エスヒナの特殊能力

「ん~・・・参ったナァ・・・」

 

暗く深い穴の底から、小さく丸く切り取られた空を見上げつつ、エスヒナは溜息をついた。

自分の行動に対して後悔することはそう無い彼女だが、少なくとも今は、数分前の自分の軽率さを悔いていた。

それは背中に突き刺さる視線のせいかもしれない。

 

「だから言ったのに・・・ぐすん・・・」

 

膝を抱えて座り込み、鼻をすすりながら半べそで非難の声を上げたのは、親友のアウレイスだった。

 

 

 

エスヒナがタミューサ村の仲間になって数か月が経過した頃。

村に来た時期も年齢も近いアウレイスとエスヒナは、二人で居ることが多かった。

と言うよりも、対人恐怖症で引っ込み思案のアウレイスを、明るく元気で物怖じしないエスヒナが引っ張り回していると言った方が正しいかも知れない。

その甲斐あってか、これまでなかなか村に馴染めないでいたアウレイスも徐々に周囲に心を開くようになり、笑顔を見せることも多くなってきた。

この笑顔に心臓を貫かれし者共が密かにアウレイス親衛隊を結成するのは数年後のことである。

 

さて、エスヒナにしてもアウレイスにしても、エウスオーファン村長に受けた恩は言い表せないほど大きく、早く恩返しがしたいと常々考えていた。

特にエスヒナはその意識が強く、積極的に村の仕事に携わろうとしていた。

村では農耕に従事する人数が最も多く、それはそれで非常に重要な仕事ではあった。

しかし実際のところ『農業の手は足りている』という状況であり、本当に人手が欲しいのは、村の外を調査するレンジャーだった。

種族差別による迫害を逃れる民をより多く招き入れるためには、村の拡大が必須となる。

そのためには、家畜を襲う魔獣の出没状況や、家畜化できる動物の生息域、食用になる野性の植物や、土地の状況を把握することが不可欠なのだ。

これら現村域の外側の情報を収集し、少しずつ拡大していく。

それがタミューサ村の、エウスオーファン村長の戦略だった。

 

だが域外調査には危険が伴う。

未知の魔獣、有毒の昆虫や植物など、常に危機と隣合わせの任務だった。

だからこそ身体能力が高かったり、特殊な能力を持つ者にしか域外調査は任命されず、元々そのような人材が少ないこの村では調査隊員が常時不足していた。

この状況は、エスヒナもアウレイスも承知している。

しかし笄年けいねんそこそこの子供である彼女らが調査隊員に抜擢されるはずも無く、志願したところで却下されるのが目に見えていた。

実際に手を挙げたエスヒナは何度か「もっと大きくなったらな」と大人たちから苦笑されている。

 

そんなある日。

 

「アウリィ! あたし閃いちゃった!」

 

川で汲んだ水がなみなみと入った桶を抱え、村へ戻る道中。

エスヒナが目を輝かせながらアウレイスに言う。

 

「もうちょっとしたらダイコムさんが結婚するじゃない?」

 

いま抱えている新鮮な水の届け先、農夫のダイコム。

彼は数日後に花嫁を迎える予定だった。

桶から視線を外すと水をこぼしてしまいそうで、エスヒナの方を向かないままアウレイスが応える。

 

「そうね。ミィニの花が無いのは残念だけど。それがどうしたの?」

 

状況的には簡素で質素な式にはなるだろうが、それでも村人同士の婚姻は村を挙げて祝うほど喜ばしいことだ。

それが、この種族差別が横行する国において異種族同士の結婚であれば尚更である。

キスビットでは古くから結婚式で『ミィニの花吹雪』を行う習慣があった。

ミィニと呼ばれる植物の真っ青な花弁を、新郎新婦に降り注ぐように投げるのだ。

しかし、ミィニが自生している場所はタミューサ村から遠く、一般人が気軽に採取できるものでは無かった。

タイミングが合えば域外調査隊が花を摘んで帰ってきてくれるのだが、今回はそれも間に合いそうに無かった。

 

「ダイコムさんのミィニ、あたしたちで採ってこよう!」

 

「ええぇっ!?」

 

ちゃぷん。

アウレイスが驚いてエスヒナに顔を向ける。

少しだけ、水がこぼれた。

 

「だ、だめよ。ミィニが咲いてるところはとっても遠いし、危ないもの」

 

困惑した表情のアウレイスに対し、宝物でも見付けたかのように顔を輝かせたエスヒナが返す。

 

「だから良いんだよ! あたしたちのこと、認めてもらおう!」

 

二人だけでミィニの花を採って帰れば、結婚式のお祝いになることはもちろん、大人たちに自分が調査隊として働けることを認めてもらえる、とエスヒナは考えた。

アウレイスは渋々ながらエスヒナの無謀なアイデアに付き合うことにした。

ここで引き止めたとしても、彼女は1人で行ってしまうという確信があったからだ。

それでも、やるとなったら全力で臨み万端の準備をするのがアウレイス。

村人たちから『それと悟られないように』ミィニの自生場所を聞き出し、簡単な地図と最適なルート選定までを行った。

 

「すっごーい! さっすがアウリィ! ありがとう!」

 

「こ、このくらい普通よ・・・」

 

満面の笑みで真っ直ぐに褒められ、嬉しさと同じくらい恥ずかしさを感じて俯いたアウレイス。

それが照れ隠しだと分かっているエスヒナは、白い歯をのぞかせて「イヒヒ」と笑った。

こうして、二人の少女は祝いの花を摘むために村を出発した。

 

「ねぇアウリィ? ちょっと地図見せて?」

 

しばらくするとエスヒナが首をかしげながら問うた。

そしてアウレイスが差し出した地図としばらくにらめっこし、言った。

 

「何でこんなに大まわりしなきゃいけないの? ここ真っ直ぐ行った方が近いじゃん」

 

確かにエスヒナの言う通り、アウレイスが作成した地図では村からミィニの花園まで大きく迂回するルートが示されていた。

ちょうどアルファベットのCを描くような行程は、直線距離の3倍ほどになっている。

最短ルートを選べば野宿することなく、日暮れまでに村に帰ることも出来そうに思えた。

 

「真っ直ぐ行って早く採って早く帰ろうよ」

 

「ダメよエスヒナ。ここから先の平原はとっても危険だってみんな言ってたわ」

 

アウレイスが収集した情報によると、迂回すべき平原には『ビットのへそ』と呼ばれる大きな穴が多数存在しているらしかった。

どのような原因でその穴が発生しているのかは未解明だが、穴の規模や形状はまちまちで、大きなものだと村長の屋敷が一軒すっぽりと入るほどのものもあるらしい。

何が危険かと言えば、大きな穴は目で見て判別できるため回避できるのだが、形状によっては、穴の周囲が草で覆われ見えなくなっていて、地面があると思って進んだ矢先に足場を失って真っ逆さま、ということも多々あるらしいのだ。

運悪く落ちた穴が深ければ、命の危険さえある。

 

「つまり、落とし穴ってこと? そんなの気を付けて歩けば大丈夫だよアウリィ」

 

手に負えない魔獣や致命的な毒を持つ虫などではなく、ただの穴が危険の正体であると聞いたエスヒナは、アウレイスが止めるのも聞かず平原を縦断するルートを選択した。

そして案の定、二人は『ビットのへそ』の餌食になってしまったのだ。

 

 

 

「うわっ! わわわっ! ッ痛ぁ~・・・」

 

穴の壁面を登ろうとしていたエスヒナが落ちてきた。

幸いにも穴の底には枯れ草が堆積しており、それが緩衝材となっている。

二人が上から落ちたときもこれのお陰で無傷だったのだ。

もしこの草が無く、穴の底が硬い岩肌だったとしたら、今頃アウレイスもエスヒナも生きてはいなかっただろう。

 

「う~ん・・・登るのは難しいか・・・」

 

とにかく行動で打開策を見出そうとするエスヒナとは対照的に、アウレイスは一生懸命に脱出方法を考えていた。

枯れ草の中から細長いものを選んでより合わせれば、縄が作れなくはない。

しかし地上側から引き上げてくれる存在が居ない以上、縄だけ有っても仕方が無い。

壁面の土は脆くてすぐに崩れてしまうため、登ろうにも先程のエスヒナよろしくすぐに落ちてしまう。

逆にその脆さを考えれば周囲の壁を掘り崩し、穴を底上げしていけばいずれは出られるかもしれないが、ロクな道具も無い状況では餓死する方が先だろう。

考えれば考えるほど絶望的な状況に、アウレイスは目の前が真っ暗になってきた。

 

「仕方ないか・・・あぁ~、嫌だな~・・・でも、うん・・・」

 

万策尽きて茫然としているアウレイスとは別に、エスヒナも悩んでいた。

しかしエスヒナの口調はまるで、貯金箱からお金を出すか出さないかを悩んでいるような、どこか気軽な感じがした。

 

「何か良い方法があるの?」

 

藁にもすがる思いでアウレイスが問い掛ける。

さすがに親友にこんな表情をさせてしまいかなり反省したエスヒナ。

ここは勿体ぶっている場合では無い。

 

「あたしの能力ならたぶんここから出られると思う。でも・・・」

 

続きを言い淀むエスヒナ。

このとき初めて、そう言えばエスヒナの能力について話題にしたことが無かったことに気が付いたアウレイス。

自分の能力が身体の透明化であることはお互いに認識しているが、エスヒナについては聞いたことが無い。

ただ、脱出の可能性を示唆しつつ、しかし歯切れが悪いところをみると、もしかすると発動に何らかのリスクを伴うものかもしれない。

 

「時間がすごくかかるんだ。これから丸一日、待てる?」

 

エスヒナの説明は、こうだった。

彼女の能力は『描いたものに生命を吹き込み使役する』というもの。

何を何にどのように描いても構わないが、ずいぶんと面倒な制約があるのだ。

・必ずエスヒナ本人が描かなければならない

・描いたものには必ず名前を付けなければならない

・描いたものを最低でも1日は可愛がらなければならない

・1日以降、可愛がった時間に応じて描いたものの実体化が持続する

 

「か・・・可愛がる・・・?」

 

アウレイスの素直な疑問に、エスヒナは苦笑いでこたえる。

 

「あはは・・・そだよねぇ・・・何でこんな変な能力なんだろう・・・」

 

そのあと、恥ずかしそうに「笑わないでね」と言ったエスヒナは、足元に落ちていた小枝を手に取り、穴の壁面をガリガリと削り始めた。

一体どんな能力なのか想像できないアウレイスは、とにかくエスヒナの行動を見守ることにした。

そして、普段からどんな状況でも『恥ずかしがる』ことが無いエスヒナが、なぜ自分の能力を発動するにあたってこんなにも恥ずかしそうなのかが気になった。

作業開始からものの数十秒で、は描き上げられた。

 

「・・・できた。さぁ、お前の名前は『くもまるたん』だ・・・」

 

アウレイスには、エスヒナが何を言っているのか、何をやっているのかまるで理解できなかった。

小枝で土を掘り溝を作って線にして、その線で描かれたを『くもまるたん』と呼び、撫で始めたエスヒナ。

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声を掛けようとしたアウレイスだが、しかし次の瞬間、目を見開いて驚いた。

土壁に描かれたが、ピクリと動いたからだ。

初めは目の錯覚かと思ったが、しかしそうでは無かった。

線で描かれた平面的な絵(?)が、次第に立体感を持ちはじめ、そしてついに壁からポンと抜け出してエスヒナにしがみついてきたのだ。

 

「おぉよしよし。可愛いねぇくもまるたん。よしよし。よしよし」

 

エスヒナはモゾモゾとうごめくその物体を胸に抱き、わしわしと撫でている。

 

「・・・えっと・・・あの、エスヒナ・・・それ・・・なぁに?」

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アウレイスはやっとの思いで言葉を絞り出した。

信じられない光景を目の当たりにし、いささか呆けてしまっている。

 

「この子は『くもまるたん』だよ。このまま1日可愛がれば1分くらいあたしの言う通りに動いてくれるの。あ~、よしよし。このまま可愛がるのをやめたら消えて絵に戻っちゃうから、これからあたし手が離せないけど」

 

自分の頭ほどの大きさをした何かを撫でながら、エスヒナは言った。

そして頬を赤らめつつ、口を尖らせて続ける。

 

「あたし本当はこの能力、使いたくないんだよね・・・へたっぴだから・・・」

 

それはアウレイスにも伝わっていた。

現にいま目の前に出現したが何なのか分からない。

強いて言えばイガグリが近いような気もするが、正体について言及しない方が良いと判断したアウレイス。

エスヒナを傷つけることになるかもしれない。

 

「で・・・どうやってここから出るの?」

 

エスヒナに甘えて(?)いるモノには触れず、アウレイスは脱出方法に話題を切り替えた。

こういう気遣いはさすがである。

 

「可愛がる時間が1日だと動けるのは1分くらいなんだけど、くもまるたんなら1分もあればこの穴から出られるよ。はいはい、よしよし。あ~可愛いねぇよしよし。穴から出たらくもまるたんがあたしたちを引っ張り上げてくれるから」

 

謎の物体を撫でたり揉んだりしながら言うエスヒナの言葉の意味はやはり分からず、ただ頷くことしかできないアウレイスは、とにかく、脱出できるというエスヒナの言葉だけを信じようと思った。

 

そして夜が来て、朝になり、やがてくもまるたん誕生から1日が経とうとしていた。

 

「よし、そろそろいけるかな? くもまるたん、良い?」

 

エスヒナが声を掛けると、この世のものとは思えない「ゲゲギジャアァー♪」という声とも音ともつかない返事(?)をしたくもまるたんが手(?)か足(?)かよくわからない部位を挙げた。

 

「じゃあくもまるたん、この壁を登ってあたしたちを引っ張り上げて!」

 

「ギャジャアッ!」

 

「・・・」

 

外見からは想像もつかない俊敏さで、くもまるたんは穴の壁面を登っていった。

 

「おっ! 思ったより早いなぁ。いいぞくもまるたん!」

 

ものの10秒足らずで穴から這い出たくもまるたんは、その頭(?)なのか胴体(?)なのか分からない部位から白い紐のようなものを射出した。

それはスルスルと穴の底まで届いた。

 

「じゃあアウリィ、先に行ってね」

 

アウレイスが恐る恐る紐状のそれに触れると、粘性があることが分かる。

若干、いや、結構な気持ち悪さがあるものの、背に腹は代えられない。

意を決してアウレイスがギュッと紐を掴むと、力強く引き上げられた。

意外なほど簡単な脱出劇だった。

アウレイスに続きエスヒナも引き上げられたタイミングで、制限時間が来た。

くもまるたんがスゥーッと透けていく。

 

「ありがとう! 助かったよ!」

 

消え去るくもまるたんに感謝の言葉を叫ぶエスヒナ。

相手が未確認生物でなければ感動的なシーンだったかもしれない。

 

「と、とにかく出られて良かったわね。ありがとうエスヒナ」

 

「ううん。あたしの無茶で危険な目に遭わせてごめんねアウリィ」

 

こうして、少女二人の花摘み作戦は失敗に終わった。

 

 

 

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これまで語られることの無かったエスヒナの特殊能力が登場するエピソードです。

キスビットにおいては、人間のシックスセンス、妖怪の呪詛、精霊の加護、有翼人の魔法以外に慾滓よくしと呼ばれる特殊能力を持つ者が居ます。

慾滓は、言うなれば『叶わなかった願望の集まり』です。

 

キスビット人は『人の願い』を物質的に捉える考え方をします。

例えばこの世界に水が存在するのは『水が欲しい』と思う人の願いがあるからで、もし仮にこの世の誰も『水が欲しい』と思わなかったらならば、水は存在しないという考え方です。

人の願望が質量を持ち、水に変換されている、というようなイメージです。

つまり、願望はそれが叶うときに、叶うための物質や運動、熱量などに変換されて消費されるのです。

 

しかし残念ながら叶わない願望も、この世には多くあります。

そんな『叶えるための正しい変換がされなかった願望』は、その内容ごとに集積され凝縮されていきます。

そして超常的な現象を引き起こすまでに至った願望の塊は、次に同じ願望を抱いた者に強制的に注ぎ込まれ、特殊能力となります。

 

例えば『水が欲しい』と願ったまま、それが叶えられなかった人がたくさん居たとします。

そしてその叶えられなかった願望の量が臨界を迎えると、次に『水が欲しい』と願った者に、水に関する特殊な能力が、慾滓として発現します。

発現する能力には個人差があり、またどのような状況でどのような願望だったのかにも左右されます。

『水が欲しい』という願望だった場合、もしかすると『水を自在に操れる能力』かもしれませんし『何も無いところから水を出せる能力』かもしれません。

『泥水を飲める水に変える能力』の可能性もありますし『対象を乾燥させる能力』になるかもしれません。

 

エスヒナの場合は諸事情により生殖機能を失っており、そのことから『生命を育む』という願望が慾滓となって発現しています。

キスビットメンバーで現在のところ慾滓が発現し使用できるのはエスヒナのみです。

慾滓はキスビット国内のみでの考え方、能力です。

 

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