白色の似合う女性は誰でしょう?

白色の似合う女性って、最高の褒め言葉だわ。

だってアタシにとって白は、厨房に入る許可証の色だもの。

コックコートという名の白衣に身を包めば、自然と気合が入る。

今日も頑張ろうって思えるし、美味しいものを作ろうって気にもなる。

それから、テーブルクロスも真っ白が良いわね。

飲食店にとって清潔感はとっても重要だもの。

お皿もカップも、曇りひとつない白が良いわ。

そんな白が似合うってことは、アタシ、ちゃんとプロの料理人ってことでしょ?

さぁ、あとはアタシの腕がその評価に見合うかどうか、その舌で確かめてみてよ!

 

白色の似合う女性だなんて、言わないでください。

だって、せっかく大人っぽい黒色を選んでいたのに。

白が似合うってなんだか、子供っぽいと言われているようで・・・。

それがそのまま、君は恋愛対象じゃないよって言われている気がします・・・。

私、見た目ほど子供じゃありません。

だからちゃんと私を見てください。

どうですか?

白じゃありませんけど、この黒いのも、似合っているでしょう?

 

白色の似合う女性

それはあたしの肌と比べて映えるからってこと?

あひゃひゃひゃ。

冗談よ冗談、あたし別に気にしてないもの。

この肌だって、コレの裏の瞳だって、持って生まれたあたし自身だからね。

人は色々好き放題に言うモンだしさ、だったら自分くらいは自分の味方で居なきゃ!

え? キミも味方で居てくれるって?

あっひゃっひゃ。

ううん、違う違う、馬鹿にしてなんかないよ。

ありがとう! すごく嬉しい!

 

白色の似合う女性・・・とおっしゃいましたか?

それは、その・・・はい。

私は確かに白いのですが、それは似合うとかそういう・・・。

ですから、私はあなたが思うほど純真でも無垢でもありません。

真っ白なのは色素が無いだけのことです。

本当はこの肌のように白く在りたい、そう思っています。

けれど過去は変えられません。

私が汚れてしまった事実も、消し去ることはできないのです。

でも・・・それでも、未来は変えられる!

あなたの言う白が似合う女性になれるよう、私、一生懸命自分を磨きますね!

 

白色の似合う女性とか言われてもねぇ。

ご覧の通り私は、愛想も無いし気も利かないただの剣士。

対峙した瞬間に、惚れた腫れたより先に斬れるか斬れないか、勝てるか勝てないかで判断するような女だもの。

だから、白刃はくじんが似合うってんなら喜んで受け取っておくわ。

・・・ちょっと、聞いてるのっ!?

だから、私は白色の似合・・・え・・・?

・・・あ、そう。

ふ~ん・・・そう、なんだ。

いいわよ、付き合っても。

なんでそんなに驚いてるのよ、あんたが言い出したことでしょ?

 

白色の似合う女性とお会いしていたらしいですね。

ええ、村中の噂です。

別にあなたがどこで誰と会っていようと構いませんけど。

・・・怒ってなんかいません。

・・・怒ってませんって。

怒ってないってば!

あ、すみません・・・つい・・・。

はぁ・・・。

正直に白状します。

あなたには隠し事なんて意味の無いことですし。

・・・怒ってますし、不安ですし、嫉妬もしてます。

え? えぇ!?

・・・ごめんなさい、私ったらくだらない噂を本気にして・・・。

でも、良かったぁ・・・ぐすっ。

 

 

 

全部ウチの子がしゃべっています。

さて、どれが誰だかお分かりになったでしょうか?

↓この下を選択(範囲指定)したら答えが見えます。

A.タオナン

B.カミューネ

C.エスヒナ

D.アウレイス

E.エコニィ

F.マーウィン

↑この上を選択(範囲指定)したら答えが見えます。

父の日の前だけど

「やあ、ずいぶんお困りのようだね?」

 

軽くて薄いと書いて軽薄けいはく

こんなにこの言葉が似合う存在も珍しい。

それほどに軽く、そして薄い声を掛けてきたのは、2年生のフェンネルだった。

 

「ん? キミ、フェンネル君?」

 

困まり顔の褐色美人が視界に入ったので反射的に声を掛けてみたところ、なぜか相手から名前を呼ばれて少々驚いた。

が、そこで硬直するようなタマでは無い。

全ての状況、要因、事象が『女の子を口説くための所作』に自動変換され、それをまるで息をするように自然にこなすのがフェンネル・カルピオーネ・サーディンなのだ。

素早く相手を観察し、リボンの色から3年生であることを察知。

 

先輩あなたを救うため神が遣わした天使ぼくなのに、嗚呼、地上に舞い降りたショックで女神あなたの名前を忘れてしまったらしい。どこかでお会いしましたか? どうか哀れなこの堕天使ぼくに、再会の機会を与えてください。美しい人せんぱい

 

大袈裟で芝居掛かった口上は、言葉としては発せられていない別の意味まで相手に伝えてしまう特殊なものだった。

しかし面と向かって『女神』や『美しい』などと言われて悪い気はしない。

いや、正確には言われていないのだが、なぜかそんな気分になる。

 

「あたしはエスヒナ。直接話したことはないけどさ、キミ、2年生のフェンネル君でしょ? ちょっと有名人だよね。友達が話してるの聞いたことあるよ」

 

元来エスヒナは、男子相手にキャーキャーと黄色い声を上げるような性格では無い。

美的感覚による外見の良し悪しの判断や、人間性に対する憧れや尊敬などの感情については人並みに持っている。

しかしそれが恋愛感情となると別の話になってくる。

クラスメイトたちが繰り広げるガールズトークで同意できるのは『あの人格好良いよね』までで、その先の『彼女いるのかな』とか『私、狙っちゃおうかな』には全く共感できずにいた。

そんな女子同士の他愛無い会話に、このフェンネルが登場することが何度かあった。

 

「ふっ、参ったなぁ。まさか、『美しすぎる』なんて神話うわさじゃないでしょうね? ああ、いや、仮にそうだとしても彼女たちを責めないでください。悪いのは圧倒的に魅力的な僕なのですから」

 

フッとキザな微笑をこぼしながら前髪を掻き上げつつ、ヴェネツィアンマスク越しの流し眼でエスヒナを捉えるフェンネル

そのマスクが最大の特徴であることを、彼は理解しているのだろうか?

『あのマスクの2年生』と言えば学園の生徒ほとんどが「ああ、あいつね」と理解するはずだ。

さて、それでも確かにフェンネルは、エスヒナの友人たちの会話で『顔は美形』『隣に置いとくには良い』『写真だけ欲しい』というような評価を受けていた。

そんなフェンネルを見て、確かに整った綺麗な顔立ちだなと、エスヒナは思った。

たった今目の前で自分に向かってウィンクをした理由は分からないが。

 

「いやぁ、実はね・・・」

 

自分には恋人が居ないのに、養父には彼氏が居ると嘘をついてしまったため、一時的に彼氏役になってくれる男子を探していると説明した。

それを「なるほど」「ワァーオ」などと大袈裟なリアクションを交えつつ最後まで聞いてくれたフェンネル

 

(ん? なんか噂ほど残念な子には思えないけどな?)

 

実はエスヒナの友人たちが下したフェンネルに関する評価には、続きがあった。

『美形』のうしろに『のに』『だけど』が必ず付いた。

『顔は良い、浮気性』『美形、ナルシスト』こんな具合だ。

高い評価と低い評価、その相反する表現を同時に行う場合、後者が優先されることは自明の理である。

『浮気性だけど顔は良い』と言われれば『欠点はあるものの総合的には及第点』になるが、その逆の場合は不合格ということになる。

 

「それではお姫様せんぱい、不肖このフェンネルめが、貴女のナイトカレシを務めさせていただきましょう」

 

「えっっっ!? ほ、本当!? うわぁああ助かるよぉ!!! ・・・っ?」

 

自分が非常識な依頼をしている自覚があるだけに、まさか承諾してくれるとは思っていなかったエスヒナは大歓喜した。

これで義父さんを安心させられる。

そして、喜びの握手をしようとエスヒナが差し出した手を、フェンネルはその場に膝をついて受け取った。

さらにそのまま手の甲に口付けをし、予想外の言葉を続けた。

 

「ですが愛する人マイスウィートエスヒナ先輩、これだけはお伝えしておかねば。純粋無垢ピュアな僕は嘘をつくことができないのです。つまり、を演じることはできません・・・」

 

「へ? ・・・じゃあ、どうするの・・・」

 

「こう、するんですよ?」

 

手へのキスにも少し驚いたエスヒナだが、彼氏役ができないという言葉にはもっと驚いた。

そして、この次のフェンネルの行動にはもっともっと驚かされるのだった。

地面に片膝をついた状態でエスヒナの手を取っていたフェンネルは、言葉と同時にすっくと立ち上がり、その手を引いた。

不意を突かれたエスヒナはよろけるようにフェンネルに倒れかかるも、しかし片手を支えられているので体がくるりと反転する。

その上体を支えるよう、背中から腰にかけて腕を回したフェンネル

気付けばエスヒナは、フェンネルの腕の中にすっぽりと収まっていた。

さらに空いている手でエスヒナの顎をクイッと上げると、顔を近づける。

 

「こうしてしまえば、嘘じゃなくなります、ね?」

 

唇が触れる寸前で接近を止め、にっこりと微笑んだフェンネル

しかしその真意はエスヒナに伝わらない。

されるがままの状態で目をパチクリさせつつ問い返す。

 

「ん? どゆこと?」

 

「あっははは! なんて奥ゆかしいんだ可愛い人マイラバエスヒナ! 恥ずかしがり屋の君にはストレートに伝えた方が良かったかな? つまり彼氏役じゃなく、本物の彼氏になれば良いってことさ」

 

当然と言えば当然のことなのだが、フェンネルの大袈裟な動作とやたら通る声のせいで、二人は異常に目立っていた。

人垣とまではいかないが、周囲には遠巻きに二人を眺める生徒が徐々に増えている。

しかし、そんなことが気にならないほど、エスヒナはただただ感心した。

 

「ほ、本当だね! そっか、そうすれば義父さんに嘘つかなくても良いんだ!」

 

自分が本当の彼氏を作る、つまり、誰かと交際するという手段を、ハナから考えていなかったエスヒナ。

これは正に目からウロコの発想だと思った。

 

「OK。じゃあ今から正式に、彼氏と、彼女だねッ☆」

 

微笑みとともに、語尾から星が飛び出てキラリと輝いた。

ように見えた。

そして気付けばごく自然に敬語を使わなくなっていたフェンネル

衆人環視のもと、一瞬にして成立した男女交際。

朝っぱらからゲリラコントを見せられたような状態の生徒たちは、やがて始業が近いことを思い出し、それぞれの教室へと移動しはじめる。

そう、時は朝の始業直前。

場所は学園の正門。

そんな悪目立ちの極致で行われたセンセーション。

そこに登場したのは生活指導のエルギス先生ション。

 

「おいおいお前たち! 青春するのは構わないが、そろそろ始業のチャイムが鳴るぞ? ほら、教室までダッシュ・・・と言いたいト、コ、ロ、だ、がっ、廊下は走っちゃあいけないなッ! よぅし! 先生と一緒に競歩だ! そぉれっ!!」

 

こうしてエスヒナは、人生初の彼氏をゲットすることになった。

 

 

「聞いたよエスヒナ・・・そんなに切羽詰まってたの・・・?」

 

休み時間。

声をワナワナと震わせながら、涙目のキリコがやってきた。

しかしそんな言葉を掛けられたエスヒナは、何の事だか分かっていない様子。

 

「そりゃあさ、あたしたちは花の女子高生だよ? 青春ド真ん中だよ? あたしだって彼氏の1人や2人は欲しいんだぜ? それにしたってよ、フェンネルに手ぇ出すか!?」

 

「リコちゃん、さすがに彼氏2人はマズいよ~」

 

「そこは流せよっ!」

 

「分かった」

 

「素直かっ!」

 

「あのね、あたし義父さんに『彼氏ぐらい居る』ってタンカ切っちゃってさ、そしたら義父さんが『じゃあ連れてこい』なんて言うから、ホント困ってたんだよ~」

 

「えっ? じゃあ、その・・・当面の代役みたいなものってこと? なんだそれならそうと早く言えよ~もぉ~」

 

あのキリコがツッコミ役に回ってしまうほど、エスヒナに彼氏ができたという状況は彼女にとってショッキングなものだったらしい。

しかし詳しい事情を聞いて、少し安堵した。

 

「うん。でもフェンネル君、役を演じるのは無理だから、本当の彼氏になってくれるんだって。だから、あたし義父さんに嘘つかなくて済んだんだよね。よかった~!ホント大助かりだよ~」

 

「待て待て待てぃ!! それって、やっぱ普通に付き合うってコトじゃないのか!?」

 

安堵は束の間に終わり、またもや慌てるキリコ。

机越しにがっぷり四つ、エスヒナに額を突き合わせ真剣な表情で迫る。

 

「あんたもう結構ウワサになってんだぞ!? 校門でフェンネルと三年女子がッ・・・キ・・・キ・・・キス・・・してたって!」

 

「え? ああ、あれ? やだな~、まだしてないよ? エルギス先生に止められてさぁ」

 

「『マダ』ッ!!!? 何言ってんだエスヒナ! 正気!? まだってことはつまり、い、い、いずれは・・・す、する・・・つもり・・・?」

 

エスヒナを心配しているのか、二人の関係が気になるだけなのか、自分自身でもよく分からなくなってきたキリコ。

しかしハタと自分の使命を思い出した。

 

「あのなエスヒナ、親友として忠告するけど、本当にあのフェンネルだけはやめとけ! 良くない噂しか聞かないから!」

 

心の中で勝手に彼氏居ない同盟を協定していたエスヒナが交際を始めたことよりも、相手が悪いということに心配を向けるキリコ。

その友情は十二分に伝わってはいるものの、エスヒナは実際にフェンネルと対面し、そしてそんなに悪い印象を受けてはいなかった。

 

「ありがとうリコちゃん。来週の日曜日、義父さんに会わせるまでだから、大丈夫だよ」

 

「自分を大事にするんだぞ! マジで!」

 

 

そして放課後。

エスヒナは夕焼けに染まる校門でフェンネルを待っていた。

いつの間にかブラウスの胸ポケットに手紙が入っていたのだ。

恐らく朝のドサクサに紛れての仕業だろうが、なんとも周到だ。

 

『僕たち2人の放課後スウィートタイム出逢った場所アヴァロンで待っていてくれ』

 

ちょっと解読に時間がかかったが、放課後に正門ということだろうと解釈し、こうして待っている。

エスヒナとしては日曜日に家に来てもらうよう、頼まなければならない。

そこにようやくフェンネルがやってきた。

 

「あっ! フェンネルくん! やっほー!」

 

さっきまで普通に歩いていたのに、エスヒナに気付いた瞬間から舞うように移動し始めたフェンネル

 

バッ!

シュンッ!

クルクル・・・

ズザァー!

 

「随分待たせてしまったようだね大切な人エスヒナ。君の胸を焦がす罪な僕を許しておくれ」

 

「ん~大丈夫だよ~。今日は部活も無いし」

 

「つ・ま・り、この後は空いてるってコトだね? 奥ゆかしい君の誘惑の言葉モーション、聡明な僕には伝わっているから安心しなよ。どこか、行きたい場所があるかい?」

 

フェンネル君も暇なの? やった! じゃあちょっと話聞いてくれる? あ、でもあたし今月ちょっとお小遣いキビシイからお店じゃなくて、そこの公園でも良いカナ?」

 

こうして、学園近くにある公園にやってきたフェンネルエスヒナ。

朝はフェンネルの勢いに押されてなし崩し的に展開が進んだが、やはりエスヒナとしてはきちんと事情を説明し、その上で本当に引き受けるかどうかを決めて欲しかったのだ。

 

「でね、義父さんは本当のお父さんじゃないんだけど、あたしを引き取って、ここまで育ててくれたんだ。義母さんが早くに死んじゃったあとも、男手ひとつでさ」

 

「おお、なんという悲運・・・さぁ、涙をお拭き?」

 

フェンネルが差し出したハンカチを受け取ってはみたものの、特に使い道が分からず、持ったまま話を続けるエスヒナ。

別に涙など微塵も出ていない。

 

「あたしは実はまだ付き合うとか彼氏とか、よく分かんないんだ。でも、それで義父さんが安心するんだったらって思ってね。 ほら、次の日曜日って父の日じゃん?」

 

「ブラァッヴァ! なんて心優しいんだエスヒナ! 君の気持ちはよぉっく理解した。つまり、男性パートナーとして完璧パーフェクトなこの僕を交際相手フェアンセにすることで父君の心に巣食う将来への不安を取り除こうと、そういうワケだね?」

 

「? うん、まぁ、そーゆーコト・・・かな?」

 

難しいことはよく分からなかったエスヒナだが、世話になっている養父を安心させたいという趣旨が伝わったようなので、ひとまず胸を撫でおろした。

 

「で、僕たちはいつから付き合っている設定なんだい?」

 

しかしフェンネルの言葉に、エスヒナは狼狽せざるを得なかった。

そうなのだ。

仮にも付き合っているということになるのだから、それなりの『設定』を用意し、お互いにそれを『暗記』しつつ、当日の養父からの何気無い質問にサラリと回答できなければならない。

確かにあのとき自分が勢いでついてしまった嘘は、『いつから』などという詳細は語っていなかったが、それでも昨日今日というような短い期間というニュアンスでも無かった。

 

「実は・・・あたしホントにさ、付き合ったコトとか無いし、そーゆーのに疎いから、どういう風にするのが良いのか分かんないんだよ。アハハ・・・」

 

「つまり、そういう意味でも、愛の伝道師ラブエキスパートたる僕を選んで正解だったというワケだね。大丈夫、時間はあるさ。今から決める設定に追いつくよう、仲を深めようじゃないか」

 

そう言いながら、ブランコに座るエスヒナの顎に手を伸ばしたフェンネル

朝の続きと言わんばかりにスッと顔を近づける。

特に逃げる素振りも無いエスヒナ。

マジでキスする5秒前。

 

「あ゛ーーーーーーーッ!!!!!」

 

キリコが乱入してきた。

グッジョブ。

 

「待てゴルァーッ! 何やってんだこんなトコロでッッ!!!」

 

「あー! りこちゃ~ん!」

 

「おやおや、また僕のファンが1人嫉妬に駆られて・・・嗚呼、知らず知らずに恋を振り撒く僕を許しておくれ。大丈夫、愛の器キャパには自信がある僕だから、2人まとめて愛しアッッ!!!

 

エスヒナ! 大丈夫!?」

 

「私は大丈夫だけどたぶんフェンネル君が大丈夫じゃないよね?」

 

 

こうして、卑劣に迫る悪魔の手から親友の純潔を守ったキリコ。

親友のピンチに駆け付け鉄拳制裁も辞さない勇猛果敢なキリコ。

決して自分より先に彼氏を作ったことに嫉妬はしてないキリコ。

ホントだよ?本当に心配だっただけだよ?だから来たよキリコ」

 

「ねぇ、今ナレーションが途中からリコちゃんの声に変わったよね!?」

 

「そ、そう? 気付かなかったけど? あ、そんなことはどうでもいいんだ! あのなエスヒナ、コレだけはしっかり肝に銘じとけ!」

 

「う、うん?」

 

「空気も読まず段階も踏まずいきなりキスしようとする男にロクな奴ぁ居ねぇ!!!」

 

「分かった。覚えたっ」

 

「それにな、義父おやじさんだって、嘘をつき通されるより、素直に打ち明けられた方が絶対嬉しいはずだろ?」

 

「・・・そう、だね。うん。そうだね!」

 

 

結局、エスヒナに彼氏(?)が居たのはたったの半日程度だった。

しかも本人に自覚無し。

 

一方、キリコによる会心ツウコンの一撃をお見舞いされたフェンネル必要以上ドラマティカルに吹き飛び無駄ゴージャスに転がり、学園正面の道路で為す術なくラグジュアリーに大の字を描いていた。

それを遠巻きに眺める生徒たち。

「あれ、あのマスクって・・・」「さっき三年の女子とあっちに・・・」「今朝正門で派手な・・・」

口々にヒソヒソと話す声は次第に広がり、やがてまた人だかりができてきた。

下校時刻の学校前、こうならない方がおかしい。

そこへ、エスヒナに渇を入れたキリコが帰ってきた。

 

「あぁ~、今日は軽くシャドーだけして帰・・・ん?」

 

見れば、さっきブッ飛ばしたフェンネルを中心に人が集まっている。

 

(え? ちょ、マジか!? し、死んだ!?)

 

ちょっと本気で焦ったキリコは、さすがに前科者にはなりたくないとフェンネルに近付いた。

まずは生死を確認せねばならない。

証拠隠滅やアリバイ工作はとりあえず後だ。

そのとき、ヴェネツィアンマスクの奥でキラリと瞳が輝いた。

ガバッと起き上がるフェンネル

そして。

 

「戻ってきてくれたんだねキリコ! 嫉妬させてごめんよ! もう一人にさせない・・・あぁ、君に会えて僕は本当に幸せ者だ・・・さぁ、恥ずかしがらずに僕の胸へ飛び込んでおいで、可愛い女マイエンジェルキリコ!」

 

キリコはフェンネルの胸に飛び込んだ。

いや、正確には、キリコだ。

あと、正確には、フェンネルだ。

それと、正確には飛び込んだではなく

 

フェンネルの芝居がかった大袈裟な身振り手振りとセリフ、そしてキリコの容赦無い攻撃、物理的に不可能と思えるような放物線、星になったフェンネル

これらの要素は、周囲の学生たちがこの事態をフィクションと解釈するに充分な出来事だった。

彼らは口々に「あ、もしかしてこれ、劇の練習か何か?」「なんだよ、部活?人騒がせな」「じゃあ朝のアレもか?」「そりゃそうだろうよ」と囁き、そして解散した。

 

本当に星がきらめく夜空を見上げながら、フェンネルは校舎の屋上で目を覚ました。

 

「ふふふっ。照れ隠しが暴力的なトコロは玉にきずだけど、そこがまた可愛らしいトコチャームポイントでもある。ああ、どうして僕はこうもごうが深いんだろう!? 全ての女性に等しく愛を捧げようとしているのに、彼女たちは神に愛されたデラックスな僕に可愛い嫉妬を向ける・・・許しておくれよ世界中の女性達マイラヴァーズ!」

 

どこまでもキモい独白が、夜空に吸い込まれた。

 

同時刻。

 

「あぁあ~、今日もよぉっく働いたぜぇ~っと・・・?」

 

焼肉ゲンゴロウの営業時間が終わり、明日の仕込みを終えた池田いけだ源志郎げんしろうは、店の二階の我が家に帰ってきた。

普段なら自分の部屋に居ることが多いエスヒナが、なぜか居間で正座をしている。

 

「義父さんっゴメン!」

 

からの土下座。

 

「・・・おう、分かった。まず頭ァ上げな」

 

「うん・・・」

 

「で、どうした? 何か壊したか? 人様に迷惑かけたか?」

 

マスクと鼻骨が壊れ・・・

 

「あ? なんだって?」

 

「な、何でも無い! あのねっ、あの・・・こないだ、あたし・・・」

 

「おう」

 

「か、彼氏いるよって、言ったの、覚えてる?」

 

「おお。今度連れてくンだろ?」

 

「あれさ、嘘なんだ・・・ゴメン!」

 

「だろうよ?」

 

「へぇっ?」

 

源志郎の意外な返答に、素っ頓狂な声を上げたエスヒナ。

 

「し、知ってたの?」

 

「当ったりめぇよ。良いかヒナ坊、女ってなぁな? 色恋に目覚めたときから、そりゃあもう顔つきから何から全っ部ガラッと変わるモンなんだ。それがお前ェさんと来たら、何ひとつ変わらずじゃねぇか」

 

「うぐぐ・・・」

 

「まぁしかし、俺らオイラぁ安心したぜ。よく正直に言ったな! 適当に誤魔化すためにどっかの馬の骨でも連れてきやしねぇかと思ってたが、考え過ぎだったか!」

 

「ギクッ(リコちゃんありがとぉぉぉッッッ!!!)」

 

「ま、焦るこたぁねぇよ。その正直さがあれば、いつかどっかの誰かが貰ってくれらぁな」

 

「義父さん・・・義父さ・・・ん・・・? ちょっと義父さんッッ!!?」

 

源志郎の親心に触れ、はからずも感動の涙に瞳を潤ませたエスヒナだったが、その視界にふと、源志郎が腰に巻いている前掛けが映った。

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「えっ!? 何で!? ソレ、何で着けてるの!!?」

 

「おうっ! ありがとうなヒナ坊! コレ、くれんだろ?」

 

「そうだけど! だってソレ父の日用に・・・まぁた勝手にあたしの荷物開けたんでしょ!」

 

俺らオイラんちにある物を俺らオイラが開けて何が悪りィんでい!」

 

「年頃の女の子のもの勝手に触るってどういうことよ!」

 

「年頃の女の子ぉ? そーゆー物言いは恋人の一人や二人作ってから言うこったな!」

 

ぐぬぬぅー! 義父さんの馬鹿ぁー!!」

6月の花嫁

エコニィとラニッツが交際を始め、数カ月が経過していた。

ラニッツが一人暮らしをしていた家にエコニィが転がり込むかたちで、同棲をしている。

二人の仲睦まじい関係は村でも評判であり、結婚も間近ではと囁かれていた。

 

「よぉ! エコニィちゃん、今日も可愛いね。良かったらコレ、持ってくかい?」

 

「アラおじさんありがとう! すっごく助かるわ!」

 

「ありがとうございますダイコムさん。お代は後で届けますので」

 

「なぁに言ってんだよラニッツ。俺らオイラはエコニィちゃんにんだぜ?」

 

「それはいけません。いくら村の仲間とは言えこういうことはキッチリ・・・」

 

「まぁまぁ良いじゃないの。おじさん、ありがと! また今度お礼するわね!」

 

エコニィは村に来たばかりの頃と比べてずいぶん明るくなったと、村人は口々に言った。

恋をすると女は変わるなどと知った風なことを冗談半分で言う輩も居たが、あながち間違っていないようにも思われた。

 

「エコニィは本当に、村の人気者ですね」

 

ラニッツは苦笑いしながら、貰った野菜を抱えて歩くエコニィに言う。

 

「そうかな? それだけ馴染めてきてるなら、嬉しいことだわ」

 

葉の部分からひょっこりと出てきた虫をそっとつまみ、足元の草に放してやりつつ、エコニィは屈託の無い笑顔でラニッツを見上げる。

 

「私、本当に毎日幸せよ。ありがとう、ラニッツ」

 

少し前の彼なら動揺と赤面と冷や汗の三重奏に身悶えていたところだが、最近ではどうやら耐性がついてきたらしい。

まるで天使のような笑顔だ、と内心で惚れ惚れしつつ、しかし冷静に返すことができるようになっていた。

 

「私もですよ、エコニィ。愛しています」

 

 

こんな幸せな日々が永遠に続くと、思っていた。

ひとかけらの不安も無い、温かで柔らかな幸福の日常はしかし、不意に、崩れ去った。

 

 

灯りの点いていない薄暗い部屋。

ポニーテールのシルエットで、そこに居るのがエコニィだと判る。

机に両肘をついた状態で椅子に座っている。

もう、どれくらいこうしているだろうか?

胸が痛む。

ギリギリと締め付けられるような苦しさ。

自業自得。

なぜあんなことを言ってしまったのだろう。

 

「私は・・・大馬鹿だ・・・うっ・・・ラニッツ・・・ぅ・・・うぅぅ・・・」

 

溢れ出る嗚咽を必死に押さえつつ、それでも零れ落ちる涙は止められない。

こんこんと湧き出る大粒の涙は頬を伝い流れ落ち、机の上の書き置きを濡らす。

インクが滲んでしまったその手紙には、こう書かれてある。

 

『今日も遅くなります。先に寝ていてください。ラニッツ』

 

朝起きると、すでに彼の姿は無い。

ここ最近はいつもこんな調子だ。

彼は、他の女をとっかえひっかえ遊んでいるらしかった。

 

「うっ・・・ラニッ・・・ツ・・・ひっ・・・ひっく・・・」

 

後悔と自責の念に締め付けられたエコニィの慟哭だけが、部屋に響いていた。

 

 

タミューサ村に企業というものは未だ存在せず、村人は自給自足と物々交換で暮らしている。

村の人口の大半が農業を営んでおり、朝日とともに起き、日没とともに家に帰るような生活をしていた。

しかし手に職のあるもの、例えば鍛冶屋や薬師などは、特に毎日必ず仕事があるわけでも無かった。

必要なときに必要な働きをするだけ。

それは村の実働を担う、村長を始めとした幹部メンバーにも言えることだった。

つまりラニッツには、毎日朝早くに出掛ける用事など、無いはずなのだ。

最日は特に気にも留めていなかったエコニィ。

しかし翌日も、その翌日も、目が覚めると書き置きだけが机に置いてあった。

また、帰ってくる時刻も遅く、少し心配になったエコニィは、疲労困憊で帰宅したラニッツに尋ねてみた。

 

「おかえり。ねぇ最近どうしたの?」

 

「な、なんのことです?」

 

「朝も早いし、帰りも遅いじゃない。すごく疲れてるみたいだし」

 

「ああ、ちょっと、任務で・・・」

 

「ふ~ん。ま、あんまり無理しないでね?」

 

「ありがとうございます」

 

ラニッツは明らかに隠し事をしていた。

エコニィだから判るとかそういうものでは無く、もともと嘘が下手なのだ。

だが敢えて追及はしなかった。

言いたくないのなら、無理に言わなくても良いと思った。

しかし、次の日。

村の女性たちが集う井戸端会議の内容を、偶然にも耳にしてしまった。

 

 

「あんた、ラニッツさんとこ、行った?」

 

「いやねぇもう、私みたいなオバサンじゃダメよ」

 

「あら、そうなの?」

 

「なんでも、若い子ばっかり呼んでるみたいよ?」

 

「まぁそりゃそうよね。だってエコニィちゃんが・・・」

 

「あのっ!」

 

「わあっ!エ、エコニィちゃん!?」

 

「あの、今の話・・・」

 

「えっ? 何のことだい? さぁ仕事仕事! ああ忙しい忙しい!」

 

「あ、あの・・・」

 

挙動不審な奥様方は一瞬で解散してしまった。

どういうことなのだろうか・・・。

ラニッツが、若い子を呼んでいる?

どこに? 何のために?

エコニィは村長邸に走った。

エウス村長ならばラニッツの任務について知っているはずである。

しかし。

 

「つまりな、もしエコニィにラニッツのことを聞かれても、知らぬ存ぜぬで通すんじゃ。わかったな?」

 

「うん。でも何でそんなことするの?」

 

「男にゃ見栄ってモンがあるじゃろ。それに、エコニィから言われたらしいぞ? 『ナンバーワン』とか何とか・・・ラニッツのやつそれを気にして・・・ハッ! エ、エコニィ!?」

 

ダクタスとオジュサの会話を聞いてしまった。

その内容はまたもや自分たちのことだった。

 

「あの、ダクタスさん、さっきの話・・・」

 

「んんん!? 何のことじゃ!? ワシ最近物忘れがひどくてなぁ・・・のう、オジュサ?」

 

「えっ? ああ、うん。もう、しっかりしてよねダクタス~」

 

 

こうしてあからさまな隠蔽工作に遭遇したエコニィ。

しかし情報の一端を聞くことができた。

自分が何かラニッツに言ったらしい。

エコニィは彼との会話を必死で手繰った。

 

そして、思い当たるものが、あの言葉だった。

 

『きっと私は、ラニッツにとってのオンリーワンだと思うよ? それは分かる。でも、ナンバーワンじゃ無いんだよね。あんたさ、ちょっとくらい、他の女の子と遊んだって良いんじゃない?』

 

自分で発した言葉であることは間違いない。

だがそれは『昔の価値観』から出た言葉だった。

今まで男女交際をしたことの無いラニッツにとって、エコニィは唯一の存在である。

しかし、比較対象が存在しないことには、決してナンバーワンにはなれないのだ。

そしてエコニィには少なからず、ラニッツの中で一番になりたいという欲求があった。

ふとした瞬間、それを思わず言葉にしてしまったのだ。

吐いた唾は飲めない。

自分で自分の言葉に違和感を覚えつつ、しかし『まさかラニッツが今の言葉を本気にするとは思えない』という甘えもあり、特に訂正することも無かった。

それが、こんな形で返ってくるとは。

 

彼と二人で過ごすうちに、いつしか彼の価値観が自分に移ったのだと思う。

彼は自分の『唯一』であるし、自分もそうで在りたいと思う。

ならば『逆』もあるかもしれない。

自分の価値観が、彼に移ることだって考えられる。

彼は今、私を『一番』だと認定するために手当たり次第に女性と交遊している。

 

■失言■【ぷらいべったー】

※パスワードは「kis」と「bit」の間の1文字です。

※読まなくても何ら問題なく進められます。

 

「嫌だ・・・嫌だよぉ・・・ふぐ・・・うっ・・・うぅっ・・・」

 

彼が自分なんかより遥かに相性の良い相手を見つけてしまったらどうしよう。

考えれば考えるほど自分の欠点ばかりが頭に浮かび、ラニッツが自分を好きでいてくれる要素が何ひとつ思い当たらない。

彼の経験の無さの上に胡坐をかいて慢心し、浮かれ、とんでもない失言をしてしまった。

激しい自己嫌悪と後悔、焦りと寂しさで心が擦り切れてしまいそうになる。

 

そこに。

 

「・・・ふぅ・・・。おや? エコニィ、起きていたのですか? ただいま」

 

ラニッツが帰宅してきた。

気付けば時刻は深夜をまわっていたようだ。

疲労困憊を絵に描いたようなラニッツだったが、すぐにエコニィの只ならぬ気配を察した。

 

「ど、どうしました!? 何かあったのですか!?」

 

駆け寄り、少し背を曲げ、小柄な彼女に視線を合わせる。

ラニッツの目が、泣き腫らしたエコニィの目と交差する。

途端にエコニィの顔がくしゃっと歪んだ。

 

「うええぇぇぇぇッッッ!! ラ゛ニ゛ッヅゥゥ~~~!!」

 

抱き付き、泣きじゃくるエコニィ。

事態が飲み込めないラニッツは驚いたものの、すぐにその体を優しく抱き締め、落ち着くまで頭を撫でてやった。

 

「ごめっ・・・なさっ・・・ひっぐ・・・うっ・・・は、離れ・・・ない、でっ・・・ううっ・・・」

 

なぜ彼女が謝るのかさっぱり分からなかったが、ラニッツはできるだけ優しく、答えた。

 

「私はどこにも行きませんよ。ずっと貴女と一緒です。よしよし」

 

どれほどそうしていたのか、ようやくエコニィは落ち着きを取り戻してきた。

鼻をすすりながら途切れ途切れで経緯を話す。

 

「わ・・・わたっ・・・私が、あんなこと、言ったからっ・・・ラニッツが・・・ほ、他のっ・・・」

 

「分かりました分かりました。もう大丈夫ですよ。落ち着いて」

 

ラニッツはもう一度エコニィを優しく抱き締めると、そのままの姿勢でそっと囁いた。

 

「心配をかけてすみませんでした。でも安心してください。私がここ最近出掛けていたのは、そんな理由では、決して、ありません」

 

そしてゆっくり抱擁を解くと、エコニィの手を取り、家の外に誘った。

彼女は為されるがままついて行く。

泣いて体温が上がった肌に夜風が涼しく、心地良かった。

しばらく歩いた。

ラニッツは散歩で気分転換でも図ろうとしているのだろうか。

幾分かまともな思考ができるようになったエコニィが考えていると、ポツリポツリとラニッツが話し始めた。

 

「貴女がそんな不安を抱えていたなんて、本当に申し訳ありません。ただ、どうしても秘密にしておきたかったんですよ」

 

「・・・何を?」

 

「・・・以前、貴女が夕食を作ってくれたときのこと、覚えていますか? 交際し始めて1月の・・・」

 

「うん。覚えてる」

 

そのとき、エコニィは普段よりも張り切って、少し豪勢な夕食を準備した。

自分でも美味しくできたと思ったし、ラニッツも褒めてくれた。

とても嬉しかった。

 

「その時、貴女は言ったんです。もうちょっと広い台所だったら、もっとすごいご馳走が作れるってね」

 

そう言われれば、確かにそんなことを言った記憶がある。

自分で言っておいて何だが、特に深い意味は無い発言だったので忘れていた。

 

「その時に決心したんです。で、やっと、今日、ようやく完成したんです。さ、到着しましたよ」

 

ラニッツが笑顔で示すその先には、建物らしき影が見えた。

月明かりに照らされたそれは、近付くと真新しい木材の香りがした。

 

「あ・・・これ・・・うそ・・・」

 

エコニィは軽くパニックになっている。

目の前のそれはどう見ても新築の家だった。

そして玄関の前には『ラニッツ&エコニィ』と書かれた立て札が。

 

「本当は明るくなってからお披露目の予定だったのですが、月明かりの中でというのも味があって良いですよね?」

 

ここ最近ラニッツが家を空けていたのは、この新居の内装を整えていたからだった。

若い女性が好むようなセンスが自分に無いことも十分に理解していた彼は、村の年頃の娘たちに色々とアドバイスを求め、エコニィが気に入るようなインテリアを目指していたのだ。

 

「これぐらいはきちんと用意してからでないと、自信を持って言えないですからね」

 

と、前置きしたラニッツ。

すぅっと息を吸い込むと、意を決したように言った。

 

「エコニィ、貴女を愛しています。どうか、これからもずっと、私のそばに居て欲しい。結婚してください」

 

 

■このあと滅茶苦茶※※※■【ぷらいべったー】

※パスワードは「kis」と「bit」の間の1文字です。

※読まなくても何ら問題なく進められます。

 

 

所によっては雨季でもあるこの時期、しかしタミューサ村においては、雲ひとつない快晴だった。

抜けるような青がどこまでも続く空に、それと同じ色をした真っ青な花弁が舞っている。

ミィニという名のこの花は、キスビットでは特別な意味を持っている。

 

「エコニィ、おめでとう!」

 

ラニッツ!やったなぁ!」

 

村人たちが口々に祝福の言葉を掛ける。

その先には、まるで空に浮かぶ雲のように真っ白な衣装を身に纏った、ラニッツとエコニィが居た。

青い空、緑の草原、真っ白い服の二人。

そこに、人々から空と同じ色のミィニが投げられ、風に吹かれてゆく。

牧歌的かつ幻想的な光景が広がるこれは、結婚式だった。

衆人は祝福の青で二人の門出を彩るのだ。

村の牧師が二人の前で神に祈り、報告し、祝福を乞う。

ラニッツとエコニィは互いに誓いの言葉を交わした。

ここに、新たな夫婦が誕生した。

キスビットに棲む魔獣たち

キスビットに生息する生物は、大きく分けて二通りです。

愛玩用や家畜として、民の生活に深く関わり、その生態の詳細が解明されているものと、飼育や調教が不可能だとされる野性の動物です。

前者はごく普通に『動物』と呼ばれ、後者は『魔獣』と呼ばれます。

ちなみに現在は動物として扱われているものも、過去には魔獣でした。

つまり魔獣の中から、手懐ける方法や飼育の手段などが解明され、安全性が確保された種が動物認定を受けていくというわけです。

 

今回は三種の魔獣について説明します。

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■オノドン -onodon-

草食魔獣。

巨体に似合わず、非常に臆病な性格をしている。

鼻から額にかけて伸びるなたの刃のような鋭利なツノを器用に使い、樹木の新芽や果実などを切り落として食べる。

定期的に地面や巨木の幹、岩肌などにツノを擦り付ける習性があり、これによってツノの鋭利さが保たれている。

敵と認識した相手からは逃げ出すのが基本だが、逃げる場所が無かったり、相手の方が足が速かったりなど、逃げ切れない場合には応戦することもある。

その場合、鋭いツノを振り乱しつつ、装甲のような厚く硬い皮膚に包まれた巨体で突進してくることが多く、大抵の相手は一瞬で肉塊と化す。

 

 

■アカゲンサン -akagensan-

肉食魔獣。

鋭いツメと長く鋭利なキバを持つ密林のハンター。

高い身体能力も去ることながら、最も恐ろしいのは彼らが連携したときである。

基本的に捕食目的以外での狩りはしないため、満腹時であれば真横を通っても襲われることは無い。

しかしいざ食事認定されてしまえば、彼らから逃げ切ることは非常に難しくなる。

一頭のメスを中心に、三~四頭のオスと、その仔らで形成される集団でひとつのナワバリを管理する。

 

 

■ライハジン -raihajin-

雑食魔獣。

長い手足と、長い尻尾を器用に使い、木の上で暮らしている。

個体同士が独特な鳴き声でコミュニケーションを図っているらしく、しばしば、まるで会話のような鳴き声の応酬が聴こえる。

現在では与太話扱いをされているが、その昔『長く生きたライハジンは魔法を使う』と信じられていた。

それほど知能が高いということだ。

ただしそれも、人類で言えば3~4歳児並みの知能とされている。

 

※実はタミューサ村の村長エウスーファンは、若かりし頃に魔法を使うライハジンに遭遇している。

しかし1,000年の歴史がそっくり入れ替わってしまった現在、そのライハジンが未だ密林に生息しているのかどうかは不明である。

ラニッツとエコニィ 夜~帰還

焚火の中で小枝がパチパチと立てる音。

川のせせらぎ。

少し離れた草むらからは虫の声。

そして隣から聞こえてくるエコニィの呼吸。

元々アスラーンは夜行性であり、夜になったから寝るというような習慣は無い。

疲労回復の為、必要な時に最低限の仮眠を取るだけだ。

今の状況はラニッツにとって、精神的疲労の極致と言っても差し支えないほど緊張を伴うものだった。

 

「眠れないの?」

 

そんな緊張感はエコニィにも伝わってしまったようで、彼女はラニッツに言葉をかけた。

 

「ああ、えぇ・・・その、そもそも私たちアスラーンは、その、夜に眠るという習慣が・・・」

 

「あ、そう言えばそうだったわね・・・。じゃあ、ちょっと、聞いても良い?」

 

そう言うとエコニィはコロンと寝がえりをうち、ラニッツの方に顔を向けた。

少し乱れた髪が頬にかかっている。

ラニッツは、魅力的を通り越して官能的とも思えるその顔を直視できずにいた。

 

「さっき、何で別々に寝ようとしたの?」

 

エコニィの真っ直ぐな問いに、ラニッツは戸惑った。

どのように返答すれば良いのか分からなかった。

何が正解で何が不正解なのか、エコニィがどんな答えを望んでいるのか。

 

「別にどんな理由でも、あんたを嫌いになんてならないからさ。教えてよ」

 

逡巡を見透かしているかのような言葉とともに、エコニィはラニッツの胸に額を押しつける。

盛大に鳴り響く鼓動はきっと、彼女に伝わっているだろう。

そう思うと、ラニッツはたまらなく恥ずかしかった。

平静を保てない、自分らしくない、そんな思いでいっぱいになる。

 

「ああ、じゃあ私のコトから話そうかな?」

 

言葉に詰まるラニッツに、エコニィは自分の気持ち、思いを話し始めた。

 

「私さ、何て言うのかな、ほら、思ったことをすぐ言うじゃない? あんたはあんまりそういうの、好きじゃないみたいだけど」

 

ずずっと頭の位置をずらしたエコニィ。

二人は横になったまま向かい合う。

普段は髪を結ってポニーテール姿のエコニィだが、就寝時はもちろん解いている。

テントの隙間からチラチラと外の焚火の灯りが差し込み、少し寝乱れたロングヘアを照らす。

揺れるオレンジの光によって、まるでヌラヌラと動いているように見える黒髪が妙に艶っぽい。

そして、近い。

ラニッツはごくりと生唾を飲み込んだ。

 

「昔の話だけどね、軍に居た頃さ、好きな人が居たんだ」

 

突然の意外な言葉に、ラニッツはやや動揺した。

目の前の愛しい人には、自分の知らない過去がある。

そんな至極当然のことに初めて気付かされた。

今まで味わったことのない感情がじわじわと胸を締め付ける。

 

「でもさ、私が好きだって伝える前に、その人は死んじゃった」

 

特に感情を込めるでもなく、淡々と史実を話すように続けるエコニィ。

従軍していればそんなこともある。

いつだって死は隣り合わせ。

ただ、常にそれを意識して生きることは存外に難しい。

 

「すごく後悔してね、私。よく考えたら当たり前のことなんだけどさ。今日と変わらず明日も生きてるなんて保障、どこにも無いもの。だから、いま思ったことは、いま伝えなくちゃって」

 

エコニィの今までの言動がこの死生観によるものだと分かったラニッツ。

しかしそれは、それだけ大きな影響をエコニィに与えたという、その男に対する嫉妬にも繋がるのだった。

この世に存在しない相手への嫉妬。

ラニッツは大きく深呼吸をして、気持ちを落ち着けた。

 

「話してくれて、ありがとうございます」

 

途端に、今までの自分がひどく滑稽に思えた。

分かるはずの無い正解を求めて応対に困ったり、もう存在しない相手に嫉妬したり、およそ理性的とは言えない。

 

「ああ、なんだか本当に、自分が嫌になりますね」

 

ラニッツは苦笑いしながら、そっとエコニィの肩に手を置いた。

先程までの緊張が嘘のようにリラックスしている。

いや、緊張はしているのだが、必要以上に強張こわばっていない。

言うなれば『恐れていない』と表現した方が近いかもしれない。

 

「私は、怖かったんだと思います。あなたが交際の申し出を受けてくれたときから、本当はずっと怖かったんです。生まれて初めて人を好きになって、とてもとても大切に思って、だから、どうしても嫌われたくなかった。失いたくなかった。私の言葉で、行動で、なにか下手を打って、あなたの気が変わってしまったらどうしよう、なんて、ね」

 

ふうっとため息をついたラニッツ。

本音を打ち明けることが、こんなにも心を軽くするとは。

 

「あんた、そんな顔で笑うんだね」

 

穏やかな表情で自分を見詰めるラニッツに見惚みとれながら、呟いたエコニィ。

まだまだ、お互いに知らないことが多過ぎる。

これからたくさん時間をかけて少しずつ知り、理解し、時にはぶつかり、和解し、歩んでいこう。

そんな想いで、二人は抱き合った。

 

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【ぷらいべったー】

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※『キスビット』の表記が『kis u bit』だと知っている方だけ読めるようになっています。

 

↓↓↓あと挿絵も↓↓↓

【ぷらいべったー】

※パスワードは上のSSと同じダヨ。

 

翌朝。

空が白み始め、黒い影でしか無かった草木に色が戻りつつある。

そこにはすでに野営装備をきれいに片付け、旅支度を整えた二人の姿があった。

 

「では、行きますか」

 

「そうね・・・」

 

「あの、だ、大丈夫ですか?」

 

「これでも戦士よ? 鍛えてるからだいじょうううッッ!!!?」

 

「おっと!」

 

足がもつれて転びそうになるエコニィを、ラニッツが受け止めて支えた。

 

「あ、ありがと。もう大丈夫だから・・・」

 

がっしりと肩を抱かれたエコニィは顔を赤らめ、するりとラニッツの腕を抜けて歩き始める。

ラニッツはと言えば、昨日までの挙動不審が嘘のような落ち着き様。

どうも態度が逆転したフシがある。

 

「あまり無理はしないでくださいね?」

 

「分かってるわよっ」

(うう・・・情けないし恥ずかしいし・・・もうっ! 調子が狂うわっ!)

 

今回の目的エリア、密林と草原の隣接地帯は、この野営地からそう遠くない。

この時間から出発すれば陽が頭上を過ぎる前に到着できるはずだ。

前日は何気無い会話のやりとりを交わしつつの行程だったが、今日はお互いに無言のままだった。

魔獣と遭遇するエリアへ向かっているという緊張感からか、はたまた昨夜の出来事が原因か。

黙々と進む二人の視界に、やがて木々が生い茂る密林地帯の輪郭が見えてきた。

報告によれば、このあたりが魔獣目撃の最南端エリアになる。

 

「とりあえず、今のところ魔獣は見当たりませんね」

 

「そうね。足跡や行動の形跡を辿れるかも知れないし、もう少し進んでみよっか」

 

ようやく会話らしい会話をし、二人は密林地帯を目指した。

しばらく進むと、草が踏み折られた跡を発見した。

それは人が大の字で寝転がれるほどの広さで、枯れ草や葉などが寄せ集められている部分もあった。

 

「これ、もしかして魔獣の棲家かしら?」

 

「それにしては新しい・・・もしかすると密林から出てきたばかりの魔獣が作った、仮設住居かもしれませんね」

 

もしこの場所が長期的に使われているとした、染みついて取れない獣臭が残っているはずである。

おかしな表現だが、ここには『魔獣の生活感がうすい』というわけだ。

 

「やはり何らかの事情で魔獣が密林から出てきている、という状況らしいですね」

 

「ちなみに、この仮設住居の主がどんな魔獣か、分かる?」

 

海によって隔てられた陸地には、必ずと言って良いほどその地にだけ生息する固有種が存在する。

世界各国がそうであるように、ここキスビットも例外ではない。

密林地帯には多くの魔獣が生息しているが、この付近で目撃情報があったのは一種のみである。

大ぶりのなたを思わせる刃物のような角を、鼻から額にかけて生やしている大型の草食魔獣『オノドン』だ。

彼らはその巨体に似合わず非常に繊細な神経の持ち主であり、分かりやすく言えば『ヒステリー持ち』だ。

特に凶暴ということは無いのだが、一度恐慌状態に陥ると手がつけられないほど暴れまわる。

凶悪な角を振りまわしながらの突進はまるで竜巻のようであり、周囲をズタズタに切り裂きながら荒れ狂うオノドンは天災と呼べるほどの脅威である。

 

「足跡からすると、中サイズのオノドンだと思います」

 

家主が戻ってくる前に、二人は早足でその場を離れた。

仮とは言え巣に不法侵入してしまっては、怒りに触れないとも限らない。

可能な限り戦闘は避けたいところだ。

 

「私とあなたならば、このエリアに出てきている魔獣を退治することは可能でしょう。しかしそれでは根本の解決にはなりません。密林へ入りましょう」

 

村長からの依頼は魔獣退治だった。

しかしその魔獣が単に草原地帯をウロついているというだけでなく、巣を作っていることを考えるならば、その原因を探らない限り同じことの繰り返しになる可能性もある。

何より魔獣とは言え、彼らには彼らの生活があるのだ。

自分たちの都合でいたずらに殺めて良いはずが無い。

 

二人は周囲を警戒しながら密林に入った。

なるべく身軽に動けるよう、野営道具などの一式は草原エリアとの境界に残し、最低限の装備で探索を開始した。

エコニィも、いつもの大剣を置き、短剣だけを腰に下げている。

 

「オウッ!オオウッ!ホゥッ!」

 

甲高い鳴き声が聞こえた。

割と近距離の頭上から聞こえたその声は、次に少し遠いところから、さらにもっと遠いところから、まるで伝言ゲームのように密林の奥へと次がれていった。

 

「ライハジンの警戒でしょう。彼らは古くからこの地に棲む知能の高い魔獣です」

 

長い手足と尾を持つ人型に近い魔獣『ライハジン』は、器用に樹木の上を移動しながら生活している。

長く生きた個体は魔力を宿しある程度の魔法が使える、という伝説があるほど、ライハジンは高い知能を有している。

唯一、道具を使う魔獣なのだ。

もちろんその行動は原始的であり、硬い木の実を割るのに石を使ったりする程度のものだが。

ただ未だに解明されていない生態も多く、今の鳴き声でのコミュニケーションも、彼らの真意は分からない。

 

「恐らく『侵入者だぞ』というような伝令でしょうが、こちらが危害を加えなければ彼らの方から仕掛けてくることは無いはずです」

 

「詳しいのね」

 

エコニィの感嘆に、ラニッツは照れ笑いしながらタネ明かしをする。

 

「実は、全部エウス村長の受け売りです。村長はお若い頃、この山麓の密林地帯も含めたウーゴ ハック山脈全域を生活エリアにしていたそうですよ」

 

ウーゴ ハック山脈の北部、マカ アイマス地帯には土着の精霊、つまりキスビット人が住んでいる。

エウスオーファンは幼少期から青年期をキスビット人と共に過ごした。

このあたりの山々、密林は、彼にとって庭のようなものだったらしい。

 

「村長によれば、このあたりで遭遇する魔獣はどれも温厚なものばかりだとか。もちろん奥地へ進めばそうも言っていられませんけどね」

 

ライハジンの鳴き声が、遠く近く聞こえる。

それに混じって鳥類だろうか、他の声も多数耳に入ってくる。

木々が鬱蒼うっそうと生い茂っているこの場所は陽の光がほとんど上空の葉に遮られ、昼間でも薄暗い。

また風通しが良くないようで、湿度の高い熱気を保った空気がじっとりと肌にまとわりついてくる。

 

「あんまり長居はしたくない場所ね」

 

飛び交う羽虫を手で払いつつ、エコニィがうんざりした口調で言った。

と、先行していたラニッツの足が止まる。

 

「参りましたね。でも、襲われる前に気付けたのはラッキー、でしょうか」

 

後ろに居るエコニィを手で制するラニッツ。

とぼけた口調とセリフとは裏腹に、凛とした緊張感がエコニィにも伝わった。

ラニッツの視線の先には、見たことの無い魔獣が居た。

 

「アカゲンサンです。鋭い爪と牙を持ち、高い俊敏性と狩り能力が特徴の肉食魔獣で、本来はこんな近場で遭遇するハズの無い相手です。いやぁ、本当、参りました」

 

極めて冷静に、抑揚をなるべく控えた説明の言葉は、もちろんアカゲンサンを刺激しないための配慮である。

しかしその相手は既に前足を低く構え、地響きのような唸り声を上げていた。

完全に臨戦態勢である。

 

「どう、する?」

 

「このままジリジリ後退できれば良いのですが・・・私、目が合っちゃってるんですよ」

 

交わした視線を外した瞬間、弾丸のような勢いで飛びかかってくる様が想像できた。

うかつな行動はできない。

しかし固唾を飲み込んだエコニィの目は、アカゲンサンの頭上に発生する暗雲を見逃さなかった。

ラニッツの能力だ。

 

「えっ、ま、待ってラニッツ! ここで落雷させたら火事に・・・」

 

「もちろんそんなことは、しませんよッッ」

 

そう言うと同時に、暗雲をアカゲンサンめがけてストンと落としたラニッツ。

一瞬にして視界を奪われた魔獣だが、しかしそれがきっかけとなった。

雲を突き破って飛びかかるしなやかな体躯、そして繰り出される鋭利な爪。

だがその場には既にラニッツとエコニィの姿は無く、代わりに輪状のロープが構えられていた。

 

「今です!」

 

「はいよ!」

 

アカゲンサンの首に巻き付いたロープの先は、いつの間にか頭上の木の枝に立っているエコニィが握っていた。

それを素早く巻き上げ、枝に結びつけたエコニィ。

 

「ごめんね、ちょっと我慢してて」

 

枝の真下に居れば首が締まることが無い程度の余裕を持って、ロープを固定する。

 

「この子がまだ小さくて助かりました。さすがに成獣だったら本格的な戦闘になっていたでしょうからね。しかし・・・」

 

「ねぇ、作戦、ちゃんと説明して欲しかったんですけど?」

 

「エコニィなら分かってくれると信じていましたから」

 

頬を膨らますエコニィに、ラニッツはにっこりと笑顔を返した。

もう少し嫌味を言ってやろうかと思ったエコニィだったが、その表情に満更でも無くなってしまった。

 

「さて、近くに親が居るかしら?」

 

「恐らく。さぁしかし、オノドンが草原エリアに出てきていた理由はこれで分かりました。本来もっと密林の奥地に居るはずのアカゲンサンがこんなところに居るのが原因でしょう」

 

高い戦闘力とは裏腹に、オノドンは怖がりである。

肉食獣が自分の活動エリアに侵入してくれば、その分だけ後退するしかない。

 

「じゃあ今度はアカゲンサンがこっちに出てきた原因を探すことになるの?」

 

エコニィが尋ねると、ラニッツは首を横に振った。

二人だけで、しかも軽装というこの状況では、これ以上奥地へ行くのは困難である。

また、本来のアカゲンサンの棲息エリアはキスビット人の管轄とも重なる。

ここは一旦引き返し、状況を村長に報告するのが上策だろう。

そしてタミューサ村から正式にマカ アイマス地域のキスビット人へ書状を送り、混成部隊を組織して調査に当たるのが最も角が立たない方法になるはずだ。

二人はアカゲンサンの幼獣が暴れに暴れ、ロープから脱出するのを確認したあと、草原エリアへ引き返した。

 

 

岐路、エコニィは頭の後ろで手を組みつつ、嘆息した。

 

「あ~あ。戦闘が無かったのは良かったけど、結局何も分からなかったわね」

 

「いえいえ。充分な情報を得ましたよ、私たちは。密林へ入らず草原エリアに出没するオノドンを駆除するだけだったなら、いずれアカゲンサンに追われて出てくる他の魔獣たちも次々と討伐しなければならなくなります」

 

それはそうだけど、と言いかけたエコニィだったが、その言葉を飲んだ。

確かに派手な成果では無いが、間違い無く事態は前進している。

こういう『堅実な一歩一歩』というラニッツの性格も、エコニィは愛しいと思っていた。

 

「そうね。今回は魔獣のこともだけど、それよりラニッツのことをいっぱい知れたから良しとしようかしら」

 

そう言って、ふふふっと微笑んだエコニィ。

しかしハッとしてすぐに言葉を付け足した。

 

「あっ! でも、私が止めてって言ったら絶対すぐ止めてよね!?」

 

「そ、それは、本当に・・・反省してます・・・」

 

お互いに顔が熱くなるのを感じながら歩く。

頬が赤いのを、夕日のせいにして。

 

 

後日、二人の報告が契機となり、タミューサ村とマカ アイマスの混合部隊が編成され、密林地帯奥地の調査が行われた。

その結果、雨による地滑りで岩や大木が押し流され、それが川の支流を塞ぐことによってできる天然の堰堤えんていが原因だと判明した。

つまり、偶然によって形成されてしまった臨時の溜め池が、アカゲンサンの縄張りを奪うことになってしまったようなのだ。

この堰堤を破壊することは易しいが、しかし水量が水量である。

一気に開放してしまうと二次災害の危険性が高い。

そこで、任意で放水量を調節できる水門を設置しようという話になった。

これを機に、タミューサ村はマカ アイマスのキスビット人たちと親交を深めてゆくのだった。

ラニッツとエコニィ 出発~夜

今回の物語を始める前に、本作に関わるキスビットの状態と登場人物の状況について簡単に説明させてください。

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まず始めに、ざっくりと上図の流れをご確認ください。

 

1.種族間の差別意識が極端だった異常社会を問題視したエウスオーファンらが

2.その根本原因を解決する過程で千年前のキスビットへ飛ぶことになり

3.元凶だった邪神を討ち果たすことができたので歴史の改変が起こり

4.意図的に芽生えさせられた過度な差別意識が無い国に生まれ変わった。

 

という状況です。

 

現在のキスビット国民は『水色部分の歴史』を歩んでおり、邪神による悪意の影響を受けていない歴史の中で育まれた文化を持っています。

3から4の間には千年の歳月が流れているのです。

しかし、この現状を作るために奮闘した戦士たちは、その歳月を知らぬまま一足飛びに現在へと帰還しました。

 

要するに、あの冒険に参加したメンバー(下記参照)は水色部分で育まれた歴史や文化、国民性や価値観などを知らないのです。

逆にこのメンバー以外は、度を超えた残酷な差別があったことを知りません。

種族 名前 特徴
人間 エウスオーファン 嗅覚のシックスセンス
サターニア ダクタス 容貌変化シェイプチェンジ
アスラーン ラニッツ 暗雲の生成
アルビダ アウレイス バッドステータスの吸収
精霊 オジュサ 土(石なども含む)操作
人間 エコニィ 大型剣を使う剣士
アスラーン マーウィン 分身ダブル
アルファ アルファ(テイチョス) スーパーロボ
サターニア カミューネ 暗闇から暗闇への空間転移
サムサール エスヒナ 劣情の目

※アルファ=テイチョスであることは、これまでの作中では語られていません。

エスヒナは過去に同行していませんが、上記メンバーの記憶を共有できています。その理由も未だ語られていません。

 

今回の話は、特にこのことが重要なストーリーというわけではありませんが、これに言及している部分がありますので補足させて頂きました。

 

 

~・~・~・~・~・~・~・~・~

 

「村長が私たちに用って、何だと思う?」

 

緊張の面持ちでエウスオーファン邸に向かうラニッツの顔をひょいと覗き込みながら、エコニィが尋ねた。

 

「思い当たることなんて、私とあなたの交際コトぐらいしかありませんが・・・」

 

ラニッツは今まで女性と付き合ったことが無かった。

そもそも恋愛というものから縁遠い生活を送っていた。

だがエコニィと出逢ってからというもの、自分の中で膨れ上がっていく好意は明らかに未経験の感情であり、それを恋だと認識してからは抑え込むことができずにいた。

真剣に悩み、考え、思い詰め、そして堪らず告白をした。

その返事は、意外なほどあっさりとした了承だった。

つい3日ほど前のことである。

 

「私とあんたが付き合ってるから呼ばれたってこと? なんで?」

 

エコニィはいかにも不思議そうに問い返すと、人差し指をあごに当てつつラニッツを追い越して先を歩く。

今日はいつもの剣士装備ではなくゆったりとした普段着で、フード付きのラフな上着が彼女に柔らかい印象を与えている。

歩くたびに揺れるポニーテールと、その下に見え隠れする襟足の後れ毛が妙に目につく。

ラニッツは、エコニィが日に日に魅力を増していくように思えてならなかった。

当然ながら物理的にも生物的にもそんなことが起こり得ないことは理解しているが、しかし自分の目に映るエコニィは明らかに以前よりも可愛らしいのである。

 

「そ、そんなこと私だって分かりませんけど、でも私たちは村の一般人とは違いますし、その、立場と言うか・・・」

 

ここタミューサ村では、いわゆる『能力者』が不足していた。

他の都市では少なくとも都政、市政を動かす中枢には、魔法や加護や呪詛などの特殊な能力を持つ有能な人物が抱え込まれている。

しかしこの村では一般人、つまり特筆すべき能力を持たない民が大半を占めているのだ。

もちろん現在は戦時ではないし、特殊能力が必須というわけでもない。

だが村の代表として他の都市や外国で行動する場合、その相手が異能を持っていることは少なくない。

その場合、何の能力も持たない者が対応しると交渉が不利益な結果に終わってしまう可能性も否定できない。

最初から相手を疑ってかかるわけではないが、やはり対等な交渉というものは対等な力関係であってこそ成立しやすい、というのも真理である。

そこでタミューサ村では、渉外事案が発生した場合に動く人物がほぼ決まっていた。

まず村長である人間、エウスオーファン。

そしてその妻、アスラーンのマーウィン。

鬼のエビシ、アルビダのアウレイス、サターニアのダクタス、精霊のオジュサ、サムサールのエスヒナ、そしてこの二人である。

 

「それか、もしかしたら私たちの種族差のことかも知れません・・・アスラーンである私が人間の貴女と交際するなんて・・・」

 

ラニッツ、それ本気? だって村長の奥さん、アスラーンじゃない」

 

現在のキスビットでは、種族を超えた交際は何ら問題にならない。

しかし旧世界ではそれがタブーだったこともあり、ラニッツはそのことを気にしているのだった。

だがエコニィの言うとおり、人間である村長自らが妖怪を妻として迎えているのでそこは問題にならないだろう。

つまり、言われるまでそれに気が回らないほどラニッツが緊張しているということだ。

 

「ほんと、あんたっていつも真面目だけど、村長に対しては超が付くほどよね。まぁそーゆーところも含めて好きなんだけど」

 

「なっ! なななな、な、なんですか急にッ!!!」

 

エコニィが何気なく付け足した言葉に、ラニッツはひどく狼狽した。

恋愛経験が皆無であるラニッツにとって、好意とは静かに心に秘めておくものであり、ここぞというときにやっと言葉にするものだという認識があった。

それなのにエコニィはこの3日間、あまりにもあっけらかんと「好き」だの「愛しい」だのという言葉を自然に普通に紡ぐのだ。

 

「何って? 何が?」

 

そしてそれを何とも思っていないエコニィ。

特別に意識してとか、気持ちが抑え切れず言葉として溢れるとか、そういう感じでは無い。

淡々と会話の中に織り交ぜているのだ。

 

「あのですね、その、貴女はほら、なんと言うか・・・す、す、『好き』とかそういう言葉を、なんと言うか・・・」

 

「えっ・・・ごめん、嫌だった?」

 

これまで村のため国のためという共通の目的で死線を潜る共闘関係だった二人。

そして付き合い始めてまだ3日。

お互いに知らない部分の方が遥かに多いのだ。

 

「いいえ! 決してそんなことは! 嫌なんてことはありません! ただ・・・」

 

こんな会話をしていると、いつの間にか村長邸の正面扉が目の前に迫っていた。

自然と『続きはまた後で』という雰囲気になる。

ラニッツは咳払いをひとつすると、深呼吸とともに扉を開いた。

 

 

 

「魔獣退治、ですか?」

 

ラニッツは村長からの依頼を復唱した。

話の内容は、彼が懸念していた交際に関する忠言や勧告では無く、仕事の依頼だった。

 

「ああ、村の北側の柵を、もう少し広げておこうと思ってな」

 

特に広大な国土というわけでもないキスビットだが、まだ人口が面積に追い付いていない状態であり、平たく言えば『未開拓エリア』がとても多かった。

代表的な都市は在れど、その領有域は互いに接しておらず、いわゆる『誰も所有していない土地』が依然として大半を占めるのがこの国の現状なのだ。

しかし諸外国との交易や情報交換が進み、ようやくこの国にも『国家としての先進的な意識』というものが芽生え始めている。

それは技術的な発展や知識量の増加というような部分かつ局所的なものではなく、国という組織そのものが成長しようとしていることを意味する。

現状では国土地理に関する明確な定義も、国勢を把握するための戸籍情報の管理も、国家単位では行われていない。

各都市においてそれぞれがバラバラの手法で自治を運営しているに過ぎない。

だが国として成長するということはつまり、そう言った『雑な管理からの脱却』が前提となる。

何年先の話になるのかは分からないが、いずれはそれぞれの自治エリアに国として共通の管理法が施行されるようになり、市民や村民には『国民』としての権利と責務が課せられるようになるはずだ。

そしてそうなれば必ず『地方自治エリアの確定』が行われる。

要するに『ここからここまでがタミューサ村』という明確な定義が取り決められるというわけである。

また、現在のように『誰のものでも無い土地』つまり、所有者が存在しない土地はすべて国有地という扱いになるだろう。

そうなってしまった後では、各都市が領地を拡大しようとした場合、国から土地を買い上げるということになり、経済力で他の都市に劣るこの村が不利になる状況も充分に考えられる。

エウス村長はそれを見越し、未だこの国が黎明期であるうちに、可能な限り村の拡大をしておこうと考えているのだった。

 

部屋の窓から見える庭で、村長の妻であるマーウィンが洗濯ものを干していた。

その傍では養子であるエオアが、弟のアワキアをあやしながら遊んでいる。

 

「キスビットはこれからどんどん変わるだろう。それは私や君たちが生きる今この時代だけの話ではなく、あの子たち、そしてその子ども、孫の世代にもずっと続いていく。そのときのために、出来ることをしておこうと思ってね」

 

ラニッツは正直、村の面積を広げることに疑問を感じていた。

タミューサ村は現在、人口からすれば手に余るほどの広さを有している。

柵を広げたところで満足な開墾はできず『荒れた村はずれ』が拡大していくだけなのだ。

しかも一言で『柵を広げる』と言ってもそれはかなりの重労働であり、危険を伴うものだった。

だがエウス村長の話を聞き、その意図が理解できた今、この任務の重要性をしっかりと胸に刻みつけることができた。

 

「つまり、魔獣が出没するエリアまで柵を広げると、そういうことですね」

 

タミューサ村の北部には草原が広がっており、そのまま更に北上を続けるとウーゴ ハック山脈のふもとに辿り着く。

その山麓には鬱蒼と木々が生い茂る密林地帯があり、そこには様々な魔獣が生息していた。

本来なら、密林に入り込むような真似さえしなければ魔獣と遭遇する確率は極めて低い。

しかしここ最近は草原エリアでの魔獣目撃情報が多くなっているのだ。

 

「彼らの棲家すみかは密林地帯のはずなんだが、なぜかこちら側に出てくる個体が増えているようなんだ。できれば共存したいところだが、なにせ相手は魔獣だ。申し訳無いが、ここは我々の勝手を優先させてもらおうと思う」

 

エウスオーファンの『できれば共存したい』という発言に、エコニィは思わず微笑んだ。

図らずも、ふふっと声を出して。

 

「どうかしたかね?」

 

「あ、いえ、村長らしいなと思って・・・。相変わらずお優しい」

 

エコニィのこういう笑顔は、なかなかに珍しい。

別にいつも不機嫌だということでは無いのだが、愛想を振り撒くわけでもない。

サバサバとした、事務的な印象を受ける。

そんな彼女がたまに見せる笑顔が、ラニッツを惹きつけたひとつの要因でもあった。

 

「もしかしたら魔獣も、何か原因があって密林を追われているのかもしれません。可能であればそのあたりの調査もしてみようと思います。もし原因が解決できれば、いたずらに魔獣と戦わなくて済むかもしれませんから」

 

任務の内容を把握し、退室したラニッツとエコニィが、庭にいたマーウィンに挨拶をして帰ってゆく。

その背中を窓越しに見送りながら、エウスオーファンの心はとても高揚していた。

 

過日、キスビット近海で船が沈んだことがあった。

その積み荷の中にはこの国の固有種である猛獣が積み込まれていた。

奇しくも船の沈没によって付近の無人島へ辿り着いたその猛獣は、すぐにその地を自らの縄張りとして島の生態系の頂点に君臨した。

それは当時、その島を有事の際の拠点としていたタミューサ村の人間にとって厄介なこと極まりない事故だった。

背に腹は代えられないということで、エウスオーファンは島の猛獣を退治することになったのだ。

 

「私らしい? 優しい? いや。それは君らの方さ。魔獣と戦わなくて済む方法、か。そんな発想ができる若者がこの村に居てくれるというだけで、私は果報者だ」

 

 

翌日、遠征の準備を終えたラニッツとエコニィは北へ向かって出発した。

交際を始めたとはいえ、二人きりで長時間行動を共にするのは実質的に今回が初めてである。

任務に真剣で忠実なラニッツはどう思っているのか分からないが、少なくともエコニィはこの旅程でお互いのことをもう少し知り合おうと考えていた。

 

「ねぇ、ラニッツはさ、エウス村長にどんなご恩があるの?」

 

エコニィがエイ マヨーカから脱都してタミューサ村に来たとき、既に村の幹部的な地位に居たラニッツ。

どのような経緯で彼がこの村に来たのか、それはエコニィの知らないことだった。

 

「私は、子供の頃に命を助けて頂いたんです。当時のキスビットにはひどい差別があったでしょう? 私も例に漏れずでした」

 

身寄りの無かったラニッツは、同じアスラーンのよしみでマーウィンが面倒をみていた。

その折り、不運にも人間の標的になってしまい、重傷を負うことになる。

瀕死の重傷を癒すため療養中のところに更なる追い打ちが掛かり、マーウィン共々もはや絶体絶命の窮地、というところをエウスオーファンに救われたのだった。

それはラニッツがまだ5歳くらいの頃で、自分の記憶に周囲からの伝聞を加算して補完されたエピソードであるため、詳細な事実は定かではない。

しかし『エウス村長が命懸けで自分を救ってくれた』という真実は、ラニッツの胸に深く刻まれていた。

 

「あのとき私を救ってくれたのが、例えば他の妖怪だったなら、きっと私は今ここには居ないでしょう。人間を憎み、忌み嫌う妖怪の一人だったに違いありません。人間である村長が、妖怪や精霊たちと協力して戦ってくれたからこそ、今の私が在るのです」

 

ラニッツがエウス村長に対して抱く思いは尊敬を越え、崇拝と呼んでも差し支えないほどのものだった。

その理由が聞けて、エコニィは素直に嬉しかった。

しかしふと、ある疑問が浮かんできた。

 

「ん? でも待って? そのとき5歳だったんでしょ? それが、村長が20歳のときだから、今から36年前・・・えっ!? ラ、ラニッツって、40歳なのッッ!!?」

 

エコニィは頭の中で計算をし、意外過ぎる答えに辿り着いて驚いた。

少しくらいは年上かもしれない、下手をしたら年下かもしれない、そんな風にラニッツのことを見ていたのだ。

 

「はい? ええ、今41歳ですけど?」

 

種族の特徴として、均整のとれた美しい骨格を持つアスラーンには、比較的端正な顔立ちが多い。

確かにどちらかと言えば同年代の人間よりも若く見えるような気もする。

しかし、それにしたって41歳とは・・・。

するとまた別の疑問も湧いてくる。

 

「え、じゃあちなみにマーウィンさんは?」

 

これまで特に年齢について話題にしたことなど無かったが、自分の見立てでは30代だろうと踏んでいた。

エウス村長はずいぶん年若い奥さんをもらったな、と思っていたのだ。

しかし5歳のラニッツを親代わりとして面倒見ていたと聞けば少なくとも50代ということになる。

 

「えぇと、確かあの当時が23歳だったと聞いていますので、現在は59歳かと」

 

もちろん妖怪にも個人差はあろう。

しかし、改めて種族の差について驚きを隠せないエコニィだった。

今は歴史から消え去った過去、種族差別が横行していた頃、人間だけの単一種族で構成された閉鎖的社会で育ってきたエコニィにしてみれば、他の種族のことを詳しく知る機会は少なかった。

ちなみに、現在のキスビットでは種族間での交流は当たり前となっており、このような種族ごとの違いについても常識的な知識として普及している。

つまり、修復された歴史を歩んできた国民たちは種族ごとの違いを当然のこととして受け入れ、相互に分かり合っている現状がある。

しかしその現状を望み、そのために過去に遡って歴史を修正した当人たちは逆に、現行の常識を知らないという歯痒い状況なのだ。

 

「あ・・・あの、では私からも、質問を・・・よろしいですか?」

 

目を泳がせながら、ラニッツが上擦った声で問いかけた。

よほど緊張しているらしい。

 

「よ、よく考えたら、私、その、エ、エコニィの、歳も・・・知らないので・・・」

 

ラニッツは自分でもなぜこんなに緊張してしまうのか分からなかった。

とにかくエコニィのこととなると全ての言動がぎこちなくなってしまう。

普段は合理的かつ効率的な思考と分かりやすい解説、流暢りゅうちょうな説明に定評があるラニッツ。

しかしエコニィを前にした彼に、そんなスマートな印象は皆無であった。

 

「あ、そっか。そうだったわね。あははっ。おっかしいの!」

 

彼女が声をあげて笑うことは、ずいぶん稀だった。

自分でもそれに気がついたのか、ハッとして小さく咳払いをし、そして言った。

 

「ごめんね。私たち、本当にお互い何も知らないなって思ったらおかしくてさ。じゃあ改めて自己紹介しよっか? 私はエイ マヨーカ出身の人間、エコニィ。母親は物心ついたときには居なかったから知らないけど、父親が王都正規軍の剣術指南役だったの。それで16歳から軍に徴用されて5年で脱走、現在に至る」

 

あまりにも大雑把な説明ではあったが、実に彼女らしい自己紹介だ。

 

「つまり21歳。まさかあんたと20歳も年の差があるなんて思わなかったわ」

 

一瞬、敬語を使った方が良いのかとも思ったが、今さら口調を変える方が不自然だと判断した。

ずいぶん年上のラニッツに対してだが、敢えて今までと同じよう、飾らず気を遣わない態度の方が、彼にとっても良いと思えた。

 

「年齢のことはあまり気にしたこともありませんが、そう言われれば確かに、種族ごとの時間感覚にも繋がることですよね。精霊のオジュサなんてああ見えて私より年上ですし。逆に鬼のエビシはまだ16歳です」

 

「え・・・? オジュサが、ラニッツより・・・?」

 

何か聞き捨てならないことを聞いたような気がするが、エコニィは強靭な精神力で聞き流した。

この場でそのことについて言及すると、終わりの見えない認識合わせが始まりそうだったからである。

タミューサ村では、キスビットが差別社会だった頃から多種多様な種族が共同生活を送っており、種族間の違いや価値観の差などはある程度共有できていた。

しかし人間至上主義が敷かれた社会で育ち、村に来てまだ日が浅いエコニィにとって、実は人間以外の種族については未だに謎が多いという状況なのだ。

 

さて、目的のエリアまでは強行すれば1日で行けないことも無かったが、疲労困憊ひろうこんぱいの状況で魔獣と遭遇する危険を避けるため、今回は少し遠回りの川沿いを北上し、テントでの1泊をはさむという旅程だった。

のんびり、とまでは言わないものの少し余裕のある行程であり、特に急ぎ足ということもなかった二人。

特に疲れの色も見えなかった。

 

「ここ、良くない?」

 

川辺で水場が近く、しかし地面は緩くない。

それでいて獣の水飲み場にもなっていない開けた場所は、絶好の野営地となる。

この先に同じ条件の場所があるとも限らない。

予定よりも少し早いが、初日分として充分な距離を移動できたこともあり、二人は野営の準備を始めた。

取り留めの無い会話をしつつの共同作業。

お互いの理解を深め合うのにこれほど適した時間は無い。

やがて空は茜色を徐々に濃くし、そして星の光が目立つようになってきた。

夕食を終えた二人はたくさんの小さな輝きを見上げつつ、ぽつりぽつりと会話を再会する。

 

「だから、父親の七光で正規軍に所属してるのが、すごく嫌でさ」

 

エコニィは昔を思い出し、少し自嘲気味に言った。

実力には自信があったが、しかしそれを弱者に向けて振りかざす軍のやり方には疑問を持っていた。

例え敵であれ、研鑽した力と力、技と技を比べての勝負なら結果がどうあれ納得できるはずだが、しかし当時の軍では『弱い者いじめ』しか経験できなかった。

そのうち自分が何のために必死で剣の腕を磨いてきたのか分からなくなった。

 

「そんなだから私、同期や上官からもすごく疎まれてたのよね」

 

苦笑しながらエコニィは、ぐぐっと伸びをしたあと「あ~あ」と短くため息をついた。

そしてゆっくりと、横に座るラニッツへ体を預け、その肩に頭を乗せた。

 

(~~~~~ッッッ!!!!)

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首筋にエコニィの髪がふわりと触れる。

まるでゴーレムが地団太を踏んでいるような自分の鼓動が伝わってしまわないか、ラニッツは気が気では無かった。

 

「あ、あの、明日はいよいよ任務本番ですし、は、早いですが、寝ましょうか!」

 

そう言うや否やラニッツはすっくと立ち上がり、テントから毛布を1枚取り出した。

 

「ん? 何してんの?」

 

「いえ、ですから、もう寝ましょう?」

 

「うん。それは分かったケド・・・。寝るのはテントで、よね?」

 

「はい。もちろんテントはエコニィが使ってください」

 

「え・・・? あんたは?」

 

「私はここで。火の番も必要ですし」

 

「・・・ラニッツ・・・ちょおっとイイカシラ?」

 

「はい?」

 

エコニィはそう言うと、ラニッツの頬を両手でひたっと包んだ。

視線を外せないよう顔を固定されたラニッツは、ジトッとしたエコニィの目から逃げることができない。

 

「あのね、あんたと私は恋人同士なのよ? わかる?」

 

「は、はい」

 

「なんで別々に寝ようとするの?」

 

「いや、なぜと言われましても・・・」

 

「あんたも一緒にテントで寝る! 良い!?」

 

「はいっ!」

魔女の恩返し

らんさん(id:yourin_chi)トコのクォ様とラミ姐をお借りしましたっ。

少々アダルト表現がありますのでご注意ください。

 

 

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

 

 

「やっと見つけた!私の旦那サマッ!!」

 

美しいというよりは可愛らしいという表現が似合う、まだ幼さとあどけなさが残る顔立ちの少女が突然、抱きついてきた。

 

「えっ? ちょ、だ、旦那様ぁ!?」

 

抱きつかれた当の本人、クォル・ラ・ディマはただただ狼狽した。

美少女と評して不足のない娘に熱く抱擁され、しかも旦那呼ばわりをされている。

女好きである彼ならば喜んで然るべき状況だが、しかしタイミングが悪かった。

なにせ隣には、幼馴染のラミリア・パ・ドゥが居るのだ。

 

「・・・クォ、こちらのお嬢さんは、ドチラサマカシラ?」

 

鍛えられた無駄のないシルエットを保ちつつ、それでいて見事な曲線と柔らかさを兼ね備えた美しき女性武闘家、ラミリア。

彼女は草色の髪を揺らしながらゆっくりと腕を組み、長い睫毛越しに切れ長の目で、射抜くような鋭い眼差しをクォルに向けた。

そんなラミリアの言葉に、少女のやや尖った耳がぴくりと動く。

 

「いや、お、俺様は何も・・・」

 

少し力を入れれば折れてしまいそうな少女の細腕。

クォルは無理に引きはがすこともできず、とにかく理由を聞こうと少女に顔を向けた。

自分の胸のあたりにある少女の頭、その淡い桃色の髪からフワリと甘い香りがする。

少し、ほんの少しだけ、クラッと眩暈がした気がした。

 

(俺様が旦那様? いやいや・・・)

 

軽く頭を振り、この少女のことを思い出そうと記憶をたどるクォル。

しかしこれっぽっちも、全く、微塵も、思い当たるフシなど無い。

 

「なぁ、お譲ちゃん、どういうことか説明してくれねーかな」

 

少女はクォルに抱きついたまま顔を上げた。

その可憐な鼻先が、うつむくように見下ろしたクォルと触れ合いそうな至近距離。

昼間の猫を思わせる縦に細長い瞳孔を配したコバルトの瞳が、視線を外すことを許さない。

そんな少女の熱視線を受け、クォルはシンプルに美しいと思った。

自然と鼓動が速くなる。

 

ここはティラル市街にあるマーケット。

クォルとラミリアは自警団の買い出し当番として、ここに来ていた。

ティラル自警団は文字通り、コードティラル神聖王国の首都ティラルを警護するために組織された集団である。

その昔、王国が戦時下であった折には国王直属の騎士団としてその腕をふるった彼らは、戦争が終結した現在でも自警団として活動をしているのだった。

 

「クォ様、あぁクォ様!お逢いしたかった!本当に!」

 

少し鼻にかかったような甘い声で、少女は歓喜の思いを告げる。

しかしクォルは困惑するばかり。

特に、自分の中に湧き起こる謎のときめきの正体が分からない。

もちろん女性に好意的な態度をとられて喜ばないことなど無いが、しかしどちらかと言えば綺麗系の女性が好みであるクォルにとって、目の前の少女はいくぶん幼な過ぎる。

その表情をしばし見詰めたあと少女は、視線を外し腕を解き、すっと離れた。

 

「・・・覚えて、いらっしゃらないのですね・・・」

 

悲哀に満ちた嘆息とともに吐き出される少女の言葉には、絶望すら感じてしまうほどの落胆が織り込まれている。

瞳にはみるみる涙が湛えられ、そして溢れだした。

理由の無い罪悪感を目一杯に浴びせられたクォルは困り果て、少女とラミリアの顔を交互に見ている。

助け舟を懇願するクォルの視線に、ふんっと息を吐き出したラミリア。

どうやら本当に身に覚えが無いらしいことは、充分に伝わっていた。

 

「ちょっとお茶でもしながら詳しく事情を聞こうかしら? 私たち、あなたのお名前も分からないんだし」

 

 

 

「私はサキ。サキ・ムゥマ・ユーヴァスと申します」

 

少女はラミリアに促されて入った店でミルクを飲み、少し落ち着きを取り戻した。

そしてサキと名乗り、事情を説明し始めた。

数年前、まだ王国とグランローグの戦争が熾烈を極めていた折り、その戦火はティラル市内にも及んでいた。

国王直属の遊撃騎士団だったクォルが、ティラル市内に侵入してきた魔族の撃退に当たっていたときのこと。

 

 

「げっへっへっへ!男は殺せ!女はさらえ!金目の物は残さず奪え!!」

 

「いや!やめて!こないで!」

 

「ほほう、まだ小娘だが、まぁ使えるだろう。よし、連れていけ」

 

「いやあああぁぁぁぁぁぁ!」

 

「待てッ!この俺様が来たからにはお前らの好きにはさせないぜッ!」

 

「おいおい、微塵の魔力も感じないが、普通の人間がこの俺に刃向かうのか?」

 

「戦時のどさくさで一般市民に手を掛ける魔族、ゆるさん!」

 

「見ず知らずの小娘のためにわざわざ命を張るとは、度し難い馬鹿よな」

 

「この(国の)女は(もれなく全員)俺様んだッッ!!!」

 

「ぎゃー!ば、ばかな・・・この俺がただの人間に・・・」

 

「大丈夫かいお譲ちゃん」

 

「騎士様!ありがとうございます!好きです抱いて!」

 

「はははッそれはお譲ちゃんが大人になったらな!」

 

「ああ騎士様!せめてお名前を!」

 

「名乗るほどのモンじゃねぇよ。さ、あとはこのクォ様に任せて、安全なところへ逃げな」

 

「クォ様!約束ですよ!私が大人になったら!大人になったらお嫁にもらってくださいね!」

 

「はははッ!アディオス!」 

 

 

「ということがあったのです。あれから3年、ずいぶん探しましたわ、クォ様・・・」

 

とても大雑把で乱暴な説明だったが、有り得ない話でも無かった。

グランローグ国では女性が生まれる確率が極めて低く、戦時の混乱の中で他国から女性を攫ってゆくことも、考えられ無くは無い。

また市街戦においてクォル達が守った一般市民は数知れず、その中の一人にこのサキが居たとしてもおかしくはない。

更に言えば、クォルが吐きそうなセリフまでオマケに付いてきている。

残る問題はただひとつ、当事者であるクォルがこのことを全く覚えていないことだった。

 

「あんた、本当に覚えてないの?」

 

じっとりとした湿度の高いラミリアの視線に脂汗をぬぐいつつ、クォルは首を横に振った。

そんなラミリアに、より粘度の高い視線を向けるサキ。

不快指数が天井を振り切るほどまとわりつくその視線に、辟易とした表情をあらわにするラミリア。

座席は、クォルの横にサキ、二人の向かいにラミリアという配置だった。

つまりクォルからはサキの表情が見えていない。

 

「全っ然覚えてねぇ・・・。市街戦だろ? あン時は前線を押し返すのと市民を守るので、正直いっぱいいっぱいだったしな。お前も分かンだろ?」

 

もちろんラミリアもそのことは承知していた。

あの混乱の中で、助けた市民の顔を覚えていることは難しいだろう。

しかしサキの言うような会話があったのなら、今まで忘れていたとしても思い出すことはできそうなものだが。

 

「なぁサキちゃん、それホントに俺様だったのか?」

 

クォルは困ったようにサキの方を向いた。

それまで敵意というか呪怨というか憎悪というか、そんな負の感情がすべからくカクテルされたコールタールのような視線をラミリアに投げかけていたサキは、一瞬にして表情を豹変させた。

キラキラと輝く瞳にほんの少し涙で潤いをプラスし、頬に僅かな紅潮を差した完全無垢な少女の顔。

 

「はいっ!間違いありません!クォ様です!」

 

(この子、どーゆーつもりか知らないけど、明らかにクォのこと狙ってるわよね。自分の容姿と性質をちゃんと把握して男の人が好きそうな態度でべったり・・・それでいて女の私には敵意ガンガンで包み隠さず裏側を出してくる・・・すごく苦手だわ・・・)

 

過度なスキンシップでクォルと密着するサキに、ラミリアは不安を覚えた。

このまま押されたら、もしかしてクォもこの子に惹かれたり・・・?

そんなラミリアの表情変化を、サキは見逃さなかった。

 

「ねぇクォ様? えっと、ラミ、リアさんでしたっけ? こちらの女性とはどのようなご関係で? もしや・・・恋人・・・」

 

顎に人差し指をあて可愛らしい仕草と上目づかいでクォルに尋ねるサキ。

 

「恋ッ・・・んなワケねーじゃん! ただの幼馴染! 単なる腐れ縁! なっ!?」

 

「そ、そーよ!? 私とクォが恋人? はっ! 全っ然ちがうわよ!」

 

いつもの反応。

いつもの買い言葉。

クォルとラミリアにとって、この手のやりとりは星の数ほど経験してきたことだ。

条件反射といって良いほどの反応速度で恋人関係を否定した。

それを受け、サキの口角がニヤリと吊り上がる。

もちろんクォルには見えていない。

 

「だったらクォ様、恋人はいらっしゃらないのでしょう? 私では・・・いけませんか?」

 

クォルの右手を両手でギュッと包み込み、わずかに膨らむその胸に押し当てながら熱い吐息を洩らしつつ、熱烈にアピールするサキ。

また、甘い香りを感じたクォル。

少し快感を伴ったような不思議な眩暈を覚える。

懐かしさと恋しさ、安心、安寧、安堵、そのどれでも無いような、それでいて全てが当てはまるような、表現しきれないほどの多幸感がクォルの心を満たしていった。

このあまりに露骨な誘惑に、さすがのラミリアも苦言を呈さずにはいられなかった。

 

「あのねサキちゃん、コイツは馬鹿だけど、そんな安い手には引っ掛からないわよ?」

 

自分には絶対に真似のできない『女の武器』をこれでもかと活用してくるサキへの、牽制として放った言葉。

そして何より、無自覚ながら『こんな手に引っ掛からないでほしい』という、願望でも、あった。

 

「あなたには関係ないわ。これは私とクォ様のことなの」

 

今までの、鈴を転がしたような声色から一転、尖った棘のような、鋭利な刃物のような、触れれば無傷ではいられないような、そんな攻撃的な声で、サキはラミリアを一喝した。

百戦錬磨の武闘家であるはずのラミリアが、小娘の一言になぜか言い知れぬ恐怖を覚えた。

心臓を直に握られているような感覚だ。

 

「さ、いきましょうクォ様」

 

ツンと澄ました態度でクォルの手を取り、席を立つサキ。

そしてなんと、クォルは言われるがままフラフラと立ちあがり、サキに付き従うのだった。

 

「ちょっと! クォ!?」

 

慌てて後を追おうとするラミリアに、サキは更に圧力ある言葉を浴びせる。

 

くせに、クォ様をにしないでくださる?」

 

理由の分からないプレッシャーに抑えつけられ、ラミリアは立ちあがることができなかった。

そしてそのまま、サキとクォルは店を出ていくのだった。

 

ラミリアが動けるようになったのは数分後。

原因不明の恐怖感と圧迫感から解放され、深く息を吐いた。

 

(呼び捨て・・・? ・・・あの子、きっと『クォル』という名前を知らないんだわ! 私が言うクォって呼び名を本名だと思ってる。それにあいつは自分で『クォ様』なんて名乗らないし。理由は分からないけど、さっきのあれは全部ウソ。でも、あの子のあれ、どう考えても精神操作系の魔法だったわ。あの手の能力には、クォも私も弱いのよね・・・どうしよう・・・誰かに助けを・・・)

 

そこまで考えて、ラミリアは自分の頬を両手でピシャリと打った。

とにかく、目の前にある現実はただひとつ。

クォルが攫われたのだ。

しかも自分の目の前で。

助けを呼ぶような時間があるとは限らない。

 

「よし!これでやっとあのときの借りが返せるわ!」

 

自身の不安を消し飛ばすように、ラミリアは声を上げ自らを鼓舞した。

色々考えるのは性に合わない。

今すべきことは、クォルの救出なのだ。

 

この場所がマーケットであることと、クォルが有名人であることが幸いした。

なにせ市民からしてみれば、自分たちを護ってくれる自警団の団長サマであり、誰にでも分け隔て無く明るく接してくれる気の良いお兄さん、それがクォルなのだ。

道行く人々に尋ねれば、すぐにクォルとサキが向かった方角は判明した。

したのだが。

 

「参ったわね・・・」

 

そこはいわゆる『宿屋街』だった。

恐らくはこのうちの一軒に部屋を取っているのだろう。

しかしざっと見る限りでも十数軒が乱立している。

 

「どうしろってのよ・・・」

 

気ばかりが焦る。

市場が賑わう時刻であるとはつまり、宿屋周辺の人通りが少ないことを意味していた。

これから宿泊しようとする者ならもっと遅い時刻に、宿泊して出かける者はもっと早い時刻に動くものだ。

これから全宿に入ってしらみつぶしに尋ねて回るしか無い・・・?

イライラとした焦燥感はやがて怒りへと変わり、ラミリアはついつい叫んでしまった。

 

「ドコに居んのよ馬鹿クォォォーッッッ!!!!」

 

「んだとラミてめぇ俺様のどこがバカだッ!!!」

 

図らずも耳慣れた悪態が返ってきた。

声の方向に目をやると、宿屋の二階の窓から身を乗り出したクォルと、そのクォルをグイッと室内に引っ張り込むサキの姿が見えた。

 

「見つけたわ!クォを返して!」

 

と、勢い込んで部屋に押し入ったラミリアはボッと赤面することになった。

よく考えればさっき窓から見えた姿も、こうだった。

クォルは上着を脱いでおり、上半身が裸なのだ。

しかしその金色の瞳に意思は宿っておらず、茫然と立ち尽くしているだけだった。

 

「まったく、呆れた精神力だわ」

 

不機嫌そうに、サキが言う。

彼女が普通に服を着ていることで、ラミリアは少なからず安堵した。

間に合った、と思った。

しかし安心するのは、この事態を収拾してからだ。

今はとにかく目の前で物憂げな表情を浮かべるこの少女を、どうにかしなければならない。

 

「一体どういうつもり? サキ、あなたは何者なの?」

 

警戒を解かぬまま、ラミリアは間合いを取りつつサキに尋ねる。

 

「さっきの話ね、半分は本当なのよ? 私はこのヒトに命を救われたの」

 

不貞腐れた態度のまま、しかしサキは真実をラミリアに打ち明けた。

もうどうでも良いという風に、ぶっきらぼうに、投げやりに。

 

「あの戦争のとき、ってのは本当。場所はここじゃなくて、グランローグ付近の山中だったけどね」

 

妖怪や精霊の異種族間交配が進み、多種多様な新種族を『魔族』と一括りで呼称するしかないような状況のグランローグにおいて、サキとその家族もまた特殊な能力を持っていた。

しかしそれは『自らが発する言葉にある程度の力を与える』という、いわば言霊のようなもので、一時的に対象の感情を縛ったり、簡単な命令ができる程度のものだった。

戦闘に向かないこの能力と、なにより優しい性格から、サキとその家族はグランローグが各地に戦を仕掛けている状況から逃れるために国境を超え、人里離れた山中に隠れて暮らしていたのだ。

そこに、コードティラル神聖王国の斥候部隊が現れた。

 

「銀色の刃が鞘から引き抜かれてキラキラ光るその動きが、とてもゆっくり見えたわ」

 

フンと鼻を鳴らしながら、サキは続ける。

戦時、敵国の兵に見つかった場合は殺されるのが当たり前。

しかもこの戦争にはいわゆる『両者に正義がある』わけでもないことは理解していた。

グランローグが一方的に争いを仕掛け火種を撒き散らしているのだ。

そして自分がそのグランローグ国民であることも、承知している。

子供ながらに、魔族という一括りが人間から攻撃の対象となることも、頭では分かった。

しかし理性で考えることと、死の恐怖を克服することはイコールでは無い。

望むべくは、苦しまずに一瞬で殺してくれる腕を、目の前の兵士が持っていることだけだった。

しかし。

 

「おっと待った! 待てって! その子はどう見たって民間人だろ!?」

 

「魔族に民間も何もあるもんか! しかもこいつは魔女だぞ? いつか新しい魔族を生んで、俺達を殺しに来るかも知れん」

 

「もしそうだとしても、そりゃそんトキに戦えば良いだけの話だ。この子の命は俺様が預かる。一切手出しは許さねぇからな」

 

「一体何の権限があってそんな身勝手を・・・お前、敵を庇うって言ってるんだぞ? 分かってるのか?」

 

事情はよく分からないが、兵士間での諍いが発生したようだ。

水色の髪をした青年が自分を助けようとしてくれている。

 

(このときのサキが知る由も無かったことだが、伝聞ではなく戦況を直接把握するため、クォルは身分を隠し斥候部隊の一般兵に混じって行動していたのだ。だが、ここでしぶしぶ階位を振りかざすことになる)

 

「国王直属遊撃騎士団の団長、って権限じゃ足りねぇか?」

 

そう言いながら青年は、国王から直々に拝領した騎士勲章を取り出した。

兵士は目を見開き、そして恭しく敬礼した。

 

「騎士団長様とは・・・知らぬこととは言え大変失礼いたしました!」

 

「良いンだよ。お前の責任感も愛国心も、充分伝わったぜ。 だが民間人には手出し無用だ。 これだけは忘れないでくれ。 これは国を護るための戦争で、決して殺し合いじゃあ無いんだからよ」

 

このあとサキとその家族は、クォルの協力で戦争の影響が少ない場所へ居を移した。

しかしその後、クォルの予想を遥かに超えた戦禍は、サキたちの移住先までをも飲み込んだのだった。

 

「家族はみんな死んだわ。私は運良く生き残ったけどね。で、戦争が終わってから山を降りてみたけど私の行き場所なんて無かったし。 このヒトの言った『国王直属遊撃騎士団』って言葉だけを頼りにティラルに来てみたけど、戦争が終わったときに解体されたんですって? 探しても見つからないはずよ。 私も苦労が祟ったのか、あの頃は真っ赤だった髪も今じゃこんな色・・・このヒトが私を覚えて無いのも仕方ないけどね」

 

可憐で無垢な少女の面影はもう消えていた。

本来であれば経験する必要の無い苦労を味わってきた者特有の、何かを悟ったような表情でサキは言った。

 

「でも、偶然とは言えようやく見つけてみたら、この有様よ。 笑っちゃうわ」

 

「・・・どういうこと?」

 

自嘲するサキに、ラミリアが尋ねる。

事の経緯は分かったが、今の状況がいまいち掴めない。

 

「さっき窓からあなたに叫んだ時だって、私の支配下にあったハズなのよ? まぁ、説明するより、見てもらった方が早いわね」

 

サキはそう言うと、光の無い瞳で茫然と立ち尽くしているクォルに囁きかけた。

 

「右手を上げてみて?」

 

すると、今まで直立不動だったクォルの右手がスゥッと挙げられた。

サキがチラッとラミリアに視線を送る。

 

「3回まわって、ワンと鳴いてみてくれる?」

 

クォルはその場でクルクルと3周し、そして「ワン」と言った。

次にサキは、ゆっくりとクォルに近づき、その逞しい腰に腕をまわした。

そして。

 

「ねぇ・・・抱いて?」

 

ラミリアが驚いて制止しようとするよりも先に、クォルに異変が見て取れた。

全く動かないのである。

サキはラミリアに向かって小首を傾げ、更に行為を続けた。

クォルの割れた腹筋に舌を這わせ始めたのである。

 

「ちょっ・・・な・・・」

 

ラミリアは声にならない声を上げ、しかしその官能的な一部始終を見守った。

クォルは動かない。

いや、小刻みに震えている。

 

「私を、抱いて?」

 

サキがまた言った。

すると、クォルの口が微かに動いた。

 

「・・・ラ・・・み・・・ラミ・・・」

 

ここでサキはクォルからスッと離れ、ベッドに腰を下ろした。

同時にクォルの強張っていた体の緊張が解けるのが、ラミリアには分かった。

 

「ね? こんな屈辱ってあるかしら。 そりゃ元々私の能力はそんなに強い方じゃないし、強靭な精神力で跳ね返されちゃうことだってあるわよ? でも、こんなに簡単に操れるにも関わらず、私をテコでも言うこと聞かないってどういうことよ」

 

不満を絵にかいたような膨れ面で、サキは言った。

そして値踏みするようにラミリアをねめつける。

 

「あーあ、せっかく運命の再開だと思ったのに。 まぁ、このヒトが私の恩人であることは変わり無いし、恩返しの一つでもしてから消えようかしら」

 

「???」

 

 

 

しばらくして、この部屋から絶叫が響き渡った。

 

「きゃああああああああああああッッッッ!!!!」

 

「うおおおおおおおおおおおおおッッッッ!!!!」

 

「何ナニなんでっ!? 服!私の服! こっち見んな馬鹿ぁぁぁ!!!」

 

「ちょ、ラミ、え!? 俺様、何で? えぇ!? ぐあああああ!!!」

 

 

 

廊下ではサキが驚きを隠せない表情をしていた。

 

「嘘でしょ・・・あの二人、この状況でもくっつかない? それなのに私が入る隙が無いとか、ホント馬鹿にしてるわ・・・もう。 あーあ、帰ろ・・・」

 

 

そして再び部屋の中。

 

「・・・見た?」

 

「見てない見てない見てないッ」

 

隣の席にサキ、正面にラミリア、そんな配置で座っていた店内。

そこからふと気づけば見知らぬ部屋のベッドの上。

そして目の前にはラミリアが一糸まとわぬ姿で・・・姿で・・・。

 

「見てないったら見てないッ!俺様は何も見てねぇからな!」

 

ブンブンと頭を振りまわし水色の髪を振り乱すクォル。

 

「絶対あの子の仕業だわ・・・」

 

手さぐりでシーツを引っ掴みつつ、ラミリアは記憶を反芻していた。

サキに見詰められ、服を脱ぐようにされたことは覚えている。

しかしそこから後のことがまるで思い出せない。

気がつくと全裸のクォルが自分に覆いかぶさっていたのだ。

 

「これのドコが恩返しなのよ・・・」

 

「な、なぁラミ・・・一体どーゆー・・・」

 

「こっち見んなこっち向くなあっちいけぇー!!」

 

「わわわっ!」

 

(こーゆーのは心の準備とか雰囲気とか流れとかそーゆーのがッ!)

 

(・・・ラミ、綺麗だっt・・・いやいやいや!俺様は何も見てねぇぞ!)

 

ドタバタしながらお互いにシーツとクッションで体を隠すことができた二人。

しかし状況が状況である。

二人ともまともに顔を合わせることができないでいた。

 

「しっかし、なんだってこんなことに・・・サキちゃんもいつの間にか消えちまうし・・・」

 

「ああ、それはね・・・」

 

ラミリアはクォルに全てを話した。

いや、正確には全てではない。

サキが意図的に能力を使って今の状況を作ったことは、伏せた。

 

「魔力の暴走? か何かじゃないの? あの子、まだ未熟みたいだし?」

 

「そうか・・・」

 

適当に誤魔化したラミリアの言葉に、クォルは生返事を返す。

いまクォルにとってショックなのは、サキの家族が戦禍に巻き込まれて亡くなっていたという事実だ。

それは、ラミリアにも伝わった。

 

「俺様がもっと安全なところに案内してりゃ・・・」

 

「クーォ? そんなこと、今さら後悔したってしょうがないでしょ?」

 

思いつめた表情のクォルに、ラミリアは励ましの声をかける。

しかしクォルの態度は変わらない。

普段はこういう面を全く表に出さないクォルだが、正義感と責任感が強くなければ団長など勤まろうはずもない。

今はそれが自分自身を責めることになってしまっている。

ラミリアは、そこそこ本気でクォルの頭を、殴った。

 

「ッ痛えぇー!! 何すんだラミィ!!」

 

「あんたがいつまでもくだらないことでウジウジしてるからでしょ!」

 

「くだらないって何だ! 救えたかもしれない命なんだぞ!」

 

「もう過ぎたことじゃない! それを今あんたが悔やんで何になるの!」

 

感情に任せた怒鳴り合いの末、ラミリアはクォルの両肩を掴んでベッドに押し倒す形になった。

 

「少なくともあんたのお陰であの子は今も生きてる!それで良いじゃない!」

 

「・・・お、おう・・・ちょ、ラミ・・・」

 

「あんたがそのことで自分を責めるのを、あの子が望んでると思うの!?」

 

「あ、いや、うん・・・」

 

「何で目ぇ瞑ってんの!? 私の目を見て聞きなさい!」

 

「オレサマ ナニモ ミテナイ・・・」

 

「え? ・・・!!? きゃあああああああ!!!!!!!!!!!」

 

ギュッと目を瞑った顔面にラミリアの肘が振り下ろされ、クォルの意識は再び本人から離れていった。

 

 

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元々サキュバスという設定で書き始めたのでこんな名前ですが、書いてるうちに当初の予定と全く違う方向に進んでしまいました。