「ウチが二人・・・それってウチのやってることが、理想からかけ離れてるってことやないですか!」
初華は思わず大声を上げてしまった。
美香の視界に現れる、色の薄い影のような自分。
その影と自分自身の距離が離れているほど、今の自分が理想から遠いということだ。
確かに初華自身、今の自分が理想像に遠く及ばないのは理解している。
しかし美香の説明では『理想に近付く為の道を進んでいる』状態ならば、理想の自分と本体がそこまでズレたりはしないはずである。
「ん~・・・そうね。もしかしたら、そうかも知れない。でも・・・」
美香は少しだけ間を置いた。
先程までのあっけらかんとした雰囲気はもう無い。
キリッとした年長者の表情になり、そして思いがけない言葉を初華に伝えた。
「あまりにも本体と理想の姿が離れてる場合はね、『自分でも理想像が分かっていない』っていう可能性もあるのよ。もっと平たく言えば、目標と言うか、目指すべきビジョンが曖昧ってことね」
美香自身、どちらかと言うと世の中にはこのパターンの人の方が多いと感じている。
将来どうなりたいとか、何か成し遂げたいことがあるとか、そういう明確な目標がそもそも無い人は、本体と影との距離が遠い傾向にある。
しかも単純に「お金持ちになりたい」とか「キレイになりたい」などという欲求は、目標とは区別されるようだ。
どこか使命感めいた、心の底から達成したいと思えるようなビジョンこそが、本体と影との距離を縮めるのに必要な要素なのだと、経験から感じている。
だからこそ今まで出逢ってきたほとんどの人は美香の視界では二重に見えたし、そんな中で本体と影がぴったりと一致している赤羽に惹かれもしたのだ。
「ウチの・・・使命・・・」
初華は目の前が真っ暗になるのを感じながら、すぐ側のソファに身を沈めた。
言い知れぬ不安から、思わず膝を抱えてしまう。
今の自分を突き動かす原動力、モチベーション、それはアイドルになってタオナンを見返すことだったはずだ。
「あのね、もしあなたが本当に成し得たい目標に向かって進んでいるのなら、現状がどれだけ意に反していたって、本体と影はこんなにズレないの。あなたは心のどこかで、いま目標にしていることが本心じゃないって思っているのかも。それに・・・」
途中まで言いかけて、美香は次の言葉を
これを伝えることが、初華にとってプラスになるのかマイナスになるのか、判断が難しいのだ。
しかし。
「副社長さん、ウチに対して何か思てはることがあるんやったら、全部言うてください。何も気ぃ遣わんと全部。ウチ、アホやから自分で自分のコトよぉ分からんのです。だから、お願いします!大丈夫、こう見えて心臓に毛ぇ生えてますから!」
初華の決意表明は、美香の戸惑いを払拭して余りある言葉だった。
「分かったわ、初華。私が言いたかったのは『以前のあなたは、そんなにブレていなかった』ということなの」
美香の言葉にキョトンとする初華。
だがその反応も織り込み済みである美香は説明を続ける。
「ちょっと前なんだけど、あなた、街であやしい占い師に運勢を視てもらわなかった?」
確かにそんな記憶がある。
と言うか、ウィーカの名を捨て、本名である美作初華でアイドルを目指すきっかけになった出会いだ。
忘れるわけがない。
「あの占い師ね、実は私の祖母なの。あの日は帰ってくるなり『すごい運勢の娘と出逢った』って興奮してね。もうすごかったんだから」
その時の情景を思い出しているのだろうか、美香は苦笑混じりで続ける。
「そのとき、あなたの名前を祖母から聞いていたのよ。もちろん、どこの誰だか分からないお客さんのひとりとして、ね。だから御徒町さんからあなたの名前を聞いた時はびっくりしたわ。なんて運命なのかしらって」
そして、微笑んだ表情を真顔に戻しながら、美香は初華を真っ直ぐに見詰めた。
「でね、そのとき祖母はこう言ったのよ。『しかもその娘の面白いところはな、運命だけではない。この眼で視て、完全に一人だったんじゃ』って。つまり、本体と影がブレてないってことね。・・・祖母も、私と同じ眼を持っているから」
夕方、生活に必要な最低限の道具をアパートの部屋に運び入れた初華と御徒町。
レッドウィング芸能プロダクション、通称レップロの事務所が入ったアパートに住むことになった初華は、自分の引っ越しであるにも関わらず、心ここにあらずな状態だった。
「ほら初華、これはどこに置けばいい?」
御徒町は段ボールを抱えて初華に指示を仰ぐが、しかし返事は無い。
中身を確認して何が入っているのか判れば、どこに置くのか見当も付けられそうなものだが、年頃の女の子の荷物を開けるような真似はできなかった。
「初華?・・・うーいーかっ!」
「えっ? あ、あぁ! ごめんおかちさん、ウチ・・・」
「別に構わないけど、どうした? 美香さんと話した後からずっとそんな感じじゃないか」
「うん・・・」
「悩みがあるなら何でも俺に話してくれよ? 力になれるかどうかは分からないけど、初華が抱えているものは、俺にも共有させて欲しいんだ」
「ありがと。んじゃちょっとだけ聞いてな。ウチがウィーカだった頃と、初華になってからと、何が変わったんやろか?」
この問い掛けが何を意味するのか、初華が何に悩んでいるのか、御徒町にはさっぱり分からなかった。
初華自身の中で何かの変化があり、それに対して悩んでいるということだろうか。
で、あるならば、御徒町には思い当たることがひとつだけ、あった。
「初華の中でどんな変化があったのかは、俺には分からない。でも、名前を変えた前後で何かが変わったのだとしたら、その原因はきっと、あのライヴじゃないかな」
レンvsひじきの対バンを、生の会場で味わった経験。
それが、自分の中で何かを変えてしまった。
初華自身も、実はそれを強く感じていた。
しかしそれを認めてしまうことは、今までの自分を否定することのように思われた。
「おかちさんも、やっぱりそう思うんやね」
だが第三者から言われてしまうとさすがに受け入れざるを得ない。
確かに自分の中で、あのライヴを体験してから何かが変わったように思えてならない。
しかし具体的に何がどう、とは言えない。
自分でもよく分からないのだ。
「よっし。分かった。変わってもーたもんはしゃーない!」
と、急に初華は自分の頬を両手でぴしゃりと打った。
「何がどー変わったか考えるんは、まぁ追々でええやろ!」
人は誰しもが変わりたいと願い、変われずにいる。
そして変わりたくないと願い、変わってしまう。
変われない部分を突かれれば『いいや、俺は変わった』と反骨し、変わった部分を指摘されれば『いいえ、私は変わってない』と否定する。
それが人の性である。
しかし、初華はまず『自分の変化』を受け入れた。
その内容までは分からずとも、変わったという事実はきちんと受け入れた。
悩み事を長期化させず『そういうもの』として丸呑みする性格が、そうさせるのか。
「なんだか良く分からないけど、吹っ切れたみたいだな。元気があるのは良いことだ。よし、早く片付けて赤羽さんたちと合流しよう。今夜は会食だ」
「やったー!ウチお肉が食べたい!おっにっくっ!おっにっくっ!」
そう言えばスカートだった。