初めてのプール

 

 

ボクの村には海が無い!

 

淡い金髪を撫でる風が、とても不愉快な湿気を含んでいる。

体温より若干低い程度の温風が吹きつけ、不快指数はうなぎのぼりだ。

汗ばんだ髪をかきあげ、長く尖った耳に掛ける。

オジュサは平地の夏が苦手だった。

山間部の標高が高い地域にあるキスビット人の集落、マカ アイマス山地。

そこからタミューサ村へやってきたオジュサは、平地の暑さへの耐性に乏しかった。

 

「あ゛~  つ゛~  い゛~  ・・・」

 

だらしなく舌を出し、猫背になって両腕をだらりと垂らした酷い姿勢で歩いている。

額からこめかみ、頬を通過した汗が顎先から滴る。

 

ここキスビットは周囲をぐるりと海に囲まれた国ではあるが、その中のタミューサ村はほぼ国の中央に位置し、海とは縁の無い地域だ。

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海に面している各都市には海水浴場が整備されており、シーズン中は大いに賑わうらしい。

特に首都であるエイ マヨーカには入江が多く、一般市民が海水浴を楽しめる砂浜から、高級保養地、またプライベートビーチまで、幅広い需要を網羅したオーシャンリゾートが楽しめるようになっている。

情報網の発達により、国内各地から様々なニュースが飛び込んでくるものの、しかしここタミューサ村には縁の無いものばかりだった。

しかもニュースと言ってもそれは口伝えがほとんどであり、キスビット国内においてもタミューサ村の発展途上っぷりは有名だ。

だからこそ、見たことが無いものに対する熱望と憧憬はひとしおである。

 

「ボクも海で涼みたいよぉ~・・・」

 

「そんなに良いものでも無いけど、海」

 

まるで歩く死体ゾンビのようなオジュサに声をかけたのは、エイ マヨーカ出身のエコニィだ。

砂浜の総延長距離が国内最大という土地柄、アウトドアと言えばもっぱら海というのがお決まりのエイ マヨーカ、と聞いている。

 

「暑いんなら木陰で大人しくしてる方が何倍もマシよ、海なんかよりも」

 

しかし実際に海に行ったことが無いオジュサからしてみれば、なんだか上から目線の大人的な物言いに聞こえる。

 

「その目で海を見たことがあるエコニィの見解より、まだ海を見たことが無いボクの海への憧れの方が強いに決まってるだろ」

 

もっともらしく理不尽な理論を展開して、オジュサはまた項垂うなだれた。

エコニィは軽くため息をつき、呆れたように言う。

 

「私は塩水でベタベタになるより、川の水の方が何倍もマシだと思うわ」

 

タミューサ村を南北に走る大河川、エイアズ ハイ川。

人々の生活に無くてはならない水源である。

ただ水遊びをするには不向きで、河原らしい河原も浅瀬もあまり無い。

また、物資輸送用の運河としても利用されるため、無許可での護岸工事や治水工事は禁止されているのが現状だ。

 

「川の水が自由に使えるなら苦労しないよ」

 

膨れっ面で言うオジュサに、エコニィはポンッと手を打った。

 

「そうだ。あなたの土魔法なら、プールが作れるんじゃない?」

 

「プール?」

 

タミューサ村には存在しないプールも、首都 エイ マヨーカではメジャーなレジャー施設である。

エコニィは背中の大剣で地面に器用に図を描いた。

 

「えぇぇ!?ナニコレすごい面白そう!!」

 

さっきまで半死のようだったオジュサが目を輝かせた。

 

「こんな形なんだけど、造れるわよね?」

 

「もっちろん!」

 

 

プールを造ったんだよ!

 

「どんなもんだい!」

 

エコニィは、ただただ目を見張った。

オジュサの土属性魔法は、大地に属する土や岩や砂などを自在に操れるというものだということは知っていた。

地下室を造ったり、精巧な人形を作ったりできることも知っていた。

しかし、いま目の前で造型された物は、いや、すでに物ではなく『施設』と呼ぶべきか。

この施設の規模たるや!

 

「お、思ってたより何倍もスゴイわ・・・」

 

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素直に褒める以外ないような、ケチの付けようも無い完成度だった。

エイアズ ハイ川から巨大な水車を使って水を引き、長く曲がりくねった滑り台を伝ってその下のプールに水が溜まっていく。

ある程度の水位まで溜まれば、そこから先はまた川に戻るようになっていた。

言わば川のバイパスと小さなダムを造ったことになる。

 

「遊び終わったら、元に戻せば怒られないもんね」

 

エイアズ ハイ川はタミューサ村だけのものではなく、下流に位置する首都 エイ マヨーカにとっても重要な河川であるため、このままにしておくのはマズいかもしれない。

ただ、水を別の場所に流しているわけでも無いし、水量が変わるほどの規模でダムを作ったわけでも無い。

一時的になら構わないだろうと踏んだのだ。

 

「さぁエコニィ、みんなを呼んでこようよ!」

 

「分かったわ」

 

オジュサは村の北側へ、エコニィは南側へ。

素敵なレジャー施設完成のお知らせと招待を開始した。

 

「あ!エウス村長ぉー!」

 

しばらく歩いたオジュサはエウスオーファンの姿を見付けた。

ダクタスと木陰で何やら話し込んでいる。

 

「やぁオジュサ。どうしたんだ、嬉しそうな顔をして」

 

「えへへ~。ねぇ村長、ボク、村の皆の為にプールを作ったよ!」

 

得意気な口調で言うオジュサは、褒めて欲しくて仕方が無いと言った表情。

エウスオーファンもそれが分かっている。

 

「ほぅ。この村にプールか。それは良いことだな。皆に知らせてやると良い」

 

「うん!」

 

満面の笑みで歩き出そうとするオジュサを、ダクタスが引き止めた。

 

「プールの場所はどこじゃ?」

 

「船着き場の少し北だけど?」

 

「よしよし。ちょっと待っとれよ」

 

ダクタスは手を伸ばして木の葉を十数枚むしり取った。

そして葉を片手に呪詛を発動する。

すると、つい今までただの葉っぱだったものが紙のビラになっていた。

 

『船着き場の北にプール開園』

 

そう書かれたビラの束をオジュサに渡すダクタス。

 

「これを配れば村中に知らせるのも早かろう」

 

ダクタスの呪詛は、物や人の見た目を変化させるというもの。

変わるのは見た目だけで、その物の性質自体は変わらない。

元が葉っぱなので、時間が経てば枯れて乾燥して、バラバラに砕けてしまう。

ただこれを配るのは今だけなので、特に問題は無い。

 

「ありがとう!村長もダクタスも、あとで来てよ!」

 

ビラを持った手を振りながら駆け出すオジュサ。

もう暑さなど忘れてしまっているようだった。

 

 

しまった!水着を忘れてた!

 

エコニィの協力と、ダクタスのビラの効果によって、プールにはそこそこ大勢の村人が集まった。

皆は口々に施設の造型を褒め、オジュサは終始ニコニコしていた。

タミューサ村に初めて登場したプールには、水が流れる音が涼やかに響いている。

 

「うわ!ここ泳いでも良いのかな?あたし、暑くて暑くて!」

 

エスヒナが自分の上着に手を掛けながら言った。

その手を慌てて掴みつつ制止する声。

 

「ちょっとエスヒナ!ここで脱ぐ気なの!?」

 

チラチラと周囲に視線を送りながらエスヒナを止めたのはアウレイスだった。

サムサールであるエスヒナは浅黒い肌、アルビダであるアウレイスは真っ白い肌。

二人揃って並ぶとお互いの特徴が引き立って、両者とも魅力的に見える。

 

「んあ?下着は脱がないよ?」

 

「下着で泳ごうとするのがオカシイと思ってね?」

 

「じゃあアウリィは水着持ってきてんの?」

 

「う・・・」

 

そう。

この場に居る大半が、プールという物珍しい施設を見物に来ただけであり、そこが遊泳施設であることを認識している者はほとんど居なかった。

当然のことながら水着を用意している者など皆無である。

 

「いやぁ、良いモン見た。ありがとうよ、オジュサ」

 

「水が流れる音って聴いてるだけで涼しくなるわね。ありがと」

 

「じゃあそろそろ仕事に戻るかな」

 

「ま、待ってよ!ねぇ、泳ぐために造ったのに・・・」

 

結局のところ村人たちは去り、その場に残ったのはいつものメンバーだけだった。

当事者であるオジュサと、発案者のエコニィ。

エコニィに頭の上がらないラニッツと、エスヒナとアウレイス。

 

「あらあら。すごいものが出来てるじゃない」

 

そこへ、眠ったアワキアを抱きかかえたマーウィンが歩いてきた。

そのすぐ前をエオアが走ってくる。

 

「うわー!すっげぇー!なんだこれぇぇー!!!」

 

瞳をキラキラと輝かせるエオア。

と、その格好に注目するオジュサ。

 

「あれ?ねぇねぇエオア。それって、水着?」

 

よく見るといつものタミューサ装束ではなく、肌にぴたりとフィットするような素材で作られた服を纏っているエオア。

 

「そうだよ!母さんが作ってくれたんだー!」

 

村長あのひとが言った通りのメンバーが揃っているわね」

 

マーウィンはくすくすと笑いながら、アワキアを起こさないように背負い袋を降ろした。

そして袋の口を開け、中から数枚の生地を取り出した。

 

「在り合わせの生地で縫ったから色や柄は少し変かもしれないけど、仕立てとサイズは間違い無いハズだから」

 

皆はそれぞれマーウィンから水着を受け取った。

 

「しかしすごいもんだねぇ、あのカルマポリスの娘。私なんてこんなに皆と一緒に居ても、服のサイズなんて分かりゃしないってのに」

 

マーウィンが感心したように漏らす。

どうやらこの水着を作るにあたり、アドバイスをくれた者が居るらしい。

着衣の上からでもジャストサイズを看破するあたり、若干恐怖を感じるレベルの観察眼である。

 

「じゃあ適当に個室を作るから、みんな早く着替えて泳ごうよ!」

 

オジュサは待ちきれないと言った様子で土壌を操作し、人数分の個室を作りあげた。

 

「おおお・・・コレが・・・ボクの水着ッ」

「よっし。水に入る前は準備運動しなきゃね」

「エ、エコニィ?剣は置いておくべきかと・・・」

「きゃっほーい!おっよぐぞぉぉー!!」

「ちょっ・・・エスヒナ待ってぇ」

 

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バタフライエフェクトッ!

 

着替え終わると、それぞれがバラバラの行動に出る。

エコニィは剣で素振りを始めた。

どうやら準備運動のつもりらしい。

それに対して緩やかなツッコミを申し訳程度に入れたラニッツ。

そのまま水を引いている滑り台、いわゆるウォータースライダーへ登って行った。

オジュサは初めての水着に感動している。

一目散にプールに向かって走り出したのはエスヒナだった。

そもそも水が怖いのでプールに入るつもりは無いアウレイスはただ戸惑うばかり。

 

ざっぱーん!

 

エスヒナの上げた水飛沫みずしぶきが派手に立ち昇る。

と、その飛沫が顔にかかってしまったアウレイスが軽くパニックになる。

 

「いやああああ!!!」

 

ドンッ

 

逃げ出そうとした先にはオジュサ。

アウレイスはオジュサにぶつかってしまった。

 

どぼーんっ

 

そのままプールに落ちるオジュサ。

 

「え?ちょ、ゴバババ・・・がふっ・・・あ、ボク・・・げふっ」

 

どう見ても溺れているようにしか見えない。

 

「アハハハハ!オジュサの泳ぎ方変なのー!」

 

惜しげも無く見事な泳ぎを披露するエスヒナは、まさかプールを造った当人であるオジュサが泳げないとは思っていない。

と、さっきまで水面で暴れていたオジュサの動きが止まった。

ぷか~と浮いている。

 

「実は私、こういうの好きなんですよね」

 

ラニッツはスライダーの頂上まで登り、腰を落とした。

そして、滑り出した矢先のことだった。

 

ぐにゃり。

 

つい今まで大理石を思わせるような手触りだった滑り台が、突然粘土のような感触に変わった。

オジュサが気を失ったことにより、施設の形状が保てなくなったようだ。

 

「え?」

 

しかし一度滑り出したウォータースライダーで止まることは叶わない。

いびつなコースを描く滑り台に身を任せるラニッツが宙を舞ったのは数秒後のことだった。

 

「よし!準備完了っと!私もそろそろ泳gッッッッ!!!!」

 

べちーんっ

 

準備運動を終えたエコニィに、慣性の法則に従うラニッツがメガヒットした。

 

「いててて・・・一体何が起こったと・・・ん?この感触は・・・?」

 

「るぁぁぁぁぁにぃぃぃぃーっつ・・・」

 

ラニッツが掌に弾力を感じるのと、背筋も凍るような殺気を感じるのは同時だった。

不可抗力という言葉の意味について語り合いたいと願っているそんな中でも、プールの崩壊は止まらない。

一気に水は川に抜け、まるでチョコレートの中に飛び込んだように泥まみれになったエスヒナがキョトンとしている。

 

「あれ?プールは?うえっぺっぺ!口に泥が入っちゃったよ・・・」

 

そこに衣を裂くような悲鳴が響いた。

アウレイスである。

 

「オジュサさんが!か、川に、川に流されちゃってます!!」

 

どうやらぷかぷか浮いていたオジュサはプールからの排水と一緒にエイアズ ハイ川に流れてしまったらしい。

その後、物資運搬のために川を遡上してくる貨物船を止めたり、禁漁区に無断侵入したと疑われて近隣の集落と揉めたり、少しばかり面倒な事件になってしまった。

後日、オジュサはエウス村長に呼び出さてしまった。

 

 

ウォーターフロントスーパーサマージェットスライダーグレートプール『キスビットピア』

 

「そこに座りなさい」

 

タミューサ村において、エウス村長からの呼び出しというのは2通りの意味を持つ。

もの「すごく光栄」なことか、もの「すごく怖えぇ」なことか・・・。

オジュサは当然ながら後者を覚悟しており、普段の彼からは想像もできないほど神妙な面持ちである。

 

「今回の件は、非常に残念だったな」

 

「・・・?」

 

なんだかあまり怒られているような雰囲気を感じない。

大人は時に、とても回りくどい表現をすることがあるが、今の言葉もそういう意味だろうか?

 

「ひとつ聞きたいんだが、魔法の固定をしなかったのはなぜだ?」

 

絶対に叱られると思っていたところに、穏やかな口調での質問を投げかけられ困惑しながらも、オジュサは答える。

 

「・・・遊んでる途中でも、滑り台のコースを変えたりしたかったんだよ。それに終わったら元に戻そうと思ってたから・・・」

 

キスビット人が操る土属性の魔法には、大別して2パターンある。

連続使用タイプと、使い切りタイプだ。

前者であれば膨大な魔力を必要とするが、術者の意のままに土壌の操作を継続することが出来る。

しかし今回のように、術者との魔力リンクが途切れてしまうと形状維持ができなくなってしまう。

後者であれば魔力の効率は良いが、発動時に決めた形状に変化したあとはそのまま土壌は固定される。

もし元に戻すのなら、再度魔法を発動せねばならず、かえって魔力効率が悪い場合もある。

 

「なるほど。そうか。それなら・・・」

 

エウス村長は右手であご髭をジャリッと撫で、ポンッと膝を打った。

 

「次は固定式でやろう」

 

「は?」

 

ポカンと口を開けるオジュサ。

 

「村にレジャー施設を作ろう!」

 

まるで新しいおもちゃを手に入れた少年のように笑いながら、エウスオーファンは言った。

 

「今回の失敗は、私が君からプールの存在を聞いたとき、すぐに確認しなかったことだな。申し訳無いと思っている。だが村人たちから聞いた話では、ものすごい施設だったそうじゃないか。そもそもこの村には娯楽が無さ過ぎると、前々から思っていたところさ」

 

「そ、村長!」

 

「周辺の集落や、都市部からの観光客でも呼べれば村の収益にもなる。なぜ今まで思い付かなかったのかと反省するほどだ。協力してくれるか?」

 

「もちろんだよ!」

 

その日、村長の部屋では、施設の構造やアトラクションについて熱心に語り合う、オジュサとエウスの声が響いていた。