アウレイスについて ※閲覧注意

アウレイス。

純白の肌に白銀のロングヘア。

彼女を見ていると、この世に色彩が存在することを忘れてしまいそうになる。

しかし、かげりのある眼には燃えるような深紅の瞳が覗き、彼女が唯一持つこの色は内面の意志の強さを表しているように見える。

 

アウレイスは『アルビダ』という種類の妖怪だ。

アルビダは生来、色素が薄く肌が白いことが特徴である。

また体を巡る血液の色に個体差があり、染料としての使用を目的に乱獲されることもあった。

目が覚めるような鮮やかさの碧い服、しっとりと落ち着いた深みのある翠の絨毯、自然な温もりと優しい印象が特徴の緋い紗幕。

もしあなたの身の周りにうっとりするような色彩の染め物があったなら、それはアルビダの血染め製品かもしれない。

彼らは種族的に、身体能力が飛びぬけて高いわけでもなければ、戦闘に長けているわけでもない。

キスビットがまだ邪神の支配下にあった時代、アルビダたちは凄惨な状況下に置かれていた。

 

例えば我々が毎日新鮮なミルクを得るため、品種改良された乳牛は畜舎でその一生を過ごす。

与えられた飼料を機械的に搾乳されるためだけに生きている。

食肉用の鳥や豚とて同じことだろう。

より美味い肉質を求め飼料を工夫し、新品種を開発するための交配が成される。

屠殺とさつされるその瞬間まで、喰われるために生きるのだ。

これは家畜としての運命であり、そのことに疑問を持つ者は少数派である。

 

さて、ここで家畜について言及したのはその是非を語るためではない。

旧時代のキスビットにおいて、アルビダの扱いがどうであったかを説明するためだ。

もうお察しであろうが、彼らはまさに『家畜としての生』を余儀なくされていた。

特に、鬼が支配する都市ジネにおいては『アルビダ工場』と呼ばれる施設が存在し、そこでは日々多くのアルビダが産み落とされ、飼育され、出荷された。

彼らは染料としての原材料だったり、単純な労働力としての奴隷だったりと、用途別に管理されていた。

現在であればそれが異常であると理解できるのだが、邪神の影響下にあった当時はこの状況に疑問を持つことができる者はごく少数だった。

 

さて、本題であるアウレイスの生い立ちについて触れよう。

 

彼女はアルビダ工場で生産された『愛玩用アルビダ』である。

当時の畜産体制下では、肌だけでなく体毛までもが白い個体は希少であり、比較的高値で出荷されたアウレイス。

商品として売買されるその度に体験する非道な扱いは、彼女に対人恐怖症、特に鬼恐怖症を植え付けることになる。

相手の目を見て話すことができず、終始顔色を伺い、自分の意思を殺して生きる。

 

アウレイスの最も古い記憶は、自分が主人を満足させられなかったことで怒りを買い、水責めの折檻を受けたことだ。

これ以来アウレイスの口癖は「ごめんなさい」「申し訳ありません」という謝罪になった。

自分に非の有る無しは関係ない。

頭髪を鷲掴みにされ、溺れる寸前で水から引き上げられるたび、咳き込み水を吐き出しながら精一杯呼吸をし、そして「ごめんなさい」を連呼する。

もちろんそれには何の意味も、効果も無い。

アウレイスの解放は単に主人の『せっかく高値で買ったのだから、これで壊すのは勿体無い』という判断によるものだった。

 

胸が悪くなるためこれ以上の記述は控えるが、とにかくアウレイスが経験した半生は熾烈で苛烈で陰惨だった。

しかしそれはその場におけるアルビダの『普通』であったし、それが異常であるという情報を得る機会も無いという環境のせいだった。

鬼たちの中でアルビダ同士に殺し合いをさせて愉しむゲームが流行したこともあった。

しかし当のアルビダ達にはそれが非倫理的であるとか、不道徳であるとか、そういう感覚はまるで無かったのだ。

自分が生き残るためにご主人の言うことを聞く。

それが世界であり、それが全てだった。

アウレイス自身は記憶していないが、主人の命令で同族に酷い仕打ちをしたことも、あった。

そこに罪悪感は無く、ただ目の前の粘土を捏ねるように、命令を遂行した。

それがアルビダ工場で生産された者の普通であり常識だった。

 

ただ、少数とは言え『野性の』と称されるアルビダも存在していた。

アルビダ工場で生産され、教養どころか世界観も、自我すら未熟だったアウレイスを変えてくれたのは、そんな野性のアルビダだった。

アウレイスは歳の離れた彼女のことを姉のように思って慕っていた。

 

そんなある日、アウレイスが飼育されている屋敷が賊に襲われた。

 

以下はその賊自身、ダクタスが語った話である。

 

わしはエウス村長と組んで、多くの民を救出した。

大半は人間至上主義からの解放を願う妖怪をエイ マヨーカから脱都させる手引きじゃったが、反体制派で戦力になりそうな者が居るという情報が入れば、そこに乗り込んで行くこともあったんじゃ。

差別されている妖怪たちの中にゃ、そりゃあ優れた能力を持つ者も居った。

じゃがその多くは身近な者を人質に取られたりしとってな、反逆心なんぞハナから摘まれておったわ。

彼らを解放して味方につけりゃ、タミューサ村の力になると考えとったんじゃ。

 

それでな、あの日の仕事は、今でも忘れられん。

わしらはジネに潜った。

強力な火炎を操る妖怪が居ると聞いてな、是非とも解放しようと。

情報ではとある屋敷の地下室にその妖怪が監禁されているということだったんじゃが、今になって思えばそもそも当時のジネで『妖怪を監禁』ということ自体、不自然なことじゃった。

気に入らなんだら殺して、すぐに別の妖怪を補充するっちゅうのがあの頃の常識じゃ。

じゃがわしはそれに気付かないほど、焦っておったのかも知れん。

キスビットという国そのものが何か大きな力によって歪められているという漠然とした不安に、自分たちができることがあまりにも小さ過ぎた。

人助けと言えば聞こえは良いが、果たしてそれが自己満足以上の何かになっているのかどうか、正直なところ自信が無かったんじゃな。

 

さて、結局わしらはその偽の情報に踊らされての、まんまと鬼の巣に入り込むことになってしまった。

やたらと哨戒が多かったのと、隠密行動をしとったハズなのにすぐ見つかってしまったことでようやく、わしらはこれが罠だと気付いたんじゃ。

引き返そうとしたが、鬼たちの猛攻は想像以上じゃったわい。

それで村長とわしは離れ離れになってしまっての、いや、焦った焦った。

エウス村長は全盛期に差し掛かろうかという気力も体力も充実しとる年頃じゃ。

じゃがわしは衰える一方の下り坂の真っ最中よ。

村長は一人でも逃げ切れるじゃろうと思っておったが、わしが心配したのはわし自身じゃった。

案の定わしはヘマをして、重傷を負っての。

もう逃げることはできんと判断して、隠れることに専念したんじゃ。

見つからないように隠れ続けて、ほとぼりが冷めた頃に逃げようと思ってな。

薄汚い小部屋の小さな物入れで息を潜めておったんじゃが、いかんせん血を流し過ぎた。

朦朧とする意識で、どれぐらい時間が経ったのかも分からん頃、わしはゴシゴシ床を擦る音で我に返ったんじゃ。

物入れの板の隙間から見れば、真っ白な女の子が一生懸命に床を拭いておった。

その女の子が、アウレイスだったんじゃ。

そしてその後、鬼の怒鳴り声が聞こえてきた。

鬼はせっかくの食事を床にこぼしたことを批難した。

アウレイスはごめんなさいと泣き叫びながら連れて行かれた。

可哀相とは思ったが、手負いのわしにはどうすることもできなんだ。

 

その直後、わしはハッと気付いてのう。

あの子が床を拭いておったのは、わしを庇ってのことじゃったと。

血じゃよ。

わしの血が部屋の床にな、滴っておったのよ。

表面の加工なんぞ何もしとらん粗末な木の板に垂れた血が、布で拭っただけで消えるはずもない。

アウレイスはスープを床に撒いたんじゃ。

わしの血を誤魔化すためにな。

恐らくは食事とて満足に与えられたものでもなかったろうに、それをあの子は、どうにかしてわしの存在を隠そうと考えてくれたんじゃろうな。

この子だけは、何としても保護せにゃならんと思ったよ。

 

わしは来るべき時のため、タミューサ村に必要なのは戦力じゃと思っておった。

戦える能力のある者をとにかく増やすべきじゃとな。

じゃが村長は特別な能力の無い者ばかりをどんどん村に迎えようとする。

守るべき存在は時に弱点にも成り得る。

わしとしては正直、自分の身を自分で守れない者をこれ以上増やすのは自らの首を絞めることになると思っておった。

しかし、間違っておったのはわしの方じゃった。

他人のために『大きなことが出来る者』と『自分の精一杯が出来る者』では、どちらが尊いのか。

わしは差別に苦しむ者たちを助けるため、持てる力を全て使っただろうか。

そこに妥協や諦め、打算や計算が紛れてはいなかっただろうか。

 

アウレイスの無垢な優しさが、わしの考えを変えてくれたのよ。

わしを庇ったところで得どころか、損しか無いじゃろう。

現にアウレイスは鬼に連れていかれ、手酷い折檻を受けているはずじゃ。

わしは物入れから静かに這い出た。

傷は痛んだが、それ以上に気力が漲っていた。

あの子を村に連れ帰る、その一心で立ち上がったんじゃ。

 

以下は賊のもう一方、エウスオーファンの昔話である。

 

私はダクタスさんと離れてしまってから、鬼たちの目を掻い潜って屋敷に戻ったんだ。

彼が深手を負ったことと、逃げ切れず屋敷に留まっていることはニオイで分かったからな。

追手を引き付けながら屋敷の外に出たことで、私たちが逃亡したと思わせるのは成功したようだった。

しかしダクタスさんが見つかってしまえば振り出しになってしまう。

私は速やかに彼を見付け、一緒に逃げなければならなかったんだ。

彼が身を隠している部屋はすぐに見付けることができた。

でも、私が救出のため侵入を試みた矢先、部屋の住人が戻ってきてしまった。

それは真っ白い少女だった。

そう、お察しの通りアウレイスだよ。

半分ほどスープが入った木製のボウルを両手で持って、彼女は部屋に入ってきた。

私は身構えた。

もし彼女が床に落ちたダクタスさんの血痕に気付いて声をあげたりしたら、可及的速やかに彼を回収のち逃亡せねばならない。

固唾を飲んで、とはあんな場面で使うんだろうな。

密かに私が監視しているとも知らず、アウレイスは案の定床の血痕に気がついたんだ。

そしてその赤い点線が続く物入れの扉を、恐る恐る、そっと、開けた。

数秒の硬直があり、開けたときと同じくそっと、ゆっくりと、彼女は扉を閉めた。

声をあげることもなければ、誰かを呼びに行く素振りも見せなかった。

アウレイスは部屋を見渡したあと、自分が着ている粗末な服の裾を引き裂いて、床の血を拭き始めた。

しかし木板に沁み込んだ血痕が布で拭いただけで消えるはずもない。

もしこの場面を誰かに目撃されてしまえば、ダクタスさんはすぐに見つかってしまうだろう。

私は突入の機を伺った。

彼女が床を拭くのを諦め、部屋を出るのを待ったのだ。

しかし彼女は意外な行動をとった。

先程持ち帰ったスープを血痕の上から垂らしたのだ。

 

正直、私は舌を巻いたよ。

アウレイスの機転と、優しさにね。

当時は今のように物資が豊富という環境でも無かったし、ましてその時の彼女の身の上から考えれば、そのスープがいかに貴重だったかは言わずもがなさ。

それを惜しげも無く床に撒いた。

そしてまた布を床に当て拭き始めた矢先、鬼の怒声が響いたんだ。

アウレイスは恐らく、鬼の足音に気がついてスープを撒いたんだと思う。

鬼からすればアウレイスが粗相をしてしまい、その始末をするために床を拭いているようにしか見えなかっただろう。

私は彼女が連れて行かれる廊下の先の部屋に回り込み、アウレイスを引き摺ってきた鬼に一撃を喰らわせた。

ここでも私は驚いたんだ。

アウレイスは突然の私の登場に、驚愕こそしていたものの悲鳴を上げることは無かった。

それどころか、無言のまま震える手で自分の部屋を指さしたんだよ。

状況的に私がダクタスさんを救出に来たということを察したんだろう。

洞察力、優しさ、そして勇気。

私はこの子を村に迎えようと決心した。

 

ダクタス、エウスオーファン、この二人の話をアウレイス本人に問うてみても、この時のことは覚えていないと言う。

しかし国が邪神の影響から解放され、惨たらしい状況が一変した現在、あの頃の異常な世界を知る者はごく少数である。

むしろ忘れてしまった方が、アウレイスにとっては良いのかも知れない。

彼女が言う「覚えていない」を信じるならば。

 

さて、アウレイスがタミューサ村に来てからしばらくして、彼女は親友を得ることとなる。

自分と同じくエウス村長を恩人と仰ぐサムサールの娘、エスヒナだ。

村の人々との触れ合い、エスヒナとの出会い、幾度の任務。

アンティノメル籍の国際警察官ソラとの出逢いと、僅かに芽生えた恋心と、衝撃の失恋。

アウレイスまとめ

そして壮絶な邪神との戦いと、その間に育まれた愛。

ルビ×アウリ

 

これらを経て、現在のアウレイスはずいぶんと強くなった。

しかしそれは彼女を良く知る者たちの感想かも知れない。

初めて彼女を見る者にはまだ、おどおどした人見知りのアルビダとしか映らないだろう。

 

名 前:アウレイス(auraysu)

種 族:アルビダ

性 別:女性

一人称:私

身 長:ルビネルの目の高さが頭頂部くらい

体 重:脂肪分が少なく割と軽め

髪 色:白銀

肌 色:純白

備 考:顔に水がかかるのが怖いので泳げない。

ラミと毒矢とクォルと薬

この物語は、らんさん(id:yourin_chi)のクォルラミリア(順不同敬称略)をお借りして妄想爆裂した結果の産物です。

yourin-chi.hatenadiary.jp

 

 

 

今回の依頼人は一風変わった商人だった。

コードティラル神聖王国の首都、ティラル。

その商業区で商店を営む彼が、なぜか隣国であるグランローグ国へ移住することを決めた。

豪商と言うほどでは無いにしろ、そこそこの規模で商売を行っていた彼には財産が有った。

彼はその大半を投じ、今回の引っ越し劇が始まった。

 

「あンた達が今回の護衛ねン?よろしく頼むわよン」

 

鼻にかかったねちっこい声色と独特の口調で、彼は荷馬車の列を警護する二人に声をかけた。

それに対して「はい」と短く応える緑髪の嬢を無視した商人は、そのまま青い髪の青年にズイッと近付くと、鼻息を荒げて続ける。

 

「あンたが団長さン? とっても可愛いわン・・・ねぇ、あたしの専用護衛にならないン? もちろんお給金は弾むわよン」

 

「あ、いやぁ・・・俺さm、いや、俺・・・そーゆー趣味は・・・」

 

普段、モンスターや女の子には強気な自警団の団長が、雇い主兼特殊な性癖の持ち主であるオジサンに迫られて困惑している。

その光景を目の当たりにして、笑いを噛み殺すのに必死なのは緑髪の嬢。

 

「あら、良かったじゃないクォ。いきなり高給取りになれるなんて、こんな美味しいオハナシ滅多に無いわよ?」

 

「ラミ!てめ!人ごとだと思ッ・・・あ、いや、あの、有り難いお話なんですが・・・」

 

国王直属の騎士団として働いていた戦争時代ならともかく、戦争が終わり、城下を警護することを目的として組織された『元騎士団の自警団』という身の上である。

今でも国王の命で動くことはあるが、その活動資金の全てを税金から支出してもらうことには抵抗があった。

団のことはなるべく団でどうにかしたい。

そんな思いから、機会があればこうして護衛や、時にはモンスター退治などの有償依頼を受けることもあった。

しかし自警団の団長が金目当てで個人の専用護衛になるなど、埒外の話である。

いくらお金が大好きであっても、だ。

商人は、青い髪から頬を伝う冷や汗と引きつった表情を一瞥し、フンと鼻を鳴らした。

 

「冗談よ!」

 

今までのねちっこい声色から一転、ドスの利いた雄々しい声で一喝すると、商人はドカドカと地面を踏み鳴らして馬車に乗り込んで行った。

どうやら機嫌を損ねはしたものの、難を逃れることはできたようだ。

 

「ふぅ~・・・た、助かったぁ~・・・」

 

「ずいぶんおモテになるのねクォルさん?あっはははは!みんなに報告しなきゃ!」

 

冷や汗を拭うのは自警団の団長、クォル・ラ・ディマ。

それをみて涙が出るほど笑っているのは、同じく自警団所属のラミリア・パ・ドゥだ。

二人は共に戦闘部族の街『カイザート』の出身である。

互いの力量は認め合っているはずだが、しかし幼馴染という関係性が邪魔をしているのか、会話の大半が憎まれ口という何とも腐れ縁な二人だった。

 

「自分がモテねーからってひがんでんじゃねーよ!この男女!」

 

「なによバカ!あんたなんかひがみもねたみもしないわよバーカバーカ!」

 

二人がこんな軽口の罵り合いを続けていると、いつの間にかフィアルとの旧国境が近付いていた。

フィアルは、コードティラルとグランローグの戦争が始まる前に滅んだ国だ。

現在復興中であるとはいえ、都市としての機能はほぼ無く、いまだに視界一面が廃墟という有り様であり、通常は移動のルートに選ばれることは無い。

新生魔族との遭遇率が高くなる危険な地域だからだ。

しかし雇い主である商人の強い希望により、なぜかフィアル経由でのグランローグ入りという旅程となっていた。

通常の街道を選べば護衛も不要なほど安全なはずだが、怖いもの見たさというやつだろうか。

金持ちの道楽に付き合わされているのかもしれない。

 

「お前みたいなガサツな暴力女、誰ももらってくんねーだろうな!」

 

「誰かに貰ってもらおうなんて思ってないわよバカ!お調子者!女たらし!」

 

他愛の無い、意味の無い、内容の無い掛け合いが続く。

と、不意に二人の声のトーンが下がった。

 

「・・・おいラミ、あんまフザけてると、助けてやんねーぞ?」

 

「・・・あら?私、あんたに『助けて』なんて言ったかしら?」

 

クォルが先頭の馬車を操縦する御者に手で合図を送る。

4台の荷馬車がその場に停止した。

 

「2・・・3人か。仕方ねーから俺様が全部引き受けてやらぁ」

 

「ちょっと私の邪魔しないでくれる?3人とも私がやるから」

 

御者には二人が何を言っているのかまるで理解できなかった。

視界には打ち崩された廃墟や焼け焦げた立木はあれど、人の姿などまるで見えないからだ。

 

「無理すんッ・・・おっと!」

 

「無理じゃなッ・・・フッ!」

 

物陰から放たれた矢をクォルは大剣で弾き、ラミリアは空中で掴み取った。

その矢をバトンのようにくるくると回しながら、ラミリアがクォルに声を掛ける。

 

「あんたねぇ、こーゆートキは無暗に弾くと危ないでしょ?」

 

「俺様をその辺の三流と一緒にすんじゃねーよ。ほれ」

 

クォルが剣の切っ先で示す方向にある廃墟の壁、その後ろから、ドサッと音を立てて倒れる人の姿。

手には弓、そして肩口には矢が生えていた。

放たれた矢をクォルが正確に打ち返したのだ。

 

「ふ~ん・・・」

 

それを見たラミリアは、ゆっくりとクォルに向き直る。

そして、得意気で自慢気な笑みを浮かべるクォルに向かって思い切り手中の矢を投げた。

 

「ッ!!!? あっぶね!何しやがんだラミ!俺様じゃ無かったら死んでたぞ今の!」

 

噛み付きそうな勢いで突っかかってくるクォルに向かい、整ったラインの顎で後方を指し示すラミリア。

クォルが振り向くと、剣を手にした男がゆっくりと倒れてゆくところだった。

太腿に矢が突き立っている。

それにしても、おかしい。

クォルが矢を弾き返した相手も、ラミリアが矢を投擲した相手も、致命傷を避けるよう狙ったはずだが、どちらも倒れたままピクリとも動かない。

 

「毒・・・か」

 

クォルが呟く。

単純に勝つか負けるかなら、負けない自信はある。

しかし『ただの掠り傷すら負わぬように勝つ』ためには、相当な実力差が必要だ。

果たして今回の相手がそれを許してくれるだろうか。

 

「さぁて、残ってるのはお一人様みたいだけど、このまま出て来ないなら見逃してあげよーかしら?」

 

ラミリアがわざと挑発的な声をかける。

クォルも、残る一人が隠れている場所は気配で把握している。

攻撃の方向が事前に分かっているのであれば対応は容易い。

 

「思ったよりも手強いじゃないか」

 

焼け焦げた巨木の後ろから、頭部に角を生やした男がゆっくりと姿を現した。

両の真っ黒い眼球の中央で、爬虫類を思わせる金色の瞳が鈍い光を放っている。

新生魔族だろうか。

 

「つ、つ、連れて来たわよン!さぁ!約束通りあたしのダーリンを返してン!」

 

突然、馬車の中から商人が駆け出した。

そのまま魔族の男に駆け寄ると、彼はクォルとラミリアに謝罪を始めた。

 

「ご、ごめんなさいねン・・・このお方が、強い部下を作るために強い人間を連れて来いって言うから・・・あたし、彼を人質に取られてて仕方なくン・・・」

 

「なぁラミ、こーゆーの何て言うんだ?」

 

「デジャヴ?」

 

「ああ、それだ」

 

「ねぇ!約束は果たしたわン!ダーリンを返して!」

 

商人が魔族の男に詰め寄る。

と、そこに割って入る人影があった。

先程ラミリアが矢を投擲した相手だ。

まだ息があったのか。

 

「ッ!!ダーリン!!!」

 

その顔を見るや商人が叫んだ。

これで役者は揃ったようだが、しかしその配役が分からない。

敵情が不明瞭なままでは戦闘時の動きに制限がかかる。

クォルもラミリアも、誰から誰を守るべきかを把握するため今しばらくの静観を決めた。

商人は動揺する。

なぜ自分の恋人が敵をかばうのだろうか。

そして先程受けた毒は大丈夫なのだろうか。

色々と聞きたいことはあるが、まずは大切な人の命が最優先だ。

 

「ね、ねぇダーリン?あたしの馬車に毒消し薬があるわン。今すぐ打ってあげるからねン」

 

そう言って馬車へと振り向いた商人の背中に、恋人の剣が振り下ろされた。

予想外の展開に目を見開くことしかできないクォルとラミリア。

 

「すまないね、彼はもう死んでいるよ。完全に冷たくなってしまうと正式な術式でなきゃ操れないから、急がせてもらった」

 

魔族の男がそう言うと同時に、剣を握った恋人は倒れて動かなくなってしまった。

 

「い・・・いま・・・毒消し薬を・・・ガフッ」

 

商人は馬車に向かい、恋人のために毒消しの毒消し薬を求めて這い摺る。

恐らくは状況を理解できていない。

自分に振り下ろされた毒剣が恋人の手によるものだと知らないままだったことだけが、幸いと言えた。

 

「野ッ郎!!」

 

犠牲者が出ることで選択肢はひとつとなった。

眼前の魔族を討伐する、ただそれだけのシンプルなミッションが開始される。

機先を制したのはクォルだった。

身の丈ほどもある大剣を軽々と振り回し、目で追うことすら困難な速度で連撃を放つ。

 

「・・・くっ、僕は肉弾戦タイプじゃ無いんだが・・・」

 

防戦一方とは言え、クォルの連撃を曲刀で受け切っている魔族の腕も凄まじい。

間違いなくこの曲刀にも毒が仕込まれているはずだ。

攻撃に転じられると厄介なことになるのはクォルも承知している。

まだ全力の連続攻撃は続けられるが、全てを受け切られたあとに毒の攻撃を避け続ける展開だけは避けねばならない。

クォルはしぶしぶ攻撃の手を止め、一旦飛び退いた。

まだ息が上がるほどではない。

 

「ふんっ!やるじゃねぇか!よっし次は全力だ!ブッた斬ってやるぜ!」

 

戦闘にはブラフも重要である。

先程よりも更に攻撃力が増すと思わせることで、心理的優位を確保するのだ。

 

「おいおい、さっきのでまだ本気じゃないだと?何を食えばそんなデタラメな強さが手に入るんだい人間よ。あぁ、疲れた」

 

魔族の男は気だるそうに言うと、背負っていた弓に矢をつがえた。

中距離、剣よりも矢の方が若干有利な間合いだ。

しかしクォルにとっては願っても無い好機だった。

恐らくこの魔族は、この距離でなら矢の弾き返しはできないだろうとタカをくくっている。

しかし自分の動体視力と反射神経ならば必ず見切ることができる。

矢を放った直後にそれが跳ね返ってくれば、避けられない公算も高い。

クォルはペロリと唇を舐めた。

 

「さぁ、ここからは僕の番だよ」

 

そう言うと魔族は、後方で構えていたラミリアに矢を放った。

狙いが自分でなかったことに一瞬だけ焦るクォル。

しかし先程もそうだったように、ラミリアは軽々とその矢を掴み取る。

視界の端でその光景を確認したクォルに、ラミリアが叫ぶ。

 

「クォ!逃げてぇぇぇぇー!!!!」

 

ラミリアは魔族の放つ矢がどこに向かうのかを察知するため、視線を追っていた。

金色の瞳が自分を向いた瞬間、狙われていることが分かった。

それだけの事前情報があれば、間違いなく矢を掴むことができる。

現実に、放たれた矢が自身に到達する直前で、その柄を掴むことができた。

しかし、ラミリアが自分の意思で動けたのはそこまでだった。

魔族の狙いは始めから、その金色の瞳でラミリアを凝視することだったのだ。

 

「うおっ!危ねぇ!何すん・・・ラミ!」

 

掴み取った毒矢でクォルに攻撃を仕掛けるラミリア。

しかしその動きはいつものラミリアの流麗な体捌きではなく、やたらと力任せで雑な動きだった。

 

「なんて娘だい。僕の能力で完全に操れないなんて。大した精神力だね」

 

クォルとしては余裕で避けられる攻撃だ。

しかしラミリア相手に打ち込むことなどできない。

 

「クォ!これは私のミスよ!私のことは気にしないで!」

 

「黙ってろ馬鹿ラミ!俺様に不可能は無ぇ!!」

 

そう言いながらクォルは徐々に後退しつつ、戦場を馬車付近に移していった。

状況を打開する策はすぐに浮かばないが、まずは先程商人が言っていた毒消し薬を手に入れなければならないと考えたのだ。

戦場が馬車の荷台となり、クォルの大剣でほろが吹き飛ばされた。

しかし、この考えは魔族にも伝わっていた。

 

「うあああぁぁぁぁー!!!」

 

操られているラミリアが叫び声を上げる。

恐らくは体を操る魔族の真意を察し、全力で抵抗しようとしているのだろう。

しかしそれは一瞬体の動きを止めたに過ぎなかった。

ラミリアの下段蹴りが毒消し薬の入った木箱を粉砕する。

たくさんのガラス片がキラキラと輝きながら舞い散った。

 

「ぐぅ・・・薬が・・・ごめん、クォ・・・」

 

クォルの考えはラミリアにも分かっていた。

しかし魔族の操作によって体の主導権を奪われ、まんまとその邪魔をすることになってしまったのだ。

 

「いーや、お前が一瞬頑張ってくれたお陰で、ホレ。だから泣くなよ」

 

涙で瞳を潤ませたラミリアの視界で、ニッカリと笑うクォルが滲む。

その手には1本だけ、毒消し薬の入った小瓶が握られていた。

 

「な、泣いてないわよバカ!相変わらず手が早いんだから・・・」

 

「やれやれ。あんまり長い時間操作するのは疲れるんだよ。そろそろ終わりにさせてもらおう」

 

魔族の言葉に、心の中でギュッと身を固めるラミリア。

当面は回避に専念し、打開の隙ができるのを待つ気でいるクォル。

しかし。

 

「・・・あ・・・クォ、ごめん・・・」

 

矢を持つラミリアの右手がゆっくりと動き、尖ったやじりを左腕に、刺した。

 

「ラミィィィッッッッ!!!!」

 

弾けるように飛び出したクォル。

それに合わせてラミリアは刺さった矢を抜き、クォルに向けて構える。

もちろん本人の意思では無い。

速効性の毒はすでにラミリアの体をむしばみ始め、視界がかすむ。

 

「さぁどうする?その薬は最後のひとつなんだろう?早く彼女に飲ませてあげないと手遅れになってしまう。だが毒矢を避けながら上手に飲ませることができるかな?」

 

魔族の男は如何にも愉しそうな口調で下卑たセリフを吐く。

 

「来ちゃ・・・だめ・・・クォ・・・」

 

既に言葉を発することすら苦痛であるラミリアは、それでも掠れた声でクォルを制する。

しかしそれを聞き入れるクォルでは無かった。

だが真っ直ぐ突き進むのには、クォルなりの考えがあってのことだ。

ラミリアの動きを最小限に抑える、それが狙いだ。

操られているとは言え無駄に動けばそれだけ血が巡り、毒の回りが早くなってしまう。

いつも美しく輝いているラミリアの瞳に影が差してきた。

もう時間が無い。

クォルは覚悟を決めて間合いを詰めた。

そして。

 

「クォッッッッッ!!!!!」

 

ラミリアの悲鳴が響く。

毒矢はクォルの腹部に深々と刺さっている。

しかしそのお陰で二人は密着状態となり、クォルは左腕でラミリアの細い腰をがっちりと捕まえていた。

 

「これで暴れらんねーだろ。ほら、薬飲め」

 

「・・・ば・・・か・・・」

 

だが既にラミリアには自力で毒消し薬を飲み下す力は残っていなかったようだ。

ガクンと脱力し、動かなくなってしまった。

 

「ラミ!おいっ!ラミィィ!!!」

 

クォルは咄嗟に毒消し薬の小瓶をあおった。

そして、ほんの刹那だけ躊躇し、ラミリアと唇を重ねた。

口移しとはいえ充分な量の薬がラミリアの体内に流れ込んだはずだ。

蒼白だった顔色に血色が戻ってくる。

 

「はっはっは!なんとも美しい光景じゃないか!だが君ももう動けまい?決死の覚悟で助けた彼女はまだ目を覚まさない。それを僕が放っておくハズが無いよなぁ!?だが安心して良いよ。君たちは強かった!僕の屍兵しへいとして申し分の無い強さだ!」

 

この魔族の狙いは最初からこれだった。

短時間なら対象を操ることが出来る瞳術と、死んだ人間の体を使役する能力。

これを使って不死の軍団を組織しようという目論みだったのだ。

 

「おっと、まだ動けるのかい?呆れたタフネスだ。しかし無理しない方が良い。無駄に動くと余計に毒が回って・・・」

 

魔族の男に向かって大剣を構えるクォル。

最後の一撃と言わんばかりに気を練り集中している。

 

「やれやれ。僕が君の相手をすると思っているのかい?毒で勝手に倒れるまで待つに決まっているだろう。そもそもこれだけ間合いを取っていれば、君は僕に辿り着く前に・・・」

 

「辿り着く前に、何だって?」

 

クォルは水平に持っている大剣の上の首に向かって問い掛けた。

視界に自分の首から下の体を認めた魔族は、ようやく状況を理解した。

完全に間合いの外だと思っていた距離を、目にもとまらぬ雷のごとき速さで一気に跳躍しての一閃だった。

 

「一度ラミに刺さった矢だ、毒はその分減ってんだろ?あと毒消し薬も口に入れたときちょっとだけ飲んだしな。俺様ぐらいになりゃそれで充分なんだよ」

 

「ば・・・化物め・・・」

 

ザンッ。

 

「首だけになってしゃべってるお前に言われたかねーよ・・・ぐっ・・・」

 

空中に放り投げた魔族の頭部を両断すると、クォルは地面に倒れ伏した。

さすがに強がりだけでどうこうできる問題では無かった。

 

「あぁ~・・・くっそ・・・ラミの唇、柔らかかったなぁ~・・・」

 

遠のく意識の中、思い出すのは自警団の仲間たち。

そして、であるはずの、ラミリアの姿だった。

 

「そっか・・・俺様・・・」

 

どれくらい時間が経ったのだろうか。

ズキズキと拍動する頭痛と若干の吐き気を伴いながら、ラミリアが目を覚ました。

ここがどこで、何をしていたのか。

 

「クォ!」

 

数秒の空白があり、一気に全てを思い出したラミリアは周囲を見渡す。

ドス黒い血を流して倒れている首の無い魔族の体。

その少し向こうには両断された頭部。

そして、地面に突っ伏しているクォルを発見した。

重い体を無理矢理動かし、ラミリアはクォルに駆け寄った。

 

「クォ!起きなさい!起きて!ねぇ!起きてよ!」

 

泣きながらクォルの体を揺さぶるラミリア。

しかしクォルは目を覚まさない。

 

「私だけ・・・私だけ助かったって・・・意味無いのに・・・ばか・・・」

 

と、涙で滲む視界の中、クォルの胸が上下したように見えた。

 

「ッ!?」

 

急いで胸に耳を当てるラミリア。

弱々しくはあるが、確かに脈打つ鼓動が聞こえた。

 

「生きてるんなら最初から言いなさいよバカッ!!」

 

ラミリアの瞳には光が戻っている。

すぐさまクォルの体を抱き起こし、背負った。

 

「あんたなんかに借りっぱなしはしゃくだからね」

 

誰に聞かせるでも無い悪態が、無人の野にかき消えていった。

 

 

 

「いやぁ、本当に驚いたんだよわたしゃ。だってこんな村はずれのあばら家に、若い娘が男一人担いで『助けてください』って泣きついてきたんだから。聞けば魔族と戦って、毒に侵されてるって言うじゃないか。でも毒消し薬なんて高価な物がウチにあるわけないだろ?仕方ないから何もしないよりゃマシだろって、薬草を飲ませてみたんだよ。そしたらね、聞いて驚きな。なんと翌朝にはむっくり起き上がったんだよ!で、よく見たら腹に穴が開いてるじゃないか。もうわたしゃ何から驚いて良いか分からなかったよ。そうそう、怪我と言えば娘さんの方もね、腕に大層な怪我をしてたんだ。それにその子も毒が回ってたらしくてね、いや、毒消し薬を飲んだから大丈夫って本人は言うんだけどさ、普通はすぐに動けるハズなんてないんだよ。そんな状態で男を背負って半日以上歩いてここまで来たって言うんだから。え?その二人?ああ、なんでもティラルに帰るんだとか。そうさ、ロクに治療もしてないのに『唾つけときゃ治る』ってんだからもう、元気を通り越して異常さ。しかし、あのお嬢ちゃん、間違いなくあの男にホレてるね。じゃなきゃあんなに必死になるもんかい。え?この金?ああ、礼だって言って置いていったよ。『依頼が果たせなかったから貰えない金なんだ』とか何とか言ってたけど、まぁよく分からんね。わたしゃ得したから良いんだけどさ」

 

 

 

ティラルに続く道。

青髪の青年と、緑髪の嬢が軽口を叩きながら歩いている。

 

「だから、勝算があるからやったって言ってンだろ?」

 

「あんただって倒れてたんだから、引き分けじゃない」

 

「馬っ鹿おまえ!完全に俺様の勝利だろ!?」

 

「でも、どうやって倒したか覚えて無いんでしょ?」

 

「それなんだよなぁ・・・毒の影響なのか何なのか、記憶が曖昧なんだよな」

 

「そもそも脳みそちっちゃいし。どこまで覚えてるの?」

 

「ちっちゃくねーよ!ラミが操られて毒矢を振り回してたあたりか?」

 

「え、そこから!?」

 

「そうなんだよ。まぁ記憶なんて無くても俺様の華麗な戦術が冴えまくったからお互いこうして生きてんだろ?良かった良かった」

 

ラミリアは魔族に操られ、自分自身を毒矢で刺したことは覚えている。

そしてそのあとクォルが自分のために身を呈して毒消し薬を飲ませてくれようとしたことも。

しかしそこでぷっつりと記憶の糸は途切れてしまっている。

今こうして生きていると言うことは、確実にあの毒消し薬を飲んだはずだ。

そして、薬はひとつしか無かったにも関わらずクォルも生きている。

釈然としないが、しかし事実を知ることは難しそうだ。

 

「あんたは単細胞で良いわね。はぁ・・・やれやれ」

 

「なんでいっつも上から目線なんだよ!」

 

「私の方が上なんだから当然じゃない」

 

「はぁ!?ふざけんなよラミ!簡単に操られた癖に!」

 

「ッ・・・そ、それは・・・悪かったわよ・・・」

 

今回の件、自分が操られさえしなければという、悔しい気持ちがラミリアにはあった。

なにせ、そのせいでクォルに生死の境を彷徨わせたのだから。

だがいつもの威勢が消え去り、しおらしく謝ったラミリアの態度の急変は、クォルに予想外のダメージを与えた。

 

「いや、まぁ、別に・・・お、俺様的には余裕だったし?」

 

「でも・・・私のせいで・・・」

 

売り言葉に買い言葉が帰って来ないのはとてもムズ痒かった。

クォルはガシガシと頭を掻き、歩を止め、勢い良く体ごとラミリアの方に向いた。

 

「ラミ!」

 

「は、はいっ」

 

急に真剣な眼差しで見つめられつつ名前を呼ばれたラミリアは、意図せず真面目に返事をしてしまう。

 

「良いか?俺様の目の前でなら、操られようが何されようが、全部俺様が何とかしてやる!だからお前はこのクォル様の側に居るときは油断して良い!俺様が許す!」

 

「ッ!・・・・・・あの・・・ごめん、意味が、分かん・・・ない・・・」

 

ラミリアはボソッと、クォルから顔をそむけて返す。

その顔は真っ赤になっていた。

もちろん、クォルには見えていないが。

 

「なんでだよ!何で分かんねーんだよ!油断して良いって言ってんだぜ?お前の方が脳みそちっちぇーんじゃねーのか?」

 

ティラルまで、あと半日はかかるだろうか。

二人は相変わらずの調子で一歩ずつ進んでいる。

祝1歳

「ねぇお母さん、何してるの?」

 

「ケーキを作ってるんだよ」

 

「わぁ! 今日、誰かのお誕生日なの?」

 

「そうだね」

 

「お父さんじゃないよね?」

 

「違うね」

 

「お母さんも違うよね?」

 

「違うね」

 

「アワキアでもオイラでもないよね?」

 

「エオアもアワキアも、違うね」

 

「じゃあ誰のお誕生日?」

 

「今日はね、『みんなのお誕生日』なんだよ」

 

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「みんなの? アウレイスお姉ちゃんも? ダクタス爺ちゃんも?」

 

「もっともっと、世界中のみんなのお誕生日なんだよ」

 

「じゃあみんな、お誕生日が2回あるの?」

 

「ふふふ。そうなるね」

 

「やったぁ!ケーキが2回食べられるね!」

 

「ふふふふ。そうだね」

 

 

「お、どうした?随分と本格的な格好じゃないか」

 

「今日は一周年記念ですからね」

 

「・・・マーウィン、お前・・・」

 

「なんですか?」

 

「それは登場人物わたしたちが言っちゃダメなやつじゃないのか?」

沿玉鬼祭り『キスビットコーナー』後

沿玉で開催されている鬼祭り、その会場のキスビットコーナーの裏手で一人の鬼が項垂うなだれて座っていた。

名を、エビシと言う。

彼は特に器用な方では無く、このようなイベントにはあまり向いていない。

それなのにこの会場ではキスビットの広報活動をする任にあたっていた。

国内のどの都市でも、今まであまり積極的に海外へ出向くことが無かったキスビット。

現在では国内だけの経済活動に限界を感じ、ようやく海外へ目を向け始めたところだ。

折しもそこへ、ワコクから各国へ、沿玉鬼祭りへのブース出展依頼が舞い込んだ。

諸外国に対して少しでもキスビットのことを知ってもらう良い機会と言えたが、しかし未経験の海外赴任ともなるとその任に就く者の選抜は難しい。

そこで白羽の矢が立ったのがエビシである。

タミューサ村の使節として諸外国を巡る経験をしており、たまたまワコクに滞在していた。

現行で適任が居るのならそのまま活動して欲しいというのが国の意向だった。

タミューサ村のエウスオーファン村長としても、村の人間が国の代表として動くことは素晴らしく有益なことであるため、エビシにこの任を指示したのである。

だが、現実はそんなに甘くなかった。

会場には多くの人が詰めかけているものの、キスビットコーナーでは閑古鳥が鳴いているのだ。

 

「はぁ~・・・だいたい俺にこんなこと無理なんだ・・・」

 

人が集まらない理由にはおよその見当が付いている。

エビシには自覚があった。

自分には華が無いのだと。

 

「嗚呼・・・もうずっと村に帰ってないなぁ・・・一目お会いしたいなぁ・・・アウレイスさん・・・」

 

実は彼、タミューサ村のアイドル(他称)であるアウレイスの親衛隊(非公認)の隊長を務めている。

詳細な実体は把握されていないが、親衛隊の隊員は軽く100人を超えるとか。

彼らのモチベーションはアウレイスを遠くから眺めることであり、『決して触れるべからず』という鉄の掟が存在すると言う。

しかし村から離れて久しい今、エビシの心の活力は限界に達していた。

 

「あの・・・す、すみません・・・」

 

「ははは・・・アウレイスさんに会いた過ぎて幻聴まで聞こえるとは・・・」

 

「あ、あの、エビシさん?」

 

「おいおい俺、まさかの幻覚かよ・・・だが例え幻でもアウレイスさん、やはりお美しい・・・心無しかとても良い香りまでしてきたぜ」

 

「あっ、あのっ!わ、私ですっ、アウレイスですっ!」

 

「・・・ッッッ!!!!!!?」

 

エビシは椅子ごとうしろへ倒れ後頭部をしたたかに打ちつけながらゴロゴロと回りつつ会場の壁面まで転がっていった。

リアクションとしては完璧すぎる反応だ。

 

「だだだ大丈夫ですかっ!?」

 

その反応に驚いたアウレイスは倒れているエビシの側に急いで駆け寄った。

仰向けになった状態のエビシからは、有り得ない角度のあおり視点になる。

会場の照明を背負ったアウレイスが後光の差した天使にしか見えなかった。

 

アウレイスの来場は、村長の差し金だった。

手伝いという名目で会場にアウレイスを送りこめば、エビシに対する労いになると確信しての采配だ。

 

「それで・・・あの、エウス村長が『期待している』と、おっしゃってました」

 

「あ゛り゛か゛と゛う゛こ゛さ゛い゛ま゛す゛ぅ゛ぅ゛ぅぅぅ・・・」

 

エビシは恥も外聞もなく男泣きに泣き、故郷の村長に心から礼を述べた。

この姿を見たアウレイスは、キスビット紹介のブースを一人で運営するのがよほど辛かったのだと解釈した。

村長から直々の指示でここに来たからには、自分もエビシを手伝って活躍せねばと思った。

正直なところ、アウレイスの鬼に対する恐怖症はまだ残っている。

過去、鬼から受けた非道な行為の数々は決して簡単に拭い去れるものではない。

しかし、全ての鬼がそうでないということも、理性では理解できている。

恐らく村長が自分にこの任務を指示した意図として、鬼という存在そのものに改めて触れることで、少しでもトラウマの解消になればという気遣いがあるのだと、アウレイスは考えた。

 

「こ、これ・・・どう、ですか?」

 

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アウレイスがもじもじしながら振り向いた。

その頭部にはこのイベントのルールである、付け角が装着されていた。

先端の丸い小さな円錐が頭の左右にちょこんと乗っている。

エビシはその光景を目の当たりにし、今にも召されそうだった。

 

「すっ、素敵ですアウレイスさんッ!!!!」

 

「・・・ありがとうございます・・・」

 

「生きてて良かった・・・ぐすんっ・・・」

 

「それで、あの、私は何をすれば?」

 

エビシから教わったことはたったの2つ。

目の前を歩く、鬼の格好をしたお客さんをブースに呼び込むこと。

そして『オウイェ体験』をオススメすること。

しかしアウレイス自身、どちらかと言えば内向的であり、明るく元気に人に声を掛けるなどというタイプではない。

どちらかと言えば親友のエスヒナが適任と言えるだろう。

更に気掛かりはオウイェ体験。

アウレイスは子供の頃の経験から水恐怖症であり、今でも入浴ですら恐る恐るなのだ。

そんな自分が人様に冷水を浴びせるなど、本当にできるのだろうか。

だがアレコレ思い悩んだところで結果が出るものでもない。

ここは覚悟を決めて行動あるのみだ。

 

「ご通行中のみなさまぁーッ!! キスビットのぉー!鬼にまつわる展示をぉー!しておりまぁーすっ!!」

 

精一杯に息を吸い込み思い切り大声で勧誘をしたアウレイス。

凛としたその声に、ブース近隣の客たちが反応した。

 

「おい、キスビットってどこの国だ?」

「名前だけ聞いたことあるなぁ」

「それよりお前、あの子・・・」

「ああ、可愛いな」

「ちょっと行ってみるか」

 

一瞬の静寂があり、そしてザワザワと騒ぎ始める客たち。

 

「おねぇさんすっごい色白だね! そのツノ、似合ってるよ」

「キスビットってすごい田舎なイメージだったけど、可愛い子いるじゃん」

「なにこれオウイェ? ちょっと俺にもやらせてよ」

「お酒くれるの? 君も一緒に飲んでくれるならやろうかな」

「ねぇねぇそのオウイェってやつ、一緒にやろうよ」

 

一気に人だかりができ、キスビットにではなくアウレイスに興味津津の男たちが集まった。

 

「あ、あの・・・ちょ・・・こ、困りますっ・・・ひゃあ!」

 

誰かがアウレイスの肩に手を掛けた。

不測の事態におどおどすることしかできないアウレイス。

今にも泣き出しそうなところに、威勢の良い声が掛かった。

 

「おや、タダ酒が飲めるたぁ良い趣向じゃないか」

 

そう言いながら、引き締まった体から放つ気配だけで周囲を威圧し、無人の野を往くがごとく近付いてきたのは鬼の女性だった。

自然と人だかりが割れ、女性はアウレイスの前に立った。

 

「その水を浴びりゃ酒が貰えるんだろ? ちょいと貸しとくれ」

 

鬼の女性はひょいと桶を持ち上げ、そしてワザと派手に頭から冷水を被った。

周囲の男共にも水が飛び散る。

 

「こりゃ良いや。会場の熱気で暑くてかなわなかったんだ。さあ、酒を貰おうか?」

 

鬼の女性はにっこりと笑ってアウレイスに手を差し出した。

 

「本場の祭りじゃ1年飲み放題になるんだろ? いつか行ってみたいね、キスビット」

 

「あ、ありがとうございます! 是非いらしてくださいッ! 歓迎します!」

 

酒瓶を持った手を軽く上げ、背中越しに手を振りながら立ち去る女性を見ながら、アウレイスは懐かしさを感じていた。

 

「誰かに似てる・・・あ、そうだ。紫電さん・・・」

 

かつて共に戦った、鬼の海賊団を率いる女頭領、紫電

邪神によって歪められた世界となっていたキスビットを正しい姿に戻す為の戦い。

その中で彼女は命を掛けて戦ってくれた。

間違いなく、アウレイスの鬼恐怖症を和らげる要因となってくれている。

そしてさっきの女性も、同様だ。

 

「絶対、来てくださいね」

 

アウレイスは心に温かいものを感じながら、無意識に呟いていた。

沿玉鬼祭り『キスビットコーナー』前

「本日は我がキスビットの、鬼にまつわる体験コーナーにお越しいただきまして誠にありがとうございます!ワタクシ、キスビットの真ん中にある村、タミューサから参りました、外交使節および広報担当のエビシと申します。これを機に皆様方が少しでも、我がキスビットにご興味を持って頂ければ幸いでございます!それでは、こちらが展示でございますので、どうぞごゆっくり御観覧ください!」

 

 

キスビットに古くから伝わる伝統行事のひとつに『オウイェ』というものがある。

国中のどこでも行われる季節の行事だが、地域によってその規模は異なる。

人口の大多数を鬼が占める都市、ジネがその発祥と言われており、現在でも国内最大級のオウイェと言えば、ジネで開催されるものがそれに当たる。

その内容は、簡単に言ってしまえば単なる『寒中水泳』である。

元々は鬼の男性のみが参加する祭であったが、いつしか女性の参加も認められるようになり、さらに他の種族の参加も許容されるようになった。

ただし発祥が鬼の行事であるということへ敬意を払うため、ツノを有さない種族の参加者は仮のツノを装着しなければならない。

 

さて、このオウイェは、河川を泳いで渡るというのが主たる行動である。

鬼や、鬼に扮した諸々が一斉に対岸を目指し、身を切るような冷流を泳いで渡るのだ。

川の向こう岸には酒樽が置かれており、最初にその樽に辿り着いた者には『酒鬼御免状さかきごめんじょう』が交付される。

酒鬼御免状を持つ者は、それを発行した地域にあるどの店に入っても、酒類が無料で飲み放題になるという夢のようなパスポートである。

有効期限は次のオウイェが開催されるまでの1年間。

御免状が有効な店舗数が国内で最も多いこと、それから、全員に配布される参加賞が高級酒ということも、ジネのオウイェ人気の理由かもしれない。

 

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※画:エビシ

 

ところで、オウイェには由来となった逸話がある。

以下がその故事である。

 

むかしむかし、とある村に、大酒飲みの大鬼がおりました。

大鬼はせっかく大きな体と強い力を持っているのにちっとも働かないので、村民から嫌われていました。

しかし力が強いので、誰もその鬼に「働け」と言えないのでした。

毎日毎日「酒が足りねぇ」「あの川が酒なら良いのに」とボヤきながら、だらしなく暮らしている大鬼を、みんなは疎ましく思っていたのです。

 

ある日、川の氾濫が村を襲いました。

実はこの村、大雨のたびに氾濫し、村に大きな被害を出していたのです。

今回も強い雨が長く続いたため、村民たちはしぶしぶと高台に避難します。

ところが。

川の水位が増していよいよ村の田畑が浸水し始めたころ、村長が叫びます。

 

「娘が!ワシの娘がおらん!しまった娘はまだ屋敷じゃ!」

 

しかしみんな大慌てするだけで、どうすることもできません。

 

「誰か!誰か娘を!助けてくれぃ!」

 

村長は泣きながら頼みましたが、誰一人として高台から下りようとする者は居ませんでした。

今から村に下りれば確実に氾濫した川に押し流されてしまうからです。

そこへ。

 

「もしワシが娘を連れて戻ったら、飽くほど酒を飲ませてくれるか」

 

なんと大酒飲みの大鬼が、のっそりのっそり高台を下りていくではありませんか。

 

「もしも娘を助けてくれたなら、酒なぞいくらでも飲ませてやる!」

 

村長は藁にもすがる思いで叫びました。

村人たちも口々に言います。

 

「俺も飲ませてやる!だから村長の娘を助けてくれ!」

「うちの酒も全部やるから早くいけ!」

「村中の酒をみんなやる!きっと助けてくれよ!」

 

そうするうちに、大鬼は気合いの掛け声を上げてじゃぶじゃぶと水の中へ入っていきます。

 

「オウイェッ!!」

 

しかし水位が上がる方が早いのです。

もう水は村長の屋敷の床にまで届いています。

 

「やはりダメだったか」

 

誰もが諦めかけたそのときです。

大鬼がぐぐっと体を縮め、その場にしゃがみ込みました。

そして顔を水面にたぷんとつけました。

村民たちは不思議そうに見守ります。

しばらくすると大鬼は「ぶはっ」と言って顔を上げ、大きく息をするとまた顔をつけます。

 

「あいつ、川の水を飲んでいるぞ!」

 

誰かが叫びました。

そう、村長の屋敷まで間に合わないと踏んだ大鬼は、川の水を飲み干そうとしているのです。

 

「あいつは馬鹿だ!」

「馬鹿だあいつは!」

「馬鹿の中の馬鹿だ!」

 

みなは落胆し、怒り、村長はその場に泣き崩れました。

しかし。

 

「お、おい!あれを見ろ!」

 

村民のひとりが大声を上げました。

指をさしたその方を見ると、さっきまで床上まで浸水していた村長の屋敷の、縁側が見えているのです。

よく見れば、全体的に水位がぐんぐんと下がっているではありませんか。

その間にも大鬼は「ぶはっ!」「んぐっんぐっ」を繰り返しています。

 

村民たちは一斉に大鬼を応援しました。

 

「オウイェ!オウイェ!」

 

やがて、いつもの道が見えるほどに水位は下がり、村民たちはどやどやと高台を下りました。

村長は転げるようにして屋敷に戻り、娘の無事を確認しました。

村長をはじめ、みなは手に手に酒を持って大鬼の周りに集まりました。

 

「でかした!さあ好きなだけ飲んでくれ!」

 

口々に褒めそやす村民たちに、大鬼は言いました。

 

「いや、さすがに今はもう飲めねぇよ」

 

めでたしめでたし。

 

この話から、なぜ現在の『泳いで渡る』ようになったのかについては諸説ある。

しかしそのどれもが憶測の域を出ない。

 

 

「と言うわけで!キスビットの文化に親しんで頂く為、こちらのコーナーでは『オウイェ』を疑似体験できるミニコーナーをご用意させて頂きました!こちらの容器に入った冷水を頭から被り「オウイェ!」と発声していただきますと、こちらのお酒、もしくはジュースを無料で差し上げます!どうぞ皆様奮ってご参加ください!」

キスビット人の信仰について

キスビットは土壌信仰の精霊たちから端を発した国である。

キスビット人と呼ばれる彼らは例外無く土壌神ビットを信仰しており、土属性の加護を授かっている。

能力に個人差はあるが、大抵のキスビット人は土や石などを自在に操ることができるのだ。

そんな彼らが基本にしている世界観を図式化してみよう。

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彼らによると、まず世界は三種類に大別される。

大気の神が統べる世界と、水の神が統べる世界、そして神でなければ認知することのできない世界。

これらの世界に境界は無く、それぞれが同時並行的に重なってこの世を形作っている。

大気の神の世界には光の神と闇の神が存在し、光と闇はそれぞれに親和関係となっている。

大気の神は光と闇に対して優位である。

水の神の世界には、火の神と木の神と土の神が存在する。

水の神は火、木、土それぞれに対して優位であり、火は木に優位である。

土と木は親和関係である。

それぞれの神が司るものは以下の通り。

気:天候、季節、寒暖、風、空気、香り、音、電気

光:光、元気

闇:闇、病気

水:水

火:火

木:木

土:土、石、金属、動物(精霊や他の種族も含む)

他:神々でないと認知できない存在や現象

 

 

山中の奥深い集落に住まうキスビット人も、現在では様々な情報が入ってくるようになった。

この世界観が万人に共通しないことも承知している。

しかしそれでもこの考え方が改められることも、廃れることもない。

キスビットの精霊たちは粛々と信仰を受け継いでゆく。

エスヒナについて

エスヒナ=アミィアリオン

 

彼女のことを知ってもらうためには、まず『サムサール』という種族について理解してもらわねばならない。

人間とは異なる、妖怪と呼ばれる存在の一種だ。

 

サムサールの特徴としてまず挙げられるのは、その外見である。

彼らは褐色の肌と、そして額に『第三の瞳』を持っている。

形状や位置には個人差があるが、全てのサムサールは額に瞳を持つ三つ目の種族なのだ。

 

さて、この第三の瞳は単なる視界確保のための器官では無い。

実はサムサールは、生まれつき『とある感情がひとつだけ欠落した状態』なのだ。

それは『喜びの感情』かも知れないし、『悲しみの感情』かも知れない。

ともかく、何か一つの感情を持たず、それを全く理解できないのがサムサールである。

 

仮に『怒り』の感情が欠落したサムサールの場合、何に対しても怒るということが無い。

だから自分が他人から怒られても、相手がどんな心の状態なのか分からないのだ。

 

そして、サムサールの特徴として最も重要なこと、それは『欠落した感情は第三の瞳に宿っている』ということであり、また『第三の瞳と視線を合わせた者に、その感情が流れ込む』ことである。

先程の例で言えば、怒りの感情が欠落したサムサールの第三の瞳と視線を交わしてしまった者は、自分の意思とは関係なく謎の怒りに支配される。

しかし当のサムサールは相手が怒り狂っているのを見ても意味が分からない。

なぜ相手はこんなに大声を上げるのだろうか?

なぜ攻撃的になるのだろうか?

怒りという感情が理解できないサムサールは困惑することしかできないのだ。

また相手に流れ込んだ感情はサムサール本人の支配下には無く、どうすることもできない。

相手の中でその感情が消化されるのを待つという、時間任せの解決策しか無いのだ。

視線を合わせた時間の長さによって流れ込む感情の強さが変わるという報告もある。

運良く目が合ったのが一瞬であれば、数日怒り続けるだけで済むかもしれないし、運悪くじっと見つめ合ってしまったのなら、血管が切れて絶命するまで怒り続けるしかない場合もある。

 

サムサール自身、感情そのものは理解できなくとも『自分の額の瞳と視線を交わした相手が豹変する』という事実は理解できるので、大抵の場合は額の目を隠すように生きる道を選ぶ。

最も、どの世界にも例外は居るのだが、それはまた別のお話。

 

さて、サムサールという種族について多少は造詣が深まっただろうか。

 

それでは本題、エスヒナについての講釈に移ろう。

 

彼女は現在、キスビットという国のタミューサという村に住んでいる。

一人暮らし。

家族は居ない、と本人は思っている。

自分がアミィアリオンというファミリーネームを持っていることも、エスヒナは知らない。

※キスビットには『苗字』という概念が無く、それぞれがファーストネームだけで生活しており、エスヒナも自分の名前をエスヒナだけだと思っている。

 

海を隔てた外国、ドレスタニアという国に生まれたエスヒナは、幼少期に誘拐された。

そして人買いによる売買で各地を転々としながら、流れ流れてキスビットに連れて来られた。

当時のキスビットではサムサールが珍しく、高値で取引されたらしい。

また現在は改善されているが、その頃のキスビットには著しい種族差別が蔓延しており、異種族に対する扱いは奴隷や家畜のそれであった。

そんな状況下に珍獣扱いで放り込まれたエスヒナが第三の瞳に宿している感情は、『劣情』であった。

 

例え後進国のキスビットとは言え、現在の情報レベルであれば、サムサールの瞳を覗き込もうとするような愚か者は皆無だろう。

しかしあの当時では知識不足もやむなしと言ったところか。

エスヒナを手に入れた奴隷商人は、商品の下見も兼ね面白半分に額の瞳を無理に開かせ覗き込んだ。

突如として襲い来る劣情。

当然、その魔手は目の前にあるエスヒナに向けられた。

特殊な趣味でも無い限り、性的な魅力は皆無と言える貧相な肢体に、奴隷商人はむしゃぶりついた。

どれだけ時間が経ったか分からないが、エスヒナが解放されたのは奴隷商人が動かなくなったからだった。

激しく痛む身体、消耗しきった体力、枯れた涙と声。

 

このまま放置されれば、間違いなく生きてはいなかった。

だがエスヒナはここから運び出され、次の商人の手に渡ることとなった。

数日間、取引に現れなかった商人を不審に思った仲間が部屋を確認しに来たのだ。

そこで倒れ伏し絶命している商人と、憔悴し今にも命の灯が消えそうな『高値の商品』を発見し、喜んで持ち帰ったということだ。

 

長くなるので割愛するが、同じようなことが何度も起きた。

そのたびにエスヒナは『劣情のはけ口』として使われ、そしてそれを『仕方ない』と受け入れた。

自分が額の瞳を開かないように気を付けてさえいれば良い。

無理に開かされるのであれば、それが主の希望なのだから仕方ない。

そうやって生きていたある日。

 

彼女と他数名の奴隷を乗せた馬車が、猛獣に襲われた。

御者も馬も食いちぎられ、主は這う這うの体ほうほうのていで逃げ出した。

猛獣はエスヒナを食う前に満足し、喉をゴロゴロ鳴らしながら去っていった。

 

タミューサ村の域外調査隊が荒野の草むらに倒れているエスヒナを発見したのはそれから数日後だった。

ひどく衰弱してはいるが、生きてはいるようだ。

隊員にとっても、そしてエスヒナにとっても僥倖だったのは『第三の瞳が閉じたままだった』ことだろう。

こうしてエスヒナは保護され、そしてタミューサ村の村長である、エウスオーファンとの邂逅を果たす。

 

以下は、エウスオーファン氏の回顧録である。

 

サムサールは、当時のタミューサ村には存在しない種族だった。

私にとっても初めての遭遇だった。

サムサールについて、噂程度の予備知識を有していた私は、この少女の第三の瞳に危険を感じ、人払いを言い付けた。

どんなものなのか正体は分からないが、サムサールの第三の瞳と目を合わせると、ある種の感情が流れ込んできて自分では制御できなくなるらしい。

確かサムサールはドレスタニアが派生元だと聞いたことがある。

今後もこの村を訪れるサムサールがあるかも知れないと思い、私はドレスタニアの知り合いに手紙を書いた。

なるべく多く詳細な、サムサールについての情報をくれ、と。

しかしいくら能力が未知数だとは言え、こんな小娘に対して少々警戒し過ぎかとも思った。

そろそろ額の冷布を替えてやろうと立ち上がり、水桶に浸けた布を固く絞って少女に目をやったその瞬間、それは起こった。

額の瞳が、開いたのだ。

両の目は閉じている。

恐らく本人はまだ目覚めていない。

第三の瞳だけが、開いたのだ。

それはほんの刹那。

時間にして10分の1秒も無いほどの。

それでも確かに『目が合った』のだ。

途端に湧き起こる、いや、流れ込む感情の正体が、私にはすぐに分からなかった。

強い衝動だけがある。

そして気付いた。

これはマズイ。

私は腰に下げていたダガーを素早く振りかざし、全力で振り下ろした。

刃は肉を貫きその下の机に深々と刺さった。

私が刺したのは、自らの左手だった。

 

「保ってくれよ、左手と、精神・・・」

 

私は自分自身に言い聞かせるように呟いた。

自分の意志とは裏腹に、少女に近付こうとする自分の身体。

そのたびに左手が血を吹き、痛みによって若干の覚醒をする。

自分を内側から襲っているのは、激しい劣情だった。

私の中で、自分の子供と言っても差し支えないような少女に対し、未だかつて感じたことの無いような強く激しい性の衝動が暴れ回っている。

どちらかと言えば理性は強い方だと自負していたが、その衝動を抑え込むことはできなかった。

それを一瞬早く予感したからこそのダガーだったが、左手が裂ければ終わりである。

恐らくその手の痛みよりも衝動が遥かに勝り、例え血濡れのままでも自分は少女を「使う」だろう。

その確信があった。

それほどまでに強い劣情。

均衡とは言い難いほどの差で劣情の衝動が勝る中、私は衝動の波を測っていた。

僅かではあるが、強弱の波を以って私を襲っていた劣情の、弱まる一瞬を突いた。

理性の全力を込めた一撃で、私は自分の右足を床板に縫い付けたのだ。

左手と同様に、ダガーを突き立てて。

 

以下は、エスヒナ自身の回顧録である。

 

翌朝、あたしは目を覚ました。

額の瞳は閉じていたと思う。

代わりに開いた左右の目で、周りを見る。

見知らぬ男の人が居た。

彼はその左の手の甲を机に、右足の甲を床に、それぞれ刃物で突き刺されていた。

辺りにはすごい量の血だまりができている。

あたしが起きたことに気付いたのか、彼はあたしに向かって言った。

 

「やあ、目が覚めたかい?すまないね、情けない姿を見せてしまった」

 

そして、彼は短く呻きながら刃物を抜いた。

更に鮮血が溢れ出た。

よく見ると彼は目を閉じている。

そして、あたしは理解した。

自分でもびっくりするくらい、涙が溢れた。

額の瞳は、開かないようにいつも気を付けている。

気を付けているつもりでも、意思とは無関係に額の瞳だけが開くことも、過去にはあった。

その度に、我慢の時間が始まった。

 

「今まで辛かったろうな。私はこの村の村長、エウスオーファンだ」

 

彼は優しい声で名乗ってくれた。

あたしも自然と返事ができた。

 

「・・・あたし、エスヒナです」

 

エスヒナ、良い名だ。ようこそタミューサ村へ。君を歓迎する」

 

あたしはそれまで、ずっと我慢をしてきた。

額の第三の瞳が開かないように、隠すようにしきてきた。

それでも運悪く目が合ってしまうこともあった。

そんなときはただ、時間が過ぎるのを待った。

三っつの瞳を全てギュッと閉じて、ただ我慢した。

だいたい1日、長くても2日程度、耐えれば良かった。

相手が動かなくなるのが終わりの合図だった。

理由も理屈も分からなかったけど、ただ額の瞳で相手を見てしまうと、あの我慢の時間が訪れる。

今までどんなに優しくしてくれた人も、笑い合っていた相手も、男も女も子供も老人も、皆が豹変した。

それなのに、この人は、恐らく自分の代わりに我慢をした。

エウスオーファンと名乗ったこの人は、自分の身を傷つけてまで、あたしに触れなかった。

医務担当の村人は村長のヒドイ有り様にとても驚いていたけど「手が滑った」という彼の言葉に頷いた。

村長はきっと、あたしせいじゃないって言いたかったんだと思う。

お医者様も、それを理解して、納得してくれた。

それからあたしは額の瞳を自分の意志で閉じ続けられるように訓練し、また専用の眼帯を設えてもらった。

額当てと言った方が合っているかもしれない。

今はあたしのトレードマークでもある。

 

 

これで、少しは彼女のことが理解できたかな。

 

さて、壮絶な過去を持つ彼女だが、現在の性格としては実に軽妙である。

タミューサ村での人情味ある触れあいと温かな交流、そして親友と呼べる存在も、彼女の心の傷を癒すのに有効だったのだろう。

彼女の痛々しい記憶の数々は村での生活によって良い方向へ転換されたのだ。

苦痛の経験は、人の痛みを理解するのに役立った。

村長との出会いで、受け入れてもらえることの喜びを知った。

親友という存在が、協力し合うことの大切さを教えてくれた。

こうして培われたエスヒナの人格が、世界の危機を救う一助となったこともある。

密かに進行していた絶望的な世界の終焉、それを阻止する戦いの現場でも、彼女の中にある素直さや正義感、単純とも言える明るさ、そして心の痛みを知る優しさが、役に立ったのだ。

この件に関しては別途、膨大な資料があるので参照してもらいたい。

幻煙のひな祭り当日 まとめ

 

ただし、珠に傷な部分がある。

劣情という感情を理解できないため、性的な知識があまりにも乏しいのだ。

加えて過去に自分の身に降りかかった忌まわしい出来事は、全て第三の瞳のせいであるという認識から、自分が肌を晒すことにも同様の効果があるという認識が無い。

つまり、簡単に言えば『人前で裸になっても平気』なのだ。

第三の瞳さえ開かなければ、あんなことにはならないと思っている。

いや、恥ずかしいという感情が欠落している訳ではないのでちょっとは恥ずかしいのだが、その恥ずかしさの正体は『親友と違う肌の色』であったり『肉付きやプロポーションなど』であったり、一般的なものとは若干ズレている。

通常、裸を見せることと羞恥の心が連動するのは、そこに劣情の感情が介在するからに他ならないのだから。

彼女のこの困った特徴は、以下のエピソードからも明らかである。

タミューサ村のハロウィン

エスヒナさん猫になる

 

これでエスヒナについての情報はあらかた語れたと思う。

ああ、そうだ。

ごく一般的なプロフィールを失念していたので記述しよう。

ただタミューサ村には戸籍登録の仕組みはもちろん、身体測定などの制度もまだ無いため、数値的なものが曖昧なのは許して欲しい。

 

名 前:エスヒナ(エスヒナ=アミィアリオン eshina=amiyariom)

種 族:サムサール

性 別:女性

一人称:あたし

身 長:食器棚の一番上の段に手が届かないくらい

体 重:けっこう細い枝に乗っても折れないくらい

髪 色:黒

肌 色:浅黒い褐色