経済活動に限界を感じ、ようやく海外へ目を向け始めたところだ。
折しもそこへ、ワコクから各国へ、沿玉鬼祭りへのブース出展依頼が舞い込んだ。
諸外国に対して少しでもキスビットのことを知ってもらう良い機会と言えたが、しかし未経験の海外赴任ともなるとその任に就く者の選抜は難しい。
そこで白羽の矢が立ったのがエビシである。
タミューサ村の使節として諸外国を巡る経験をしており、たまたまワコクに滞在していた。
現行で適任が居るのならそのまま活動して欲しいというのが国の意向だった。
タミューサ村のエウスオーファン村長としても、村の人間が国の代表として動くことは素晴らしく有益なことであるため、エビシにこの任を指示したのである。
だが、現実はそんなに甘くなかった。
会場には多くの人が詰めかけているものの、キスビットコーナーでは閑古鳥が鳴いているのだ。
「はぁ~・・・だいたい俺にこんなこと無理なんだ・・・」
人が集まらない理由にはおよその見当が付いている。
エビシには自覚があった。
自分には華が無いのだと。
「嗚呼・・・もうずっと村に帰ってないなぁ・・・一目お会いしたいなぁ・・・アウレイスさん・・・」
実は彼、タミューサ村のアイドル(他称)であるアウレイスの親衛隊(非公認)の隊長を務めている。
詳細な実体は把握されていないが、親衛隊の隊員は軽く100人を超えるとか。
彼らのモチベーションはアウレイスを遠くから眺めることであり、『決して触れるべからず』という鉄の掟が存在すると言う。
しかし村から離れて久しい今、エビシの心の活力は限界に達していた。
「あの・・・す、すみません・・・」
「ははは・・・アウレイスさんに会いた過ぎて幻聴まで聞こえるとは・・・」
「あ、あの、エビシさん?」
「おいおい俺、まさかの幻覚かよ・・・だが例え幻でもアウレイスさん、やはりお美しい・・・心無しかとても良い香りまでしてきたぜ」
「あっ、あのっ!わ、私ですっ、アウレイスですっ!」
「・・・ッッッ!!!!!!?」
エビシは椅子ごとうしろへ倒れ後頭部をしたたかに打ちつけながらゴロゴロと回りつつ会場の壁面まで転がっていった。
リアクションとしては完璧すぎる反応だ。
「だだだ大丈夫ですかっ!?」
その反応に驚いたアウレイスは倒れているエビシの側に急いで駆け寄った。
仰向けになった状態のエビシからは、有り得ない角度のあおり視点になる。
会場の照明を背負ったアウレイスが後光の差した天使にしか見えなかった。
アウレイスの来場は、村長の差し金だった。
手伝いという名目で会場にアウレイスを送りこめば、エビシに対する労いになると確信しての采配だ。
「それで・・・あの、エウス村長が『期待している』と、おっしゃってました」
「あ゛り゛か゛と゛う゛こ゛さ゛い゛ま゛す゛ぅ゛ぅ゛ぅぅぅ・・・」
エビシは恥も外聞もなく男泣きに泣き、故郷の村長に心から礼を述べた。
この姿を見たアウレイスは、キスビット紹介のブースを一人で運営するのがよほど辛かったのだと解釈した。
村長から直々の指示でここに来たからには、自分もエビシを手伝って活躍せねばと思った。
正直なところ、アウレイスの鬼に対する恐怖症はまだ残っている。
過去、鬼から受けた非道な行為の数々は決して簡単に拭い去れるものではない。
しかし、全ての鬼がそうでないということも、理性では理解できている。
恐らく村長が自分にこの任務を指示した意図として、鬼という存在そのものに改めて触れることで、少しでもトラウマの解消になればという気遣いがあるのだと、アウレイスは考えた。
「こ、これ・・・どう、ですか?」
アウレイスがもじもじしながら振り向いた。
その頭部にはこのイベントのルールである、付け角が装着されていた。
先端の丸い小さな円錐が頭の左右にちょこんと乗っている。
エビシはその光景を目の当たりにし、今にも召されそうだった。
「すっ、素敵ですアウレイスさんッ!!!!」
「・・・ありがとうございます・・・」
「生きてて良かった・・・ぐすんっ・・・」
「それで、あの、私は何をすれば?」
エビシから教わったことはたったの2つ。
目の前を歩く、鬼の格好をしたお客さんをブースに呼び込むこと。
そして『オウイェ体験』をオススメすること。
しかしアウレイス自身、どちらかと言えば内向的であり、明るく元気に人に声を掛けるなどというタイプではない。
どちらかと言えば親友のエスヒナが適任と言えるだろう。
更に気掛かりはオウイェ体験。
アウレイスは子供の頃の経験から水恐怖症であり、今でも入浴ですら恐る恐るなのだ。
そんな自分が人様に冷水を浴びせるなど、本当にできるのだろうか。
だがアレコレ思い悩んだところで結果が出るものでもない。
ここは覚悟を決めて行動あるのみだ。
「ご通行中のみなさまぁーッ!! キスビットのぉー!鬼にまつわる展示をぉー!しておりまぁーすっ!!」
精一杯に息を吸い込み思い切り大声で勧誘をしたアウレイス。
凛としたその声に、ブース近隣の客たちが反応した。
「おい、キスビットってどこの国だ?」
「名前だけ聞いたことあるなぁ」
「それよりお前、あの子・・・」
「ああ、可愛いな」
「ちょっと行ってみるか」
一瞬の静寂があり、そしてザワザワと騒ぎ始める客たち。
「おねぇさんすっごい色白だね! そのツノ、似合ってるよ」
「キスビットってすごい田舎なイメージだったけど、可愛い子いるじゃん」
「なにこれオウイェ? ちょっと俺にもやらせてよ」
「お酒くれるの? 君も一緒に飲んでくれるならやろうかな」
「ねぇねぇそのオウイェってやつ、一緒にやろうよ」
一気に人だかりができ、キスビットにではなくアウレイスに興味津津の男たちが集まった。
「あ、あの・・・ちょ・・・こ、困りますっ・・・ひゃあ!」
誰かがアウレイスの肩に手を掛けた。
不測の事態におどおどすることしかできないアウレイス。
今にも泣き出しそうなところに、威勢の良い声が掛かった。
「おや、タダ酒が飲めるたぁ良い趣向じゃないか」
そう言いながら、引き締まった体から放つ気配だけで周囲を威圧し、無人の野を往くがごとく近付いてきたのは鬼の女性だった。
自然と人だかりが割れ、女性はアウレイスの前に立った。
「その水を浴びりゃ酒が貰えるんだろ? ちょいと貸しとくれ」
鬼の女性はひょいと桶を持ち上げ、そしてワザと派手に頭から冷水を被った。
周囲の男共にも水が飛び散る。
「こりゃ良いや。会場の熱気で暑くてかなわなかったんだ。さあ、酒を貰おうか?」
鬼の女性はにっこりと笑ってアウレイスに手を差し出した。
「本場の祭りじゃ1年飲み放題になるんだろ? いつか行ってみたいね、キスビット」
「あ、ありがとうございます! 是非いらしてくださいッ! 歓迎します!」
酒瓶を持った手を軽く上げ、背中越しに手を振りながら立ち去る女性を見ながら、アウレイスは懐かしさを感じていた。
「誰かに似てる・・・あ、そうだ。紫電さん・・・」
かつて共に戦った、鬼の海賊団を率いる女頭領、紫電。
邪神によって歪められた世界となっていたキスビットを正しい姿に戻す為の戦い。
その中で彼女は命を掛けて戦ってくれた。
間違いなく、アウレイスの鬼恐怖症を和らげる要因となってくれている。
そしてさっきの女性も、同様だ。
「絶対、来てくださいね」
アウレイスは心に温かいものを感じながら、無意識に呟いていた。