魂のルフラン

下記の話の続きです。

1.キャラクターとショートストーリー

2.【上】それぞれのプロローグ

3.【中】それぞれのプロローグ

4.【下】それぞれのプロローグ

5.【前】それぞれの入国

6.【後】それぞれの入国

7.集結の園へ

8.心よ原始に戻れ

9.Beautiful World

10.慟哭へのモノローグ

11.FLY ME TO THE MOON

 

キャラクターをお貸し頂いた皆様、本当にありがとうございます。

所属国 名前 特徴 創造主
ドレスタニア(近海) 紫電 恋する乙女 長田克樹 (id:nagatakatsuki)
ドレスタニア メリッサ 実は最強? 長田克樹 (id:nagatakatsuki)
チュリグ ハサマ 頼もし過ぎる ハヅキクトゥルフ初心者
奏山県(ワコク) 町田 ピアノ習ってた ねずじょうじ(id:nezuzyouzi)
奏山県(ワコク) アスミ ピアノが本職 ねずじょうじ(id:nezuzyouzi)
コードティラル神聖王国 クォル・ラ・ディマ なぜか王子様 らん (id:yourin_chi)
コードティラル神聖王国 ラミリア・パ・ドゥ どうやら師匠 らん (id:yourin_chi)
ライスランド カウンチュド 稲作の創始者 お米ヤロー (id:yaki295han)
メユネッズ ダン 自分の夢は? たなかあきら (id:t-akr125)
カルマポリス ルビネル M気質もある フール (id:TheFool199485)

 

ずいぶん寄り道しましたが、ようやく本題に入れそうです。

前回までで約84,000文字。

今回が約8,000文字。

ようやく原稿用紙230枚分ってことですね。

あと40,000文字くらいで終われるかなぁ・・・。

 

~・~・~・~・~・~・~・~

 

 

エウスの部屋でハサマがココアを飲んでいる頃。

ダンが、強い酒の入ったグラスを傾けている頃。

紫電がクォルを、オレの王子様だと認識した頃。

ルビネルがメリッサに敗北感を味わわされた頃。

町田がアスミを見ないようにそっぽを向いた頃。

ラミリアがアルファに正拳突きを教え始めた頃。

カウンチュドが、冷えた浴場で目を覚ました頃。

 

「お呼びでしょうか、ダクタスさん」

 

エウス邸から少し離れた民家に、アウレイスは呼ばれていた。

重厚な造りの椅子に深々と腰を掛けるダクタス。

ランプの光を反射して鈍く光る立派な巻き角にヤスリを掛けながら、口を開く。

 

「おお、よく来てくれた。こっちにおいで」

 

知らぬ者からすれば、顔に刻まれた深いシワが、一見すると険しい表情に受け取られてしまうダクタスだが、村では気の良いおじいちゃんとして知られている。

 

「その、お話と言うのは・・・?」

 

アウレイスは恐る恐る用件を訪ねる。

こんな時間に呼び出すのだから、それなりに重要な話のはずだ。

何か失敗をしてしまっただろうか。

誰かに迷惑を掛けてしまっただろうか。

 

「そんなに怯えなくとも、獲って食やせんわい」

 

かっかっかと笑いながらダクタスは、アウレイスを向かいの椅子に座らせた。

代わりに自分は立ち上がり、飲み物を用意する。

温かいドナ茶が淹れられた。

 

「お前さんのな、新しい能力についてなんじゃが」

 

ごくり、と喉を鳴らし、ダクタスはドナ茶を一口飲んだ。

 

「ありゃすごいな!わしも長いこと生きとるが、あんな回復魔法は見たことが無いわ」

 

まるで孫が初めて立って歩いたのに立ち会ったかのような喜び様だ。

黒い眼を細めて、心底愛おしそうにアウレイスを見詰める。

 

「あ、ありがとうございます・・・」

 

アウレイスも、こう手放しで褒められては満更でも無い。

特に尊敬しているダクタスからの言葉ともなれば、ひとしおである。

 

「だが・・・」

 

しかしダクタスが次に紡いだ言葉は意外なものだった。

 

「これから先、あの能力は使っちゃいかん。絶対にだ」

 

 

 

 

翌朝、朝食を済ませた面々が一堂に会していた。

エウスオーファンの招集によるものである。

ただし町田とアスミは別室で待機となっている。

彼らは巻き込まれただけの、完全なる一般人だからだ。

エウスは昨夜、ハサマとダンに話したものと同じく、キスビットという国がどのように作られたのかを説明し終えた。

皆一様に、重苦しい表情をしていた。

 

「つまり、そのビットって神サマをやっつければ良いって話?」

 

少々乱暴ではあるが、要点を押さえた意訳をしたのはラミリアだ。

とどのつまりは言うとおり、邪神化してしまったビットを倒さねばならない。

 

「でもこの国そのものと一体化してんだろ?どうやって倒すんだ?」

 

尤もな疑問を口にしたクォル。

いくら腕に覚えがあったところで、自分が立っている大地を相手にどう戦えば良いのか見当もつかない。

それは皆も同じであった。

 

「今の土壌で稲作をしても、実った米は邪神を喜ばせるだけとは・・・なんという不幸な国だ・・・」

 

カウンチュドが言うことも正しい。

人々が発する負の感情を吸収している土壌で育った作物は、それを食する者に更なる負の感情を育ませることになる。

 

「かと言って放置すれば、ビットの野郎はまだまだ人攫いを続けるかもしれないんだろ?」

 

チラチラとクォルを見ながら、紫電が言う。

現在ではビットが能力うでを伸ばして民を攫うという行為は確認されていないが、それは現在のキスビット国内で生成される負の感情に満足しているからだろう。

もし何らかの理由でまた活動が開始されれば、紫電が縄張りにしている海域はすっぽりそのままビットのテリトリーに重なる。

冗談では無い。

 

「それに今のままだと、この国の差別意識は薄れるどころかどんどん加速するってことよね?」

 

眉間にしわを寄せ、腕組みをしながらルビネルが唸る。

種族間の差別意識を強く持っている現代の民を1,000年前に送り込むことで、より一層の差別をこの国に浸透させているという現状は、邪神の増強をも意味する。

 

「一番やっかいなのは、ハサマ王の能力が制限されていることだろう」

 

ダンの指摘は、ハサマの能力を知る者みなに刺さった。

仮に神と敵対するとして、ここに居る面子の中で唯一頼りになるのはハサマだろう。

しかし国土全体が自然ではなく生物となってしまっている現状では、自然災害を起こすハサマの能力も制限されてしまう。

しかし、当のハサマが意外なことを言ってのけた。

 

「神だかなんだか知らないけど、チカラが使えれば殺せるよ」

 

今、まさにそのことを話していたのだ。

『能力が制限されていなければ』の話をされても仕方がない。

と皆が思ったそのとき。

 

「ビットさんって、いつから地面になっちゃったんでしょうね?」

 

あごに人差し指を当てながら「むぅ~」と頭を捻るメリッサが言った。

それに対してハサマが少しだけ驚いて、言葉を続けた。

まさかメリッサが核心に近付くとは思っても無かったらしい。

 

「いまこの国に能力うでを伸ばしているのは1,000年前のビットって言ったね」

 

ハサマの言葉に「あっ」と声を出したのはルビネルだった。

何かを確信したかのような表情でハサマの顔を見る。

 

「少なくともその当時は、まだヒトっぽい格好してたんでしょ?」

 

ここで残りの全員が顔を上げた。

ハサマの言わんとするところを察したようだ。

 

「それなら思いっきりやれるよね。そのフザけた神サマとやらをさ」

 

声を出したのは明らかに目の前に居るハサマである。

それは分かっている。

しかし、とてもこのあどけない子供の様な容姿から今の言葉が発せられたとは思えないほど、魂に爪を立てられるような怒気を伴った声だった。

ハサマ王が殺る気満々であることは、それが自分に向けられていない限り頼もしさ以外の何物でも無い。

手立てが何も無いところに光明が見えると、人はそれに希望を感じる。

誰ともなく、なんとかなるかもしれないという空気が流れた。

 

「あれれ?でもそれって、どうやって帰るのカシラ・・・?」

 

その空気に一石を投じたのは、またもメリッサだった。

それは何気ない小さな石だったが、しかし極めて重要であり、その石が立てる波紋は大きなものだった。

 

「そこが今回の最も大きな懸念となる」

 

エウスオーファンが口を開いた。

ゆっくりと顔を振りながら全員に視線を送り、続ける。

 

「私は私の責任において、村の長として、この件を依頼できる相手を持たない。まずビットに勝てるかどうか、情報が少なく判断が困難だ。そして仮に事を成したとしても、現代に戻ってこられる可能性は極めて低い。つまり『命をくれ』と言わねばならない」

 

水を打ったように静まる室内。

 

「だから、私は個人として、ただのエウスオーファンとして無責任にお願いしたい。どうか、私に力を貸して欲しい」

 

最初に口火を切ったのはダンであった。

椅子から立ち上がり、じっとエウスを見据えて言う。

 

「私は『夢追い』だ。人々から夢や希望を奪い負の感情を抱かせる諸悪の根源。その存在を知って討たずにおられるものか。未だ修行中の身で微力なれど、是非とも協力させてもらおう」

 

次に立ち上がったのはカウンチュドだ。

左拳を右手で包み、ボキボキと鳴らしながら言い放つ。

 

「1,000年前から稲作を広めれば、現代のキスビットはお米大国になるだろう。そうなれば俺の故郷、ライスランドと一二を争う米の輸出国だ!そうすれば世界中に米が広がる。まさに伝道師の仕事だな!お米の!」

 

特に立ち上がることもなく、椅子に座ったまま頭の後ろで手を組み、まるで近所に散歩へ行くような口調で続いたのはハサマだった。

 

「ハサマも行くよ。行けるんだったら帰れるだろうし」

 

仮に戻って来れなかった場合、王が不在の国がどうなってしまうのか。

その責任は誰も取ることが出来ない。

それ故にエウスはこの件に関して諸外国への協力要請を出来ずに居た。

しかし自ら協力を申し出てくれるのならば話は別だ。

不幸に見舞われた際にもキスビットが、タミューサ村がその責を負うことは無い。

あまり褒められた思考ではないが、しかしエウスオーファンは村を、国を守らねばならない。

 

「ちょっと待って」

 

賛同の流れを断ち切ったのはルビネルだった。

例によって部屋の最後部から全体を見渡しつつ、冷静に指摘する。

 

「仮に1,000年前に行ってビットを倒したとすると、現代はどうなると思う?」

 

常日頃から呪詛についての研究を行っているからだろうか。

ルビネルの頭の回転は速い。

あくまで仮説だけど、と前置きしてから説明をする。

 

「ビットを倒した瞬間に、現代からはきれいさっぱり差別が無くなるはずよ。そうすると、いま3つ確認されているという1,000年前と現代を繋ぐ場所はどうなるかしら?現代に残って、その場所を守る役目も必要だと思うのだけれど」

 

確かにそう言われれば、そうかも知れない。

可能性としては大きく分けて二つ。

一つ目は、1,000年前への誘拐が、ビットの意思によって単発で行われるケース。

次に、常設型の扉の様なものがあり、それをくぐれば1,000年前というケース。

もし前者だった場合、恐らくビットを倒した時点で帰還は困難になるだろう。

だが後者である場合には、微かにだが帰還の可能性が残される。

そして現在、能力うでの位置が固定されているところから推察すると、後者に類似した仕組みである可能性が高いのである。

 

「さすがだな、ルビネル」

 

心底感心した、という口調でエウス村長が言った。

この件に関してエウスは、長い時間を掛けて様々なケースを想定し、多岐に渡る仮説を立てていた。

それでようやく導き出した作戦が、エウスの中には在った。

その作戦の肝に、ルビネルはものの数分で至ったのである。

 

「ビットの能力うでの場所を、仮にゲートとでも呼ぼうか。現在、キスビットの三大都市をそれぞれ治めているのは、種族差別の中枢と言っても過言ではないような思想を持つ者たちだが、彼らはそのゲートを秘匿、保護している。だが過去が書き変わり彼らから差別意識が消えたとしたら、その場所がどうなるのか想像もつかない」

 

要するに、もし事を成した暁に、現代への帰還の可能性があるとすればゲートを通ることしか無い。

しかし通り抜けたその先の安全が確保されていなければ話しにならない。

 

「つまり最低でも4つのチームが必要ね。ゲート3箇所と、過去。直接ビットと対戦する可能性が高い過去チームに高い戦力を割くのは定石だし、さっきの三人でOKとして、残りはどうする?」

 

ルビネルの進行スキルの高さにエウスは舌を巻いた。

ここはひとまず口出しせず、彼女に任せた方がスムーズかもしれない。

 

「俺様も過去チームに入れてもらうぜ!『神を倒した男』なんて、なかなか手に入らない称号だからな!」

 

目を輝かせたクォルが言った。

もうビットを倒したあとのことしか考えていない。

しかし今はこの能天気さが心地良い空気を作った。

 

「だ、だったらオレも!『神を倒した海賊』とくれば名前に箔が付くってモンだ」

 

なぜ頬を赤く染めながら立候補するのか分からないが、ともかく紫電も過去チームへの参加を表明した。

 

「皆さんが行かれるのでしたら是非私もお供させてくださいな☆」

 

きっとこの場で誰よりも状況を理解していないメリッサも、なんとなく流れで過去チームへの参加を宣言した。

この状況に、ルビネルはため息をついた。

 

「全員過去じゃ話にならないわ。ちょっと整理しましょうか」

 

 

 

 

町田とアスミは、エウス村長の部屋に通されていた。

 

「昨夜は、よく眠れましたか?」

 

同伴しているラニッツの言葉に、アスミはほんのりと顔を赤らめて俯いた。

町田の前でいつのまにか寝てしまっていたことを思い出したのだ。

 

「さて、お二人にはこれから始まるであろう戦いに巻き込まれないためにも、なるべく早く帰国して頂きます」

 

ラニッツの、さも当然と言うような淡々とした言葉に、町田とアスミは驚いた。

 

「あ、あの、僕たちも何かお役に立てませんか?みんな困ってるんですよね?」

 

「私も、ハサマちゃんやカミューネちゃんを守ってあげなくちゃ」

 

二人の言葉に、ラニッツは温かいものを感じた。

しかし、だからこそ危険な目に遭わせる訳にはいかないとも思った。

 

「お二人の気持ちはとても嬉しく思いますが、しかし帰国は絶対です」

 

あからさまに落胆する二人に、どう声を掛けて良いのか分からないラニッツ。

やはり自分には荷が重かったと痛感した。

エウス村長が早く話し合いを終えて、戻って来てくれることを願うしかない。

もう一度エウスからきちんと説明してもらおう。

そう考えたラニッツは、世間話で時間を持たせることにした。

 

「この石、なんだと思います?」

 

ラニッツの言葉に、町田とアスミは石碑に目をやった。

 

「何でしょう?小さな文字がびっしりと彫られていますね」

 

「これが、我々の仮説を飛躍的に現実たらしめたものです」

 

そう言って、ラニッツは簡単に経緯を説明した。

1,000年前に攫われ、そこで見聞きしたことを現代に伝えるべく、この石碑を残したタミューサ村の同志は、本当に立派だと。

その話を聞くうちに、町田の表情がみるみる真剣なものに変わっていった。

アスミでさえ、こんな表情を見たことは無い。

 

「少し疑問があります」

 

石碑から目を離し、眼鏡を掛け直しながら続ける。

 

「その邪神は、この石碑の存在に気付かなかったのでしょうか?」

 

町田は、少なくとも可能性が3パターンあると説明した。

ひとつ目は、この石碑の存在に、ビットが気付いていないこと。

ふたつ目は、気付いていて、取るに足らないと判断し後世に遺させたこと。

みっつ目は、記載内容をビットにとって都合が良いように変えてあること。

 

「町田くん、君はすごいな」

 

ラニッツは素直に驚いた。

この石碑を始め、他にも数点の「過去からのメッセージ」が発見されている。

しかし、そのどれもが「内容が薄いもの」なのだ。

確かに同志がエウス村長に向けて書いたであろうことは分かる。

そこから推測される状況によって、今まさに戦いを計画している。

だがヒントと呼ぶには情報が不足し過ぎている。

タミューサ村の面々はそこでようやく、ビットにとって不利になる情報は奴自身によって削除されているという可能性を考えるようになった。

町田はそこに「書き替え」の可能性までを見出している。

 

「いえ、僕はもともと物語を考えるのが好きで。もし自分が邪神だったら、この石碑を遺すかなって考えただけです。それと・・・」

 

町田は石碑に視線を戻し、もう一言を付け加えた。

 

「もし仮にふたつ目の理由でこの石碑が遺された場合、とある可能性が浮上します」

 

「とある、可能性?」

 

ラニッツは町田の造り出す空気に完全に飲まれていた。

ごくりと生唾を飲み込み、続きを待つ。

 

「これを遺した同志の方が、ワザと内容が薄い文章を書いていたとしたら、どうでしょう?邪神に見つかっても差し支えない程度の情報しか書かず、本当に伝えたい情報は『一見しただけで判らない』ようになっているとしたら」

 

そう言いながら町田は、石碑の周囲を注意深く観察した。

文字自体はキスビット語で書かれており、内容を判別することはできない。

その様子を観ていたラニッツが、ようやく気付いたとばかりに声を上げる。

 

「あ、暗号ですか!?」

 

こくりと頷き、町田は石碑の観察を続ける。

 

「僕がこれを遺すのなら、きっとそうします。ちなみに、この部分はどういう意味ですか?」

 

ラニッツは町田の示す部分『丸い記号』について説明した。

文章を作るとき、意味の切れ目に入れる記号だということだった。

 

「僕たちで言う句読点だね、アスミちゃん」

 

ふいに声を掛けられ、アスミは驚いた。

正直なところ、町田の洞察力と知的な一面に見とれてしまっていたのだ。

 

「あっ、あぁ、うん!そうね!」

 

なんとか返事を返したものの、話の展開にはついていけていなかった。

しかし町田は、意外なことを尋ねてきた。

 

「アスミちゃん、僕の仮説に後押しが欲しいんだけど、これ、何に見える?」

 

石碑には丁寧に罫線が引かれており、一行ずつにびっしりと文字が刻まれている。

その罫線が、所々で太い線になっている部分がある。

よく見ると、太い線になる部分には法則性があり、細い線20本につき1本が太くなっているようだ。

そして句読点というその記号は、罫線を跨ぐように丸が描かれている。

罫線内にきちんと収まっているものも、ある。

 

「うぅん・・・、音符に似てる気がする、かな?・・・なんちゃって」

 

自分の意見に自信がないアスミは言葉を濁そうとしたが、しかし町田はその答えに力を得たようだった。

 

「やっぱり、そう見えるよね?僕は子供の頃、ちょっとだけピアノ教室に行ったくらいだから自信が無かったんだけど、アスミちゃんがそう思ったならきっとこれは、楽譜だよ」

 

確かに、丸の記号だけを抜粋して見れば楽譜として見えなくも無い。

しかし通常は五線譜で書かれる楽譜が、この石碑には数十本もの罫線が引かれている。

もし太線で仕切るにしても20本もの線があるのは、多過ぎる。

 

「さっきから、君たちは何を言っているんです?ピアノ、ガクフ・・・?」

 

ラニッツが訝しげな口調で問い掛ける。

それもそのはずだった。

キスビットに音楽は存在しない。

楽器も歌も、口伝される民謡も子守唄も、旋律を奏でるものが何ひとつ存在しないのだ。

 

ラニッツさん、もしできることなら、用意したいものがあります」

 

町田はラニッツと共に部屋を出ようとする。

慌てて追従しようとしたアスミだったが、町田に制されてしまった。

 

「アスミちゃんは、この石碑をよく見ていて欲しいんだ。音楽家のアスミちゃんにしか、見えないものがあるかもしれない」

 

町田の力強い瞳に見つめられ、身動きが出来ないアスミ。

力強く両肩を掴まれ、目と目を合わせて町田が言った。

 

「僕たちにもできることがあるのなら、それで困っている人たちを助けることが出来るなら、頑張ってみたいんだ」

 

アスミは無言で頷くことしかできなかった。

それを確認した町田は、ラニッツと部屋を出て行った。

 

「町田くん・・・かっこよすぎるよ・・・」

 

アスミはぺたりとその場に座り込んでしまった。

束の間、今まで見せてきた優しい笑顔から一転、町田の真剣な表情に酔いしれたアスミだったが、しかし託されたものがある。

いつまでも呆けてはいられない。

よしっと小さく掛け声を出して自分を鼓舞する。

石碑に振り返り、よく見る為に近付こうとした瞬間。

少し遠目に見たのが奏功したのかもしれない。

思わず無意識に口から洩れる言葉があった。

 

「これ・・・連弾・・・?」

 

マーウィンに紙とペンを用意してもらうため、アスミは慌てて駆け出した。

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