ラニッツとエコニィ 夜~帰還

焚火の中で小枝がパチパチと立てる音。

川のせせらぎ。

少し離れた草むらからは虫の声。

そして隣から聞こえてくるエコニィの呼吸。

元々アスラーンは夜行性であり、夜になったから寝るというような習慣は無い。

疲労回復の為、必要な時に最低限の仮眠を取るだけだ。

今の状況はラニッツにとって、精神的疲労の極致と言っても差し支えないほど緊張を伴うものだった。

 

「眠れないの?」

 

そんな緊張感はエコニィにも伝わってしまったようで、彼女はラニッツに言葉をかけた。

 

「ああ、えぇ・・・その、そもそも私たちアスラーンは、その、夜に眠るという習慣が・・・」

 

「あ、そう言えばそうだったわね・・・。じゃあ、ちょっと、聞いても良い?」

 

そう言うとエコニィはコロンと寝がえりをうち、ラニッツの方に顔を向けた。

少し乱れた髪が頬にかかっている。

ラニッツは、魅力的を通り越して官能的とも思えるその顔を直視できずにいた。

 

「さっき、何で別々に寝ようとしたの?」

 

エコニィの真っ直ぐな問いに、ラニッツは戸惑った。

どのように返答すれば良いのか分からなかった。

何が正解で何が不正解なのか、エコニィがどんな答えを望んでいるのか。

 

「別にどんな理由でも、あんたを嫌いになんてならないからさ。教えてよ」

 

逡巡を見透かしているかのような言葉とともに、エコニィはラニッツの胸に額を押しつける。

盛大に鳴り響く鼓動はきっと、彼女に伝わっているだろう。

そう思うと、ラニッツはたまらなく恥ずかしかった。

平静を保てない、自分らしくない、そんな思いでいっぱいになる。

 

「ああ、じゃあ私のコトから話そうかな?」

 

言葉に詰まるラニッツに、エコニィは自分の気持ち、思いを話し始めた。

 

「私さ、何て言うのかな、ほら、思ったことをすぐ言うじゃない? あんたはあんまりそういうの、好きじゃないみたいだけど」

 

ずずっと頭の位置をずらしたエコニィ。

二人は横になったまま向かい合う。

普段は髪を結ってポニーテール姿のエコニィだが、就寝時はもちろん解いている。

テントの隙間からチラチラと外の焚火の灯りが差し込み、少し寝乱れたロングヘアを照らす。

揺れるオレンジの光によって、まるでヌラヌラと動いているように見える黒髪が妙に艶っぽい。

そして、近い。

ラニッツはごくりと生唾を飲み込んだ。

 

「昔の話だけどね、軍に居た頃さ、好きな人が居たんだ」

 

突然の意外な言葉に、ラニッツはやや動揺した。

目の前の愛しい人には、自分の知らない過去がある。

そんな至極当然のことに初めて気付かされた。

今まで味わったことのない感情がじわじわと胸を締め付ける。

 

「でもさ、私が好きだって伝える前に、その人は死んじゃった」

 

特に感情を込めるでもなく、淡々と史実を話すように続けるエコニィ。

従軍していればそんなこともある。

いつだって死は隣り合わせ。

ただ、常にそれを意識して生きることは存外に難しい。

 

「すごく後悔してね、私。よく考えたら当たり前のことなんだけどさ。今日と変わらず明日も生きてるなんて保障、どこにも無いもの。だから、いま思ったことは、いま伝えなくちゃって」

 

エコニィの今までの言動がこの死生観によるものだと分かったラニッツ。

しかしそれは、それだけ大きな影響をエコニィに与えたという、その男に対する嫉妬にも繋がるのだった。

この世に存在しない相手への嫉妬。

ラニッツは大きく深呼吸をして、気持ちを落ち着けた。

 

「話してくれて、ありがとうございます」

 

途端に、今までの自分がひどく滑稽に思えた。

分かるはずの無い正解を求めて応対に困ったり、もう存在しない相手に嫉妬したり、およそ理性的とは言えない。

 

「ああ、なんだか本当に、自分が嫌になりますね」

 

ラニッツは苦笑いしながら、そっとエコニィの肩に手を置いた。

先程までの緊張が嘘のようにリラックスしている。

いや、緊張はしているのだが、必要以上に強張こわばっていない。

言うなれば『恐れていない』と表現した方が近いかもしれない。

 

「私は、怖かったんだと思います。あなたが交際の申し出を受けてくれたときから、本当はずっと怖かったんです。生まれて初めて人を好きになって、とてもとても大切に思って、だから、どうしても嫌われたくなかった。失いたくなかった。私の言葉で、行動で、なにか下手を打って、あなたの気が変わってしまったらどうしよう、なんて、ね」

 

ふうっとため息をついたラニッツ。

本音を打ち明けることが、こんなにも心を軽くするとは。

 

「あんた、そんな顔で笑うんだね」

 

穏やかな表情で自分を見詰めるラニッツに見惚みとれながら、呟いたエコニィ。

まだまだ、お互いに知らないことが多過ぎる。

これからたくさん時間をかけて少しずつ知り、理解し、時にはぶつかり、和解し、歩んでいこう。

そんな想いで、二人は抱き合った。

 

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※『キスビット』の表記が『kis u bit』だと知っている方だけ読めるようになっています。

 

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翌朝。

空が白み始め、黒い影でしか無かった草木に色が戻りつつある。

そこにはすでに野営装備をきれいに片付け、旅支度を整えた二人の姿があった。

 

「では、行きますか」

 

「そうね・・・」

 

「あの、だ、大丈夫ですか?」

 

「これでも戦士よ? 鍛えてるからだいじょうううッッ!!!?」

 

「おっと!」

 

足がもつれて転びそうになるエコニィを、ラニッツが受け止めて支えた。

 

「あ、ありがと。もう大丈夫だから・・・」

 

がっしりと肩を抱かれたエコニィは顔を赤らめ、するりとラニッツの腕を抜けて歩き始める。

ラニッツはと言えば、昨日までの挙動不審が嘘のような落ち着き様。

どうも態度が逆転したフシがある。

 

「あまり無理はしないでくださいね?」

 

「分かってるわよっ」

(うう・・・情けないし恥ずかしいし・・・もうっ! 調子が狂うわっ!)

 

今回の目的エリア、密林と草原の隣接地帯は、この野営地からそう遠くない。

この時間から出発すれば陽が頭上を過ぎる前に到着できるはずだ。

前日は何気無い会話のやりとりを交わしつつの行程だったが、今日はお互いに無言のままだった。

魔獣と遭遇するエリアへ向かっているという緊張感からか、はたまた昨夜の出来事が原因か。

黙々と進む二人の視界に、やがて木々が生い茂る密林地帯の輪郭が見えてきた。

報告によれば、このあたりが魔獣目撃の最南端エリアになる。

 

「とりあえず、今のところ魔獣は見当たりませんね」

 

「そうね。足跡や行動の形跡を辿れるかも知れないし、もう少し進んでみよっか」

 

ようやく会話らしい会話をし、二人は密林地帯を目指した。

しばらく進むと、草が踏み折られた跡を発見した。

それは人が大の字で寝転がれるほどの広さで、枯れ草や葉などが寄せ集められている部分もあった。

 

「これ、もしかして魔獣の棲家かしら?」

 

「それにしては新しい・・・もしかすると密林から出てきたばかりの魔獣が作った、仮設住居かもしれませんね」

 

もしこの場所が長期的に使われているとした、染みついて取れない獣臭が残っているはずである。

おかしな表現だが、ここには『魔獣の生活感がうすい』というわけだ。

 

「やはり何らかの事情で魔獣が密林から出てきている、という状況らしいですね」

 

「ちなみに、この仮設住居の主がどんな魔獣か、分かる?」

 

海によって隔てられた陸地には、必ずと言って良いほどその地にだけ生息する固有種が存在する。

世界各国がそうであるように、ここキスビットも例外ではない。

密林地帯には多くの魔獣が生息しているが、この付近で目撃情報があったのは一種のみである。

大ぶりのなたを思わせる刃物のような角を、鼻から額にかけて生やしている大型の草食魔獣『オノドン』だ。

彼らはその巨体に似合わず非常に繊細な神経の持ち主であり、分かりやすく言えば『ヒステリー持ち』だ。

特に凶暴ということは無いのだが、一度恐慌状態に陥ると手がつけられないほど暴れまわる。

凶悪な角を振りまわしながらの突進はまるで竜巻のようであり、周囲をズタズタに切り裂きながら荒れ狂うオノドンは天災と呼べるほどの脅威である。

 

「足跡からすると、中サイズのオノドンだと思います」

 

家主が戻ってくる前に、二人は早足でその場を離れた。

仮とは言え巣に不法侵入してしまっては、怒りに触れないとも限らない。

可能な限り戦闘は避けたいところだ。

 

「私とあなたならば、このエリアに出てきている魔獣を退治することは可能でしょう。しかしそれでは根本の解決にはなりません。密林へ入りましょう」

 

村長からの依頼は魔獣退治だった。

しかしその魔獣が単に草原地帯をウロついているというだけでなく、巣を作っていることを考えるならば、その原因を探らない限り同じことの繰り返しになる可能性もある。

何より魔獣とは言え、彼らには彼らの生活があるのだ。

自分たちの都合でいたずらに殺めて良いはずが無い。

 

二人は周囲を警戒しながら密林に入った。

なるべく身軽に動けるよう、野営道具などの一式は草原エリアとの境界に残し、最低限の装備で探索を開始した。

エコニィも、いつもの大剣を置き、短剣だけを腰に下げている。

 

「オウッ!オオウッ!ホゥッ!」

 

甲高い鳴き声が聞こえた。

割と近距離の頭上から聞こえたその声は、次に少し遠いところから、さらにもっと遠いところから、まるで伝言ゲームのように密林の奥へと次がれていった。

 

「ライハジンの警戒でしょう。彼らは古くからこの地に棲む知能の高い魔獣です」

 

長い手足と尾を持つ人型に近い魔獣『ライハジン』は、器用に樹木の上を移動しながら生活している。

長く生きた個体は魔力を宿しある程度の魔法が使える、という伝説があるほど、ライハジンは高い知能を有している。

唯一、道具を使う魔獣なのだ。

もちろんその行動は原始的であり、硬い木の実を割るのに石を使ったりする程度のものだが。

ただ未だに解明されていない生態も多く、今の鳴き声でのコミュニケーションも、彼らの真意は分からない。

 

「恐らく『侵入者だぞ』というような伝令でしょうが、こちらが危害を加えなければ彼らの方から仕掛けてくることは無いはずです」

 

「詳しいのね」

 

エコニィの感嘆に、ラニッツは照れ笑いしながらタネ明かしをする。

 

「実は、全部エウス村長の受け売りです。村長はお若い頃、この山麓の密林地帯も含めたウーゴ ハック山脈全域を生活エリアにしていたそうですよ」

 

ウーゴ ハック山脈の北部、マカ アイマス地帯には土着の精霊、つまりキスビット人が住んでいる。

エウスオーファンは幼少期から青年期をキスビット人と共に過ごした。

このあたりの山々、密林は、彼にとって庭のようなものだったらしい。

 

「村長によれば、このあたりで遭遇する魔獣はどれも温厚なものばかりだとか。もちろん奥地へ進めばそうも言っていられませんけどね」

 

ライハジンの鳴き声が、遠く近く聞こえる。

それに混じって鳥類だろうか、他の声も多数耳に入ってくる。

木々が鬱蒼うっそうと生い茂っているこの場所は陽の光がほとんど上空の葉に遮られ、昼間でも薄暗い。

また風通しが良くないようで、湿度の高い熱気を保った空気がじっとりと肌にまとわりついてくる。

 

「あんまり長居はしたくない場所ね」

 

飛び交う羽虫を手で払いつつ、エコニィがうんざりした口調で言った。

と、先行していたラニッツの足が止まる。

 

「参りましたね。でも、襲われる前に気付けたのはラッキー、でしょうか」

 

後ろに居るエコニィを手で制するラニッツ。

とぼけた口調とセリフとは裏腹に、凛とした緊張感がエコニィにも伝わった。

ラニッツの視線の先には、見たことの無い魔獣が居た。

 

「アカゲンサンです。鋭い爪と牙を持ち、高い俊敏性と狩り能力が特徴の肉食魔獣で、本来はこんな近場で遭遇するハズの無い相手です。いやぁ、本当、参りました」

 

極めて冷静に、抑揚をなるべく控えた説明の言葉は、もちろんアカゲンサンを刺激しないための配慮である。

しかしその相手は既に前足を低く構え、地響きのような唸り声を上げていた。

完全に臨戦態勢である。

 

「どう、する?」

 

「このままジリジリ後退できれば良いのですが・・・私、目が合っちゃってるんですよ」

 

交わした視線を外した瞬間、弾丸のような勢いで飛びかかってくる様が想像できた。

うかつな行動はできない。

しかし固唾を飲み込んだエコニィの目は、アカゲンサンの頭上に発生する暗雲を見逃さなかった。

ラニッツの能力だ。

 

「えっ、ま、待ってラニッツ! ここで落雷させたら火事に・・・」

 

「もちろんそんなことは、しませんよッッ」

 

そう言うと同時に、暗雲をアカゲンサンめがけてストンと落としたラニッツ。

一瞬にして視界を奪われた魔獣だが、しかしそれがきっかけとなった。

雲を突き破って飛びかかるしなやかな体躯、そして繰り出される鋭利な爪。

だがその場には既にラニッツとエコニィの姿は無く、代わりに輪状のロープが構えられていた。

 

「今です!」

 

「はいよ!」

 

アカゲンサンの首に巻き付いたロープの先は、いつの間にか頭上の木の枝に立っているエコニィが握っていた。

それを素早く巻き上げ、枝に結びつけたエコニィ。

 

「ごめんね、ちょっと我慢してて」

 

枝の真下に居れば首が締まることが無い程度の余裕を持って、ロープを固定する。

 

「この子がまだ小さくて助かりました。さすがに成獣だったら本格的な戦闘になっていたでしょうからね。しかし・・・」

 

「ねぇ、作戦、ちゃんと説明して欲しかったんですけど?」

 

「エコニィなら分かってくれると信じていましたから」

 

頬を膨らますエコニィに、ラニッツはにっこりと笑顔を返した。

もう少し嫌味を言ってやろうかと思ったエコニィだったが、その表情に満更でも無くなってしまった。

 

「さて、近くに親が居るかしら?」

 

「恐らく。さぁしかし、オノドンが草原エリアに出てきていた理由はこれで分かりました。本来もっと密林の奥地に居るはずのアカゲンサンがこんなところに居るのが原因でしょう」

 

高い戦闘力とは裏腹に、オノドンは怖がりである。

肉食獣が自分の活動エリアに侵入してくれば、その分だけ後退するしかない。

 

「じゃあ今度はアカゲンサンがこっちに出てきた原因を探すことになるの?」

 

エコニィが尋ねると、ラニッツは首を横に振った。

二人だけで、しかも軽装というこの状況では、これ以上奥地へ行くのは困難である。

また、本来のアカゲンサンの棲息エリアはキスビット人の管轄とも重なる。

ここは一旦引き返し、状況を村長に報告するのが上策だろう。

そしてタミューサ村から正式にマカ アイマス地域のキスビット人へ書状を送り、混成部隊を組織して調査に当たるのが最も角が立たない方法になるはずだ。

二人はアカゲンサンの幼獣が暴れに暴れ、ロープから脱出するのを確認したあと、草原エリアへ引き返した。

 

 

岐路、エコニィは頭の後ろで手を組みつつ、嘆息した。

 

「あ~あ。戦闘が無かったのは良かったけど、結局何も分からなかったわね」

 

「いえいえ。充分な情報を得ましたよ、私たちは。密林へ入らず草原エリアに出没するオノドンを駆除するだけだったなら、いずれアカゲンサンに追われて出てくる他の魔獣たちも次々と討伐しなければならなくなります」

 

それはそうだけど、と言いかけたエコニィだったが、その言葉を飲んだ。

確かに派手な成果では無いが、間違い無く事態は前進している。

こういう『堅実な一歩一歩』というラニッツの性格も、エコニィは愛しいと思っていた。

 

「そうね。今回は魔獣のこともだけど、それよりラニッツのことをいっぱい知れたから良しとしようかしら」

 

そう言って、ふふふっと微笑んだエコニィ。

しかしハッとしてすぐに言葉を付け足した。

 

「あっ! でも、私が止めてって言ったら絶対すぐ止めてよね!?」

 

「そ、それは、本当に・・・反省してます・・・」

 

お互いに顔が熱くなるのを感じながら歩く。

頬が赤いのを、夕日のせいにして。

 

 

後日、二人の報告が契機となり、タミューサ村とマカ アイマスの混合部隊が編成され、密林地帯奥地の調査が行われた。

その結果、雨による地滑りで岩や大木が押し流され、それが川の支流を塞ぐことによってできる天然の堰堤えんていが原因だと判明した。

つまり、偶然によって形成されてしまった臨時の溜め池が、アカゲンサンの縄張りを奪うことになってしまったようなのだ。

この堰堤を破壊することは易しいが、しかし水量が水量である。

一気に開放してしまうと二次災害の危険性が高い。

そこで、任意で放水量を調節できる水門を設置しようという話になった。

これを機に、タミューサ村はマカ アイマスのキスビット人たちと親交を深めてゆくのだった。