「こ、ここがウチらの・・・新しい事務所・・・」
御徒町に連れられてやってきたその建物を見て、初華は絶句した。
芸能プロダクションと言えば派手で華やかなイメージがある。
しかしどこからどう見ても普通のアパート、いや、普通より古びた感のある外観だ。
以前まで所属していたドレプロが業界でもトップクラスの大手であることは理解しているが、しかしこれほどまでに差があるものなのだろうか。
「建物の見た目はこんなだけど、社長と副社長はすごい人だぞ」
初華の反応をよそに、御徒町は活力が
以前はスーツ姿だったが、今はTシャツの上にジャケットを羽織るだけというカジュアルな出で立ちだ。
新しいプロダクションはそういう社風なのだろうか?
そう言えば、と初華は、スーツではない御徒町の姿を初めて見たことに気がついた。
「初華? さぁ、行くぞ? うーいーか?」
「ッ!? あ、あぁ! ほな行こか!」
「?」
事務所に入ることを促した言葉が耳に入らないのか、ボーっとしている初華に、御徒町は少し大きな声で呼びかける。
ハッと気が付いた初華はぶんぶん頭を振り、大股で歩き出した。
恐らく事務所の入り口であろう扉には、小さくプレートが貼られていた。
【レッドウィング芸能プロダクション】
ごくりと生唾を飲み込んで、初華は扉を開いた。
玄関と呼べるスペースは無く、カウンターと言えば良いのかどうか悩むような横長の棚とパーテーションを無理矢理に扉の前に配置し、玄関らしき空間にしてある。
その棚の奥に事務机が5台、狭そうに詰めて置かれていた。
「あなたが御徒町さんの言っていた、例の初華ちゃんね?」
目の前のパーテーションからひょっこり顔を出した女性に急に声を掛けられ、初華は心底驚いた。
「うひゃあああっ」
女性はくすくす笑いながら前に進み出てきた。
パンツスーツをビシッと着こなしている。
「驚かせてしまってごめんなさいね。はじめまして、
上品な笑顔とスマートな所作で差し出された右手に、初華は恐る恐る右手を差し出す。
「今日からお世話になります、
二人が交わす握手を確認し、御徒町も室内に歩を進める。
「副社長・・・になられたんですよね? ご無沙汰しております。今回は俺と初華を拾ってくださって、本当にありがとうございます」
御徒町は深々と頭を下げた。
口ぶりから察するに、この副社長と御徒町は以前に面識があるようだ。
どんな間柄なのか気になるが、それを訪ねるタイミングを計りかねている初華。
「あら、お礼なら私じゃなくて、主人にね」
丁寧なお辞儀をする御徒町に対して美香は、机の向こう側にある扉を指し示した。
よく見れば【社長室】と書かれたプレートが貼られている。
その文字を初華が読んだタイミングで、扉が勢いよく開いた。
そして中から男性が現れた。
彼が社長だろうか?
「オウフドプフォwww雨哉氏!お久しぶりでゴザルゥwww」
「
「おかちさん社長さんとも知り合いなん?」
ドレプロを離れるにあたり、御徒町は次の行き先に悩んでいた。
初華には簡単に移籍先が見つかるようなことを言ったが、実際はそんなに簡単なことでは無い。
ドレプロ在籍中、当然ながら競合他社である他のプロダクションについての情報は色々と耳にしている。
だからこそ、事務所の仕組みや対外的な勢力図など、気になる点が目に着いてしまう。
とどのつまり、すっかり『中の人間』になってしまった御徒町は、次に所属するべき事務所を決めるには、内部の情報を知り過ぎてしまっていたのだ。
頭では分かっている。
ファンにとってはアイドル自身が応援の、崇拝の、親愛の対象であり、どのプロダクションに所属しているかなどという情報は二の次である。
どんな皿に乗っていようが、それで料理の味が変わることはない。
ただしかし、皿を無くして料理の提供は決してできないのだ。
実際に食べてからの評価は料理の味次第であるが、それを食べたいと思わせるかどうかは皿の役目である。
アイドルとプロダクションの関係とはそういうものだ。
『どこだって構わない』という自分と『今後が掛かっている大事な選択を慎重に』という自分がせめぎ合い、どうにも決断ができない。
「まだ・・・繋がるだろうか・・・」
ぐちゃぐちゃになった思考の中、ふいに思い浮かんだ遠い記憶。
あの人なら何と言うだろうか。
ファンの視点で意見をくれるかもしれない。
御徒町の手は、昔の知り合いに連絡を取ろうと動いた。
「まさか雨哉氏から連絡が来るとはデュフフwww」
「まさかはこちらのセリフですよ赤羽さん。芸能事務所を立ち上げていたなんて!」
「なぁおかちさん、ウチにも分かるように説明・・・」
「オウフwwwまだ未説明とはwww雨哉氏も人が悪いドプフォwww」
「赤羽さんこそ、美香さんとご結婚されていたとは!」
「ちょ、おかちさんてば・・・」
「フォカヌポゥwww
「それは是非お聞きしたいエピソードですね!」
ばんっ!
初華が力任せに棚の天板を叩いた。
のと同時に、美香は事務机を叩いていた。
静まる室内。
音を出した当の本人たちも、驚いている。
「あ、あの・・・ウチ、話に混ざりとぉて、つい・・・」
「あら、私もよ?」
どうやら二人とも、男同士の意味不明な会話についていけないことに苛立っての行動だったようだ。
「なんだか私たち、気が合うみたいね!」
美香は初華の手を取り、社長室の方へと引っ張っていく。
御徒町も赤羽も、黙って見送ることしかできない。
「男共は放っといて、私たちはこっちで親睦を深めましょう?ね?」
「あ、はい・・・」
いつか髪を降ろした初華を描くんだ。