エスヒナについて

エスヒナ=アミィアリオン

 

彼女のことを知ってもらうためには、まず『サムサール』という種族について理解してもらわねばならない。

人間とは異なる、妖怪と呼ばれる存在の一種だ。

 

サムサールの特徴としてまず挙げられるのは、その外見である。

彼らは褐色の肌と、そして額に『第三の瞳』を持っている。

形状や位置には個人差があるが、全てのサムサールは額に瞳を持つ三つ目の種族なのだ。

 

さて、この第三の瞳は単なる視界確保のための器官では無い。

実はサムサールは、生まれつき『とある感情がひとつだけ欠落した状態』なのだ。

それは『喜びの感情』かも知れないし、『悲しみの感情』かも知れない。

ともかく、何か一つの感情を持たず、それを全く理解できないのがサムサールである。

 

仮に『怒り』の感情が欠落したサムサールの場合、何に対しても怒るということが無い。

だから自分が他人から怒られても、相手がどんな心の状態なのか分からないのだ。

 

そして、サムサールの特徴として最も重要なこと、それは『欠落した感情は第三の瞳に宿っている』ということであり、また『第三の瞳と視線を合わせた者に、その感情が流れ込む』ことである。

先程の例で言えば、怒りの感情が欠落したサムサールの第三の瞳と視線を交わしてしまった者は、自分の意思とは関係なく謎の怒りに支配される。

しかし当のサムサールは相手が怒り狂っているのを見ても意味が分からない。

なぜ相手はこんなに大声を上げるのだろうか?

なぜ攻撃的になるのだろうか?

怒りという感情が理解できないサムサールは困惑することしかできないのだ。

また相手に流れ込んだ感情はサムサール本人の支配下には無く、どうすることもできない。

相手の中でその感情が消化されるのを待つという、時間任せの解決策しか無いのだ。

視線を合わせた時間の長さによって流れ込む感情の強さが変わるという報告もある。

運良く目が合ったのが一瞬であれば、数日怒り続けるだけで済むかもしれないし、運悪くじっと見つめ合ってしまったのなら、血管が切れて絶命するまで怒り続けるしかない場合もある。

 

サムサール自身、感情そのものは理解できなくとも『自分の額の瞳と視線を交わした相手が豹変する』という事実は理解できるので、大抵の場合は額の目を隠すように生きる道を選ぶ。

最も、どの世界にも例外は居るのだが、それはまた別のお話。

 

さて、サムサールという種族について多少は造詣が深まっただろうか。

 

それでは本題、エスヒナについての講釈に移ろう。

 

彼女は現在、キスビットという国のタミューサという村に住んでいる。

一人暮らし。

家族は居ない、と本人は思っている。

自分がアミィアリオンというファミリーネームを持っていることも、エスヒナは知らない。

※キスビットには『苗字』という概念が無く、それぞれがファーストネームだけで生活しており、エスヒナも自分の名前をエスヒナだけだと思っている。

 

海を隔てた外国、ドレスタニアという国に生まれたエスヒナは、幼少期に誘拐された。

そして人買いによる売買で各地を転々としながら、流れ流れてキスビットに連れて来られた。

当時のキスビットではサムサールが珍しく、高値で取引されたらしい。

また現在は改善されているが、その頃のキスビットには著しい種族差別が蔓延しており、異種族に対する扱いは奴隷や家畜のそれであった。

そんな状況下に珍獣扱いで放り込まれたエスヒナが第三の瞳に宿している感情は、『劣情』であった。

 

例え後進国のキスビットとは言え、現在の情報レベルであれば、サムサールの瞳を覗き込もうとするような愚か者は皆無だろう。

しかしあの当時では知識不足もやむなしと言ったところか。

エスヒナを手に入れた奴隷商人は、商品の下見も兼ね面白半分に額の瞳を無理に開かせ覗き込んだ。

突如として襲い来る劣情。

当然、その魔手は目の前にあるエスヒナに向けられた。

特殊な趣味でも無い限り、性的な魅力は皆無と言える貧相な肢体に、奴隷商人はむしゃぶりついた。

どれだけ時間が経ったか分からないが、エスヒナが解放されたのは奴隷商人が動かなくなったからだった。

激しく痛む身体、消耗しきった体力、枯れた涙と声。

 

このまま放置されれば、間違いなく生きてはいなかった。

だがエスヒナはここから運び出され、次の商人の手に渡ることとなった。

数日間、取引に現れなかった商人を不審に思った仲間が部屋を確認しに来たのだ。

そこで倒れ伏し絶命している商人と、憔悴し今にも命の灯が消えそうな『高値の商品』を発見し、喜んで持ち帰ったということだ。

 

長くなるので割愛するが、同じようなことが何度も起きた。

そのたびにエスヒナは『劣情のはけ口』として使われ、そしてそれを『仕方ない』と受け入れた。

自分が額の瞳を開かないように気を付けてさえいれば良い。

無理に開かされるのであれば、それが主の希望なのだから仕方ない。

そうやって生きていたある日。

 

彼女と他数名の奴隷を乗せた馬車が、猛獣に襲われた。

御者も馬も食いちぎられ、主は這う這うの体ほうほうのていで逃げ出した。

猛獣はエスヒナを食う前に満足し、喉をゴロゴロ鳴らしながら去っていった。

 

タミューサ村の域外調査隊が荒野の草むらに倒れているエスヒナを発見したのはそれから数日後だった。

ひどく衰弱してはいるが、生きてはいるようだ。

隊員にとっても、そしてエスヒナにとっても僥倖だったのは『第三の瞳が閉じたままだった』ことだろう。

こうしてエスヒナは保護され、そしてタミューサ村の村長である、エウスオーファンとの邂逅を果たす。

 

以下は、エウスオーファン氏の回顧録である。

 

サムサールは、当時のタミューサ村には存在しない種族だった。

私にとっても初めての遭遇だった。

サムサールについて、噂程度の予備知識を有していた私は、この少女の第三の瞳に危険を感じ、人払いを言い付けた。

どんなものなのか正体は分からないが、サムサールの第三の瞳と目を合わせると、ある種の感情が流れ込んできて自分では制御できなくなるらしい。

確かサムサールはドレスタニアが派生元だと聞いたことがある。

今後もこの村を訪れるサムサールがあるかも知れないと思い、私はドレスタニアの知り合いに手紙を書いた。

なるべく多く詳細な、サムサールについての情報をくれ、と。

しかしいくら能力が未知数だとは言え、こんな小娘に対して少々警戒し過ぎかとも思った。

そろそろ額の冷布を替えてやろうと立ち上がり、水桶に浸けた布を固く絞って少女に目をやったその瞬間、それは起こった。

額の瞳が、開いたのだ。

両の目は閉じている。

恐らく本人はまだ目覚めていない。

第三の瞳だけが、開いたのだ。

それはほんの刹那。

時間にして10分の1秒も無いほどの。

それでも確かに『目が合った』のだ。

途端に湧き起こる、いや、流れ込む感情の正体が、私にはすぐに分からなかった。

強い衝動だけがある。

そして気付いた。

これはマズイ。

私は腰に下げていたダガーを素早く振りかざし、全力で振り下ろした。

刃は肉を貫きその下の机に深々と刺さった。

私が刺したのは、自らの左手だった。

 

「保ってくれよ、左手と、精神・・・」

 

私は自分自身に言い聞かせるように呟いた。

自分の意志とは裏腹に、少女に近付こうとする自分の身体。

そのたびに左手が血を吹き、痛みによって若干の覚醒をする。

自分を内側から襲っているのは、激しい劣情だった。

私の中で、自分の子供と言っても差し支えないような少女に対し、未だかつて感じたことの無いような強く激しい性の衝動が暴れ回っている。

どちらかと言えば理性は強い方だと自負していたが、その衝動を抑え込むことはできなかった。

それを一瞬早く予感したからこそのダガーだったが、左手が裂ければ終わりである。

恐らくその手の痛みよりも衝動が遥かに勝り、例え血濡れのままでも自分は少女を「使う」だろう。

その確信があった。

それほどまでに強い劣情。

均衡とは言い難いほどの差で劣情の衝動が勝る中、私は衝動の波を測っていた。

僅かではあるが、強弱の波を以って私を襲っていた劣情の、弱まる一瞬を突いた。

理性の全力を込めた一撃で、私は自分の右足を床板に縫い付けたのだ。

左手と同様に、ダガーを突き立てて。

 

以下は、エスヒナ自身の回顧録である。

 

翌朝、あたしは目を覚ました。

額の瞳は閉じていたと思う。

代わりに開いた左右の目で、周りを見る。

見知らぬ男の人が居た。

彼はその左の手の甲を机に、右足の甲を床に、それぞれ刃物で突き刺されていた。

辺りにはすごい量の血だまりができている。

あたしが起きたことに気付いたのか、彼はあたしに向かって言った。

 

「やあ、目が覚めたかい?すまないね、情けない姿を見せてしまった」

 

そして、彼は短く呻きながら刃物を抜いた。

更に鮮血が溢れ出た。

よく見ると彼は目を閉じている。

そして、あたしは理解した。

自分でもびっくりするくらい、涙が溢れた。

額の瞳は、開かないようにいつも気を付けている。

気を付けているつもりでも、意思とは無関係に額の瞳だけが開くことも、過去にはあった。

その度に、我慢の時間が始まった。

 

「今まで辛かったろうな。私はこの村の村長、エウスオーファンだ」

 

彼は優しい声で名乗ってくれた。

あたしも自然と返事ができた。

 

「・・・あたし、エスヒナです」

 

エスヒナ、良い名だ。ようこそタミューサ村へ。君を歓迎する」

 

あたしはそれまで、ずっと我慢をしてきた。

額の第三の瞳が開かないように、隠すようにしきてきた。

それでも運悪く目が合ってしまうこともあった。

そんなときはただ、時間が過ぎるのを待った。

三っつの瞳を全てギュッと閉じて、ただ我慢した。

だいたい1日、長くても2日程度、耐えれば良かった。

相手が動かなくなるのが終わりの合図だった。

理由も理屈も分からなかったけど、ただ額の瞳で相手を見てしまうと、あの我慢の時間が訪れる。

今までどんなに優しくしてくれた人も、笑い合っていた相手も、男も女も子供も老人も、皆が豹変した。

それなのに、この人は、恐らく自分の代わりに我慢をした。

エウスオーファンと名乗ったこの人は、自分の身を傷つけてまで、あたしに触れなかった。

医務担当の村人は村長のヒドイ有り様にとても驚いていたけど「手が滑った」という彼の言葉に頷いた。

村長はきっと、あたしせいじゃないって言いたかったんだと思う。

お医者様も、それを理解して、納得してくれた。

それからあたしは額の瞳を自分の意志で閉じ続けられるように訓練し、また専用の眼帯を設えてもらった。

額当てと言った方が合っているかもしれない。

今はあたしのトレードマークでもある。

 

 

これで、少しは彼女のことが理解できたかな。

 

さて、壮絶な過去を持つ彼女だが、現在の性格としては実に軽妙である。

タミューサ村での人情味ある触れあいと温かな交流、そして親友と呼べる存在も、彼女の心の傷を癒すのに有効だったのだろう。

彼女の痛々しい記憶の数々は村での生活によって良い方向へ転換されたのだ。

苦痛の経験は、人の痛みを理解するのに役立った。

村長との出会いで、受け入れてもらえることの喜びを知った。

親友という存在が、協力し合うことの大切さを教えてくれた。

こうして培われたエスヒナの人格が、世界の危機を救う一助となったこともある。

密かに進行していた絶望的な世界の終焉、それを阻止する戦いの現場でも、彼女の中にある素直さや正義感、単純とも言える明るさ、そして心の痛みを知る優しさが、役に立ったのだ。

この件に関しては別途、膨大な資料があるので参照してもらいたい。

幻煙のひな祭り当日 まとめ

 

ただし、珠に傷な部分がある。

劣情という感情を理解できないため、性的な知識があまりにも乏しいのだ。

加えて過去に自分の身に降りかかった忌まわしい出来事は、全て第三の瞳のせいであるという認識から、自分が肌を晒すことにも同様の効果があるという認識が無い。

つまり、簡単に言えば『人前で裸になっても平気』なのだ。

第三の瞳さえ開かなければ、あんなことにはならないと思っている。

いや、恥ずかしいという感情が欠落している訳ではないのでちょっとは恥ずかしいのだが、その恥ずかしさの正体は『親友と違う肌の色』であったり『肉付きやプロポーションなど』であったり、一般的なものとは若干ズレている。

通常、裸を見せることと羞恥の心が連動するのは、そこに劣情の感情が介在するからに他ならないのだから。

彼女のこの困った特徴は、以下のエピソードからも明らかである。

タミューサ村のハロウィン

エスヒナさん猫になる

 

これでエスヒナについての情報はあらかた語れたと思う。

ああ、そうだ。

ごく一般的なプロフィールを失念していたので記述しよう。

ただタミューサ村には戸籍登録の仕組みはもちろん、身体測定などの制度もまだ無いため、数値的なものが曖昧なのは許して欲しい。

 

名 前:エスヒナ(エスヒナ=アミィアリオン eshina=amiyariom)

種 族:サムサール

性 別:女性

一人称:あたし

身 長:食器棚の一番上の段に手が届かないくらい

体 重:けっこう細い枝に乗っても折れないくらい

髪 色:黒

肌 色:浅黒い褐色