【アイラヴ】あした吹く風がどんな風か今は分からない

この世界は光を欲し過ぎている。

より強く輝くため、激しい光を放つため、そしてその光を皆が享受できるように、そうやって世の中の仕組みが構築され回るようになっている。

だが光ばかり見ている連中はすっかり忘れちまったんだろう。

光が在るところには必ず影が差し、影が差せばそこに闇が生まれるってことを。

 

「クソがッ!ジャックは必ず生け捕りにしろ!この俺が直接ブチ殺すッ!」

 

あのナイフ使いの本名は、知らない。

通り名で『ジャック』と呼ばれているから、俺もそう呼ぶ。

ボスが怒り狂ってんのは、明日の取引で必要な汚薬おくすりさらわれたからだ。

正直、俺にはどうでも良いことなんだが。

 

雨哉あめやぁ、お前もさっさと行け。ジャックをとっ捕まえて来い!」

 

イカレたボスの命令でイカレたジャックを捕まえて、そんでイカレた私刑リンチショーってワケか。

何をどうしたって誰かが傷付く結果しか待っていない。

俺は、何のために生きてるんだろう。

物心ついた時から退廃地区スラムで暮らし、親代わりの犯罪者クソヤローから仕込まれた窃盗ぬすみ暴力けんかで生きてきた。

そんな生き方をしてるから、どうしてもその世界でのロウに従わないと潰される。

この世に善悪って区別があるんなら、俺はまず間違いなく悪の側の人間なんだろう。

だが俺の手の届く範囲、この世界でなら、取り立てて良くも悪くもない、いわゆる『普通』ってやつなんだけどな。

今日も自己満足の為に、俺は盗む。

腹ペコのあいつに食いモンを持ってってやるために。

きっとこれは俺が自分の存在のバランスを取るためにやる偽善なんだろう。

持ってる奴からほんのちょっぴり奪って、持ってない奴に与える。

ジャックは誰かが見付けてボスに引き渡すだろう。

あいつんトコで適当に時間を潰して、適当に帰ろう。

盗んだ金で買ったチキンを片手に、俺は地下道へ入る。

経済特区とっくに入るのは検問が面倒だ。

いつものマンホールを押し上げて地上の光を確認する。

ここだって、俺が住んでる退廃地区スラムよりほんのちょっぴりマシな程度の貧民街だ。

事業が立ち行かなくなった連中の廃屋、廃工場、廃倉庫だらけのエリア。

あいつはこのあたりを縄張にしているはずだ。

今日はごちそうだぞ。

 

「なぁ、みかりんに何したん?」

 

何て運が悪いんだろう、俺は。

まさかこんなところでジャックを見付けちまうなんて。

オマケにこの状況。

見て見ぬふりもできそうにない。

 

「黙れと、言った」

 

ジャックのナイフが少女に届く前に、どうにか俺の手は間に合ったらしい。

瞬きすら忘れ引きつった表情の少女。

 

「ぐっ・・・何だてめぇッ!!」

 

ああ、コイツは盗み専門か・・・てんで弱いな。

刃物エモノが無きゃただの腰抜けじゃないか。

・・・あれは?

 

「うわぁ!お、折れるぅ!折れちまうっ!やめてくれッ!!」

 

「なぁお前、チームの奴だろ?これを取り戻しに来たんだろ?返す、ブツは返すから・・・」

 

俺は容赦なくジャックの腕を折った。

足元に横たわるあいつを見付けたからだ。

チキンが無駄になっちまった。

逃げる糞野郎ジャックを無視したのは、目の前の少女が気になったからだ。

こんな状況にも関わらず逃げ出そうとも泣き叫ぼうともしない。

 

「・・・大丈夫かい?」

 

俺は柄にもなく精一杯優しい声を出そうと心掛けた。

 

「・・・みかりん・・・」

 

少女はくたばったあいつを見つめ、名前を呟いた。

そうか、あいつはみかりんって言うのか。

 

「そうか・・・。悪いけど、みかりんは俺が貰っていくよ?あんまり可愛いから、俺が飼うことにしたんだ。大切に、するからね」

 

何て酔狂な、とは思った。

こんなことで少女が救われるとも思えない。

だがロクデナシの俺にはこれ以外に何も思い付かなかった。

標的エモノを逃がし、代わりに犬の死骸を持って帰った俺は半殺しの目に合った。

 

同病相憐どうびょうあいあわれむってなぁお前のことかよ雨哉ぁ・・・この犬ッコロが!」

 

ボスはヒステリー気味に叫びながら俺をいたぶった。

ボロ雑巾のようにゴミ捨て場に放り投げられたが、こんな最期をどこか受け入れているような自分が居た。

思うように動かない身体を、動かそうとするのを止めた。

このまま目を閉じれば、もう二度と、この影の中の闇を見ることも無いだろう。

 

「め・・・目を覚ましたでゴザルか・・・?」

 

次に目を開けた俺の視界に入り込んだのは、異様な光景だった。

狭い部屋の壁と言う壁に貼られているポスター。

どれもが若い女性を写している。

 

「ここは・・・ぐっ・・・」

 

アバラが疼く。

しかし致命的な感覚ではない。

俺はどれくらい寝ていたのか。

 

「こ、こ、ここは、小生しょうせいのデュルフフwwwうちでゴザルよコポォwww」

 

参った。

闇の世界でくたばって、目を開けたら別の闇の世界かよ。

 

「あんたが、痛ッ・・・手当を・・・?」

 

どうにか立ち上がれるほどには回復している。

ひどく腹が減っているのに気付いた。

 

小生しょうせいとて、ひ、人の子でゴザル。ち、血まみれで倒れてれば、た、助けるのが当然だと思いますけどデュフフフwww」

 

まったくこちらの目を見ずにしゃべる奴だが、どうやら俺に害意は無さそうだ。

こいつは俺が自分のことを話さなくても気にしなかったし、逆に聞いてもいないのに自分のことをどんどんしゃべった。

正直、最初は鬱陶しいと思ったが、次第に慣れていった。

 

「しかし雨哉あめや氏が捨てられていた現場を目撃した時、本当は小生しょうせいそれはもう肝を冷やしましたが、小生の聖書バイブルであるところの『前向け心』に従った結果どうにも放っておくことができず雨哉氏を回収した次第でして」

 

「前向け心・・・?」

 

「おやおやこれはwwwご存知ない?wwwデュフフコポォwwwこれでゴザルよwww」

 

そう言いながら、奴はある曲を再生した。

俺には歌の良し悪しなんてことは分からない。

だが、言っている歌詞の意味くらいは理解できる。

 

「おい、他にも、あるのか?」

 

「御意www」

 

気付けば俺は、こいつの部屋にある全ての楽曲を聞いていた。

 

「雨哉氏も『みかりん』の魅力に気付いたでゴザろう?デュフフww」

 

 

 

 

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天井にも貼れば良かった。

【アイラヴ】本当に火が涼しくなるなら心頭を滅却したい

駐車場の街灯から降る弱い光が、薄ぼんやりとした大小ふたつの影を作っている。

大きな方の影が、何度目かのため息をつく。

それにつられて小さいほうの影も、深いため息をついた。

 

「俺は、撮影されてた過去のステージは、資料の映像ディスクで観てたんだ。なのに、根こそぎ持ってかれた・・・」

 

「ウチかてそうや・・・市販のステージ映像は観とった・・・けど、あんなん反則や・・・何の味か分からへんかった・・・」

 

二人は絞り出すように心情を吐き出すと、また長く深いため息をついた。

天帝セブンである、序列第七位の東雲ひじきvsたい序列第六位の琴浦 蓮のステージを観覧を終え、実に4時間が経過していた。

蓮がせた魂を震撼させる歌劇は、身を刻まれるような悲劇であり、初華ういか御徒町おかちまちも、精根尽き果てるまで落ち込んだ。

虚無と呼ぶべき悲嘆と凄烈な感動を精神に刻印され、意図的に呼吸をせねば窒息してしまうような衝撃を受けた。

そんな状態で始まった後半。

ひじきがかせたのは閉塞からの解放だった。

蓮のステージで静謐せいひつ聖櫃せいひつと化した会場に、冥府がごとき哀しみの斤量きんりょう、その寂寞せきばく磔柱はりつけばしらを架した開始時から一転、空気が、割れた。

渇きの大地に雨が降るように、飢餓者にパンを与えるように、絞まる首の縄が緩むように、ひじきは観客の魂を解放した。

それは初華にも、御徒町にも、平等に訪れた本性の暴露であった。

初華は号泣した。

蓮のステージで我慢した分の反動だろうか。

恥も外聞も無く大声を上げていた。

御徒町は大いに身体を動かし、パイプ椅子を破壊してしまった。

二人にとって幸いだったのは、お互いが自分のことで精一杯であり、双方共に相手の状況を確認してはいないことだった。

もちろん、残った結果だけはしっかりと見られることにはなったが。

 

「おかちさん、椅子を壊してまうなんてなぁ」

 

「初華、目が真っ赤だね」

 

ステージの話題を逸らそうと呟いた言葉も、しかし何の効果も得られず、二人はまたため息と共に黙り込むしか無かった。

もう何度こんなことを繰り返しただろうか。

車が停まっていない駐車スペースの車輪止め縁石に越し掛ける二人。

もうこの駐車場には御徒町の車しか停まっていない。

 

「・・・だが、いつまでもこうしては居られない」

 

自らの膝を掴み、ぐぐっと力を入れて立ち上がったのは御徒町だった。

先ほどまでのため息とは違う、格闘技の息吹いぶき彷彿ほうふつさせる、そんな呼吸だ。

 

「ほら初華、俺、立てるんだ」

 

自分に向けられた言葉の意味が分からない初華。

しかし御徒町ならいヨロヨロと立ち上がる。

 

「そんなん、ウチかて立てるで」

 

「でも、ステージ直後は立てなかったろ?」

 

確かに、そう言われればそうだった。

ギリギリ歩けるようになるのにもたっぷり30分はかかった。

他の観客も放心状態で動けずに居る姿をあちこちで見かけた。

 

「そして、ここに来たときよりも、身体は動くはずだ」

 

「・・・せやな」

 

上半身を捻りツイスト運動をする御徒町を真似る初華。

 

「いつもそうなんだよ。止まるのも、後ろを向くのも、精神こころなんだ」

 

「・・・?」

 

御徒町が何を言いたいのか考える初華。

すると意外なことが起きた。

なんと、御徒町が静かに歌い出したのだ。

決して上手くはないが、丁寧に主旋律をなぞる心地良い歌い方だった。

 

♪~

どんなに傷を負ったって

身体は治ること めないよ

いつだってそう まるのは

後ろ向くのは 私の心

死ぬまで死なない私の身体

生きているのにうつむく心

転んだ膝のにじむ血も

ホラもう止まる

心を動かせ 心を治せ

それが出来るのは 自分だけ

心をよく見ろ 心の傷は

思ってるほど 深くない

~♪

 

メロディとしては若干古いような、そんな印象を受けた。

いつの時代の誰の歌なのかは分からないが、御徒町が言いたいことは分かった。

今の自分に必要なことは精神的に立ち上がることだ気付いた初華。

ありがとう、と言おうとした初華より先に、歌い終えた御徒町が口を開いた。

 

「これ、どうしようもないクズだった俺を、立ち直らせてくれた歌なんだ」

 

「おかちさんが・・・・?」

 

御徒町は弱気を振り払うように、覚悟を決めるように、勇気を奮い起すように、膝を叩いた。

そしてそのまま両手で自分の頬を打つ。

初華が気持ちを切り替えるときの癖を、拝借したのだ。

 

「ちょっと、昔話に付き合ってくれるか?」

 

 

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くらーい。

【アイラヴ】三つ子の魂って三歳の子供の性格って意味なんだぜ

「チッ・・・こんなガキに見られちまうたぁ、俺もヤキが回ったな」

 

今は誰も寄り付かない廃工場。

その中で、誰にも言わず秘密で犬を飼っていた。

家族に見つからないように食べ物を持ち出すのは苦労したし、有刺鉄線をくぐってこの廃工場に入るのも楽では無かった。

しかし、会いに来れば喜んでくれるその犬の嬉しそうな表情が忘れられなかった。

ワンワンと鳴く声は爽やかなリンゴ味。

クゥ~ンと甘える声は完熟みかんの味。

初華はこの犬が大好きだった。

だから、今日も来た。

でもその犬は今、見知らぬ男の足元に転がっている。

開いた口からダラリと垂れた舌からは、生命力が感じられない。

両手に抱えたパンとハムが、転がった。

 

「おっちゃん、誰?・・・みかりん、なんで寝てんの?」

 

「キャンキャンうるせぇから黙らせてやっただけだ。ガキ、騒ぐならお前も同じだぞ」

 

男は腰に下げていた大振りのナイフを取り出した。

足元のカバンを拾い上げ、刃をギラつかせながらゆっくりと迫る。

 

「なぁ、みかりんに何したん?」

 

「黙れと、言った」

 

男はその体躯に似合わず素早い動きで、地面を滑るように接近してきた。

突き出されるナイフ。

しかしその銀色の光は目の前で止まった。

 

「ぐっ・・・なんだてめぇッ!!」

 

見上げると、男の腕を後ろから掴んでいる青年が居た。

黒いブルゾンのフードを深く被ってはいたが、精悍な顔立ちが見て取れる。

一瞬の間があり、男の腕はぐるりと捻じり上げられる。

 

「うわぁ!お、折れるぅ!折れちまうっ!やめてくれッ!!」

 

男は情けない声で赦しを乞う。

出し過ぎた渋いお茶のような苦味のある声が一転、出涸らし同様の薄い味になっている。

 

「なぁお前、チームの奴だろ?これを取り戻しに来たんだろ?返す、ブツは返すから・・・」

 

ゴキィッ!!

今まで味わったことのない音を聞いた。

血抜きがうまくできていない魚のような生臭い味。

 

「ギャヒィィィィーッッ!!!」

 

そして男が発する、発酵し過ぎたヨーグルトのような酸っぱい味。

ナイフとカバンを落とし、折れた腕を押さえながら転がるように逃げて行った。

 

「・・・大丈夫かい?」

 

「・・・みかりん・・・」

 

青年の優しい声はかぼちゃのように甘く深い味だったが、それよりも動かなくなってしまった犬の方が気になる。

 

「そうか・・・。悪いけど、みかりんは俺が貰っていくよ?あんまり可愛いから、俺が飼うことにしたんだ。大切に、するからね」

 

青年はそう言って犬の亡骸を丁寧に抱き上げ、くるりと背を向けて廃工場から出て行った。

外に出たその刹那、少し強めの風が吹き、青年のフードをめくる。

 

「・・・ワンちゃんや」

 

薄暗い廃工場の中から見える青年の姿は、もはやシルエットだけではあったが、頭部に犬のような耳が見えた。

 

 

 

 

「ってことがあってん。可愛い可愛い5歳くらいの初華ちゃん。その大ピンチを、オオカミはんが救ってくれはったってワケや」

 

「・・・犬の、耳?」

 

「まぁ今思えば、風で偶然に髪がそんな形になっただけやと思うけどな。子供ん頃は犬や思っとったけど、オオカミの方が合ってんねんな。もしかしたら、おかちさんみたいに寝癖がヒドかっただけかも。そんでな、たぶんあのとき、犬は死んでたんやろなぁ。そんでもあのオオカミはんのお陰で当時のウチはホンマ、救われたんよ」

 

「そ、そうだな。うん。そうだろうな・・・」

 

昼食を終え、移動中の車内。

自分の好みのタイプについて、御徒町のような俗物的理由ではなく尤もな理由があるのだと、初華が話した過去の経験談

しかしそれは御徒町に、少なからず動揺を与えることとなった。

 

「せやから、ウチを助けてくれた、その男の人みたいなんがタイプなんや。おかちさんのヤラシィのとは全ッ然ちゃうからな」

 

「うん。そうだな・・・」

 

「え?凹んでんの?冗談やで冗談。ちょ、別にウチ、ホンマは何にも気にしてへんよ?」

 

「あ、ああ、うん・・・ありがとう・・・」

 

車内に漂う微妙な空気。

初華は、ちょっとふざけ過ぎてしまったかと反省し、口をつぐんだ。

 

「もう着くからね。今日はすごい先輩のステージだから。しっかり学ぼう」

 

少し業務的な口調になった御徒町

やはり機嫌を損ねてしまったようだと、初華は後悔した。

御徒町が優しいので、ついイジってしまう。

自重せねばならない。

 

「うん。分かった。さすがに録画録音はアカンのやろ?メモは構わんの?」

 

「そうだな。メモなら構わないだろう」

 

バッグの中からペンとメモ帳、そしてドレプロ所属を示す名札を取り出す。

これのお陰で、客席ではなく撮影スタッフが陣取るカメラポジションからの観覧が可能になる。

 

「とは言え、今日のステージは格が違い過ぎて、参考になるかどうか怪しいけど」

 

「そうなん?」

 

「天帝セブン、序列第七位の東雲ひじきvsたい序列第六位の琴浦 蓮の、対バンだからね」

 

 

 

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【アイラヴ】晴天なのに霹靂ってそりゃ驚くわな

「俺もって、どゆこと・・・?」

 

初華はキョトンとして御徒町を見詰めた。

その御徒町は深いため息をつき、少し間を置いてから、初華に重大な報告をした。

 

「まさか初華からソレを言われるとは思わなかったよ。驚いた。俺から言おうと思ってたのに」

 

ハハハ、と乾いた笑いは若干自嘲気味にも聞こえるが、真意は分からない。

初華はまだ、御徒町が何を言いたいのか理解できずにいた。

直感的に予測できることはある。

しかし、まさか、そんな。

 

「え?・・・ちょぉ待ちぃ、おかちさん・・・え?・・・えぇ?」

 

「俺もだ。俺もドレプロを辞めるつもりなんだ」

 

初華の時が止まる。

もちろん世界の時間は正確に進んでいる。

ミーティングルームに設置されている時計の秒針が、やたら大きな音を刻む。

 

「ええええぇぇぇぇッ!!?」

 

「シィ!声が大きい!」

 

「え?だって・・・何でッ!?・・・おかちさんが辞めるて!?」

 

俺は、と言ってから静かに深呼吸した御徒町

意を決したように真剣な表情で初華と視線を合わせる。

 

「上司にこのことを聞いて、資料に目を通して、すぐ結論が出たよ。俺にとって初華を一人前のアイドルにすることは、もう単純な『仕事』じゃなくなってたんだ」

 

「・・・だって、おかちさん・・・敏腕プロデューサーは?」

 

「俺自身、驚いているんだけどな。俺が成りたいものは敏腕プロデューサーじゃなく、美作みまさか初華ういかのプロデューサーらしい」

 

「・・・何うてんの・・・アホちゃう」

 

「自分でもそう思うよ。つい今朝までドレプロで正プロデューサーになるために必死で頑張ってきたのに、それを簡単に放り出してしまうなんて」

 

「アカンやろ!それ、放ったらアカン、大事なモンやろ!?」

 

「その大事なものを手放してでも叶えたい夢が初華ういか、君なんだ」

 

「ッ!!?」

 

あまりにも予想外な展開に、感情が混線してしまった初華。

怒ったような口調で御徒町に大声を上げながら、目からは大粒の涙が溢れている。

喜怒哀楽がいっぺんに最大値まで達するという経験は初めてだった。

 

「だから、俺はドレプロを辞めて他のプロダクションを探す。なに、少しだけドレプロの内部資料を拝借してそれを手土産にすれば、いくらでも次は見つかるさ」

 

とても腹黒いセリフだが、しかし御徒町のことだ。

本当にドレプロの打撃となるようなことはしないだろう。

初華を安心させるための方便の可能性が高い。

 

「アカンよ・・・アカンよおかちさん・・・ウチ・・・ウチ・・・」

 

本格的に泣き始めてしまった初華。

さすがにこの反応は予測していなかった御徒町は狼狽するしかない。

 

「そ、そんなに・・・してもろても・・・ウチ・・・何にも・・・返されへん・・・」

 

しゃくりあげながら、ようやく伝えた言葉。

ホクホクした焼き芋の優しい味で、御徒町が返す。

 

「先に貰ったのは俺の方なんだ。それを返すために、だよ。さっきも言ったろ?美作みまさか初華ういかのプロデューサーになるという夢。こんなすごいものを貰ったんだ。一生かかっても返せるかどうか」

 

ひとしきり泣いた初華がようやく落ち着いた頃、時計は正午近くを指していた。

顔を上げた初華は御徒町の顔を見ながら、申し訳なさそうに言う。

 

「なぁ、おかちさん。もう一回ちゃんと考えてや?あんな、ウチ、今からえげつないコト言うで?・・・あんな、ウチな・・・お、おかちさんのこと・・・お、男としては全ッ然タイプちゃうねん・・・」

 

「ああ、俺も初華には女性としての魅力を感じないな」

 

「え?」

 

勇気を振り絞った初華の告白は、呆気無いほど平坦なトーンで切り返された。

初華としては自分のためにこれだけの決断をしてくれるという状況から、少なからず御徒町は、自分に気があるのだろうと思っていた。

人生経験の短い初華には、そうでなければ説明のしようが無いような展開だった。

 

「初華、俺たちはあくまでもプロデューサーとアイドルだ。決してここに恋愛関係を持ちこんではいけない。それで失敗した話を、俺は先輩たちから嫌と言うほど聞かされてきた。だから勘違いしないで欲しい。俺は女性として初華を見たことは一度も無いし、俺を男性として見て欲しいとも思わない。もちろん、初華の魅力がアイドルとして一級品であることには違いないけど、それが『俺の恋愛対象』とは直結しない」

 

「あぁ・・・うん・・・」

 

今更ながら、初華は御徒町の覚悟とプロ意識に、胸の中で脱帽した。

もうこうなったらアイドルとして大成功することでしか、恩返しはできないと腹を括る。

 

「分かった。変なことうてゴメンな。ウチ、めっちゃ頑張るッ!」

 

「よし!それでこそ初華だ」

 

初華は両手でぴしゃりと頬を打った。

今から事務所を出れば、ゆっくり昼食を済ませても午後のスケジュールに間に合いそうだ。

 

「あー、泣いたらお腹すいたわぁ!おかちさん、お昼どないする?」

 

「おしゃれにパスタ、手早く丼物、こってりラーメン、お安くバーガー、どれでもお好きなものをお選びください、お嬢サマ」

 

「アハハ。なんやのんソレ。じゃあ、がっつりステーキでどないや!」

 

「選択肢の意味が無いじゃないか!」

 

妙な掛け合いをしながら車に乗り込む二人。

今日これから行くのは先輩アイドルのステージ見学。

ドレプロに在籍しているあいだ、吸収できるものは何でも吸収しておかねばならない。

 

「そう言えば、初華の好みのタイプってどんな男なんだ?」

 

何気ない会話から、御徒町がふいに尋ねた。

 

「せやなぁ。オオカミみたいに野性的で強いヒトかなぁ」

 

「なんだよそれ。なんでオオカミなの?」

 

「ん~、昔な、ちょっとあってん。それより、じゃあおかちさんの理想のヒトってどんななん?」

 

「正直に言うから引かないでくれよ?スタイルの良い女性かな」

 

「・・・は?何それ。要するにおっぱい大きいヒトってコト?」

 

「ストレートだなぁ・・・まぁ否定はしないけど」

 

「うっわ。うわーうわー・・・。寒っ、怖っ、キモッ・・・」

 

「引かないでって言ったのに・・・」

 

 

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【アイラヴ】わざわいってどうやったら福に転じるの

今日は体幹トレーニングと、先輩アイドルのステージ見学の予定だ。

ウィーカは駐車場で、御徒町の会議終了を待っていた。

 

「ごめんごめん、お待たせ。ちょっと長引いちゃって」

 

早歩きでやってきた御徒町だが、車のロックを解除する様子が無い。

ウィーカは早く乗り込んで、道中で話したい事がある。

 

「おかちさん早よ開けてーな。ウチ、ちょっと相談したいことがあんねん」

 

「ん?・・・ウィーカもか。実は俺もなんだ・・・」

 

御徒町はそう言いながら、申し訳無さそうに続けた。

 

「ちょっと重い話になるから、落ち着いて話し合える事務所のミーティングルームを使おう。悪いけど、体幹トレーニングは勝手にキャンセルしちゃったよ」

 

トレーニングのキャンセルに関しては特に気にしないウィーカだが、御徒町からの相談と言うのがとても気になる。

二人はミーティングルームへと急いだ。

お互いそれぞれに相談がある状況は、どちらから先に話し出すのか空気の読み合いになる。

口火を切ったのはウィーカだった。

 

「おかちさんの話は重いんやろ?せやったらウチのから言わせてもろてもええ?」

 

「ああ、聞こう」

 

「あんな、ウチ、名前を戻そうかなぁて思うんやけど・・・どう思う?」

 

「え?・・・美作みまさか初華ういかに、ってこと?」

 

「そう。あかんかな?」

 

「いや、個人的には構わないと思うけど、芸名をどうするかは最終的に事務所が判断することだからね。一応、俺の企画書には美作初華でデビューと書いておくよ」

 

「おおきにッ!」

 

御徒町は頭の中で、改名に必要な書類と手続きを挙げてみた。

そう多く無さそうだ。

まだ正式な研究生でも無いという身分が幸いしている。

 

「ウィーカ、あ、いや、初華。今度は俺の番だ」

 

「あいよッ」

 

思いのほか自分の要求があっさり通ったので、初華は上機嫌だった。

御徒町からの相談も可能な限り全力で応えようと、ウェルカム状態で聞きに回る。

 

「さっきの会議後に、俺の上司から打診があったんだ」

 

御徒町は慎重に、言葉を選ぶように話し始めた。

こういう、初華に対する気遣いたっぷりなときの声は、完全に焼き芋味だ。

 

「初華の昇格、つまり、正規の研究生への引き上げについて」

 

「えっ・・・」

 

初華の時間が止まる。

そして次の瞬間、パァっと破顔した。

が、すぐに表情を戻す。

 

「で、条件は?・・・あんねやろ、何か条件が」

 

単純な昇格であれば御徒町がわざわざ『相談』などという言葉を使うはずがない。

ましてスケジュールをキャンセルしてまで時間と場所を選んだ話になどなるわけがない。

 

「水着までならええけど、それ以上やったらウチ、脱がれへんよ?」

 

「なんでそうなる。・・・初華、上からの条件は『グループデビュー』だ」

 

御徒町は経緯を簡単に説明した。

元々3人組での活動を希望する研究生が居ること。

事務所の意向で四人組カルテットの方が望ましいということ。

そしてその4番目としてなら、補欠から昇格させて正規の研究生になれること。

 

「ここまでなら、まぁ検討の余地がある話なんだけど」

 

御徒町がひどく話しにくそうにしているのが分かる。

正直、初華としてはソロでやりたいという気持ちが強い。

しかしグループでデビューした後、やがてソロ活動というケースもよくある。

確かに悩みどころではあった。

 

「その、3人組というのが、この子たちなんだ」

 

そう言いながら御徒町は、簡単なプロフィール資料を机の上に広げた。

初華の表情が引きつる。

資料に貼られた顔写真、とびっきり能天気な笑顔で写っているのは、タオナンだった。

 

「・・・これが『不遇』かぁ・・・なんやあの占いめっちゃ当たるやん・・・」

 

「占い?」

 

「いや、こっちの話や。おかちさん、ハッキリ言うで?やッ!」

 

「・・・だろうね」

 

御徒町も、初華のこの反応は予想通りではあった。

しかし問題はこの先なのである。

 

「正直に言うとね、本来ならこういう話って、拒否権は無いんだよ」

 

「せやろな」

 

意外にも初華は冷静に答えた。

内容が『提案』『打診』であればまだ交渉の余地はあるだろうが、経緯を聞くに、恐らく今回のこの話はすでに『辞令』レベルの内容に近いということは、初華も理解していた。

それを断るということは、つまりプロダクションに対する背信行為となる。

それも、メンバーの中に気に入らない人物がいるからという、子供じみた個人的感情が理由であるとすれば尚更だろう。

 

「それで、ここからが俺の相談ってことになるんだけど・・・」

 

「もぉええよ」

 

「え?」

 

初華は顔を上げ、御徒町と目を合わせた。

少し悲しそうな表情で頬笑み、そして自らの結論を語った。

 

「ウチ、ドレプロ辞めるわ」

 

「ッ!!?」

 

「もちろんアイドルになんのまでは辞めへんよ?どっか違うプロダクション探して、またイチからオーディションや。どーせタオナンを倒したるんやったら、プロダクションも違ごてた方がええと思うしな」

 

「初華・・・」

 

「おかちさんには色々とぉしてもろたのに、なーんも恩返しできんくてゴメンなぁ。ほんでもおかちさんやったらすぐに敏腕プロデューサーになれるわ。ウチなんかより、もっとええ子をデビューさせたってや」

 

「初華、聞いてくれ」

 

「ホンマ悪いけど、ウチ、説得されへんよ?もう辞めるいうて決めたんや」

 

「初華!俺もなんだ!」

 

「・・・え?」

 

 

 

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頑固と一途は紙一重。

【アイラヴ】寝て待ってないから果報じゃないのか

約束の時間より、ずいぶん早く事務所に到着しそうなウィーカは、ひとり街をブラつくことにした。

まだ午前9時頃ということもあり、開店前の店も多い。

当てもなく歩くウィーカ。

どこかのコーヒーショップにでも入って時間を潰そうかと考えていると、ふいに「干し葡萄レーズン味の」声を掛けられた。

 

「お嬢さん、占いに興味は無いかえ?」

 

目を向けると、歩道に面した店舗と店舗の隙間の狭い路地に安っぽい机を置いた、いかにもな雰囲気の占い師が居た。

特に占いが好き、ということもないウィーカだったが、ドライフルーツは大好きだった。

干し葡萄レーズン味の声に惹かれ、つい近寄ってしまう。

 

「ウチ、占いに使えるほど、お金に余裕無いで?」

 

素直に言うウィーカ。

本当は今住んでいるマンションですら分不相応だった。

研究生(補欠)に対しても惜しみなく経費をかけてくれるドレプロには感謝している。

もちろん、半年で芽が出なければ容赦無く取り上げられてしまう生活だが。

 

「お金は要らないよ。お嬢さんの運命が面白そうだったから、個人的に詳しく見てみたくなったのさ」

 

「ふ~ん。まぁええけど」

 

「じゃあ、まず名前を」

 

「ウィーカ」

 

「・・・?・・・それは、本名かえ?」

 

「・・・なんで?」

 

「いや、あまりにも不吉で、先が無い・・・」

 

「えっ?」

 

「本当にその名前なら、お嬢さんの人生はこの先ヒドイものだろうねぇ」

 

「・・・初華ういか。ホンマは美作みまさか初華ういかや」

 

「ッ!!!?」

 

占い師はバッと顔を上げ、目を見開き、ウィーカの顔を見た。

突然のことに驚き、占い師の迫力に気押され一歩下がるウィーカ。

 

「な、何なん・・・?」

 

「初華・・・美作・・・なんという劇的な名前じゃッ!!」

 

「名前だけでそないに・・・?」

 

「姓名判断を馬鹿にしてはいかんよお嬢さん!良いかい?お嬢さんの名前は非常に特殊な運命を持っておる。天格は『逆転成功』で、地格は『積極的』。じゃが人格は『不遇』で、外格は『挫折』。それでいて総格は『開運、勇気、成功』ッ!」

 

「全ッ然わからへんよ」

 

「ああ、すまないね。取り乱してしまった」

 

「簡単に言うと、どーゆーことなん?」

 

「・・・まずお嬢さんの姓な、文字を並べ替えてごらん。『みまさか』を並べ変えると『かみさま』になるじゃろ?つまり神様。最高の天運が付いておると思えば良い」

 

「おお!いままで全く気付かへんかった!なんちゅー有り難い苗字なんや、ウチ!」

 

「大切にしなされよ。この姓を捨てるようなことがあれば、どんな不運が舞い降りることか分かったもんじゃない。できれば結婚後も姓が変わらないようにした方が良い」

 

「・・・マジか・・・」

 

「それから要注意なのは人格の『不遇』。これは人間関係、特にライバルの存在が大きく人生に関わってくるということだが、心当たりは無いか?」

 

「あり過ぎて怖いくらいや・・・」

 

「それから気になるのは、外格の『挫折』か。これは、困っても助けてくれる存在が居ないということを示しておる。お嬢さんにこれから必要なのは、信じて頼れるパートナーということじゃな」

 

「・・・その点は、まぁ、今んとこ大丈夫かな?」

 

「・・・いや、久々に面白い運命を見させてもらった。ありがとうよ」

 

占い師は干し葡萄レーズン味の声でウィーカに礼を言うと、机をたたんで路地の奥へ去って行った。

怒涛の勢いに飲まれてしまっていたが、少しずつ冷静になってきたウィーカ。

 

「こりゃ、おかちさんに相談やなぁ・・・」

 

 

 

「ほ、本当ですかッ!?」

 

御徒町は思わず立ち上がってしまった。

そして周囲の視線に気が付き、ハッとなって座る。

最後の議題が片付き、最終の質疑応答後の解散ムード漂う会議室でのことだった。

もののついでのように告げられた一言が、御徒町にとっては盛大に重要な内容だったのだ。

それは上司からの一言だった。

 

御徒町、お前が抱えてる補欠の子な、正規の研究生にって話が挙がってるぞ?」

 

なんという幸運だろう。

降って湧いた夢のような話。

しかしまだ何の実績も無いウィーカが、なぜ急に抜擢されることになったのだろうか。

 

「とても有り難いお話です。できれば経緯をお聞かせください」

 

上司の説明はこうだった。

いま研修中の研究生の中に、3人組での活動を希望しているメンバーが居るらしい。

ユニットを組むこと自体は特に問題は無いのだが、実はすでにドレプロには3人組のアイドルが複数存在しており、いわゆる「パターン被り」は避けたい状況だった。

それに対し、そこに1人加えて4人組にするという案が浮上したわけだ。

しかし誰を加えるか、それが問題になった。

現状研究生として活動している者はみなすでにある程度進路が決まっているし、たった1名の補充のために新規オーディションを行うのは大袈裟すぎる。

そこで白羽の矢が立ったのが、補欠という存在のウィーカだったらしい。

 

「つまり、その四人組カルテットに加わるのであれば、ということですね?」

 

「そうだ。悪い話じゃないと思うが」

 

「・・・本人と、相談させてください」

 

「分かってると思うが、基本的にNOノーは無いぞ?」

 

「ですよね・・・」

 

「ちなみにこれが、その3人組の資料だ。持っていけ」

 

「ありがとうございます」

 

気付けば上司と自分だけになっていた会議室。

時計に目をやると、ウィーカとの約束である10時まであと5分しか無い。

急いで机の上の資料をカバンに突っ込み、会議室を出た御徒町

 

「ウィーカは何て言うだろうなぁ・・・」

 

 

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占いすげぇ・・・。

【アイラヴ】壁に耳で障子に目だったらドアには何だよ

ウィーカが歌唱レッスンを受けているあいだ、御徒町は車内で雑務を片付けていた。

今はまだウィーカひとり、しかもデビューもしていない研究生(補欠)の世話だけなのだが、それでもやることは多かった。

レッスン場の確保、それに合わせたスケジュール調整、経費の精算、事務所への報告、業界内の情報収集、特にライバルとなるであろう現研究生や駆け出しアイドルについての調査。

それから、ウィーカをデビューさせる際に、どんな方向性のキャラクターでいくか、その路線をまとめた企画書の作成。

 

「素のままで売れるほど、アイドル業界は甘くないもんなぁ・・・」

 

企画書の役割は「アイドル本人の商品価値を事務所側にプレゼンする」というものだ。

しかし、それは「デビュー後の人生を左右するライフプラン」とも言えた。

決して軽くないその書面を、御徒町はこれから半年で仕上げねばならない。

ウィーカの実力、特性などを加味しつつ、最適な企画書を。

そんなことを考えながらも、事務所への報告書を仕上げていく御徒町

ふいに、膝の上に乗せた通信端末を操作する手を止め、電話をかける。

 

「もしもし、御徒町です。お疲れ様です」

 

『おお、どうした?こんな時間に』

 

「あ、夜分にすみません。あの、ちょっとお聞きしたい事がありまして」

 

『構わんよ。なんだ?』

 

「いまウチの研究生に、タオナンという子が居るのをご存知ですか?」

 

『近頃のオーディションで拾った子だな』

 

「その子についての資料、見れませんか?」

 

『唐突だな。まぁお前のことだ、何か事情があるんだろう。送るよ』

 

「ありがとうございます!主任!」

 

本来は研究生と言えど、公式に発表されている以外の個人資料のやりとりは厳禁である。

特にプロデューサー同士はお互いにライバルという関係性でもあり、プロダクション側が所持しているアイドルについての情報が行き来することは、まず無い。

ダメ元での依頼だったが、思ったより簡単に承諾され安心した御徒町

タオナンがまだ研究生であるということが要因だろうか。

その御徒町から依頼を受けた側の主任と呼ばれた人物は、通信が切れた電話に向かって呟く。

 

『お前さんが選んだ子、ウィーカだったか。素晴らしい先見の明じゃあないか、御徒町

 

一方、御徒町は早速送られてきた資料に目を通す。

タオナンは確かに経済特区の出身であり、相当な大富豪の娘らしい。

資料に記載されている実家の会社について検索すると、かなり手広く事業展開していることがすぐに分かった。

 

「おかちさん、何見てんの?」

 

「ふおぉぐあッうぃーかッ!!?」

 

レッスンを終えたウィーカがドアを開けて声を掛けた。

慌てて端末のモニタを閉じた御徒町は指を挟んでしまう。

 

「ぁ痛ッ!な、なんでも無いよ!は、早かったね!」

 

「はは~ん・・・おかちさん、えっちなモン見てたんやろ?」

 

シッシッシと含み笑いをしつつ、後部座席に乗り込むウィーカ。

 

「ち、違うって!仕事の資料に決まってるだろ!?」

 

「あかんあかん。苦しいでおかちさん。仕事やったらそないに慌てて隠すもんかいな」

 

「いや、ご、極秘の資料だから・・・」

 

「ええやん。ウチ、そーゆーのは理解あんねん。むしろ健全やと思うで?」

 

「違うのに・・・」

 

誤解は解けないまま、御徒町はエンジンを掛け車を発進させた。

今日のスケジュールはこれで終わりだ。

このままウィーカを自宅まで送り、自分は事務所に帰って残務整理となる。

後ろには黙ったままのウィーカ。

御徒町は一人だけ気まずい空気を感じながら、沈黙の続く車内での運転を強いられる。

ふいに、ウィーカが妙なことを言い出した。

 

「・・・あんな、おかちさん。ウチ、音に味があんねん」

 

「え?」

 

「音にな、味があんねんて」

 

「いやごめん、まったく意味が分からないんだけど?」

 

「せやろなぁ。ん~、これいっつも苦労すんねんな~説明すんの」

 

ウィーカは眉間にシワを寄せながら唸る。

本人もどう説明して良いのか分からないようなことなのか。

 

「さっきな、おかちさんにお芋さんや言うたやろ?あれな、おかちさんの声が、お芋さんの味やったからなんよ。ちなみに車の走ってるゴーッて音はタマゴの白身みたいな味やで」

 

「・・・それって、もしかして共感覚きょうかんかくってやつかい?」

 

共感覚synesthesiaシナスタジア)とは、ある知覚情報に対して通常の感覚だけでなく、異なる種類の感覚をも生じさせる知覚現象であり、一部の人にのみ見られる特殊なものである。

例えば文字に色を感じる人や、身体の部位を見ただけでそこを触ったような感触を覚える人など、例は様々だ。

ウィーカの場合は、耳で聞いた音に対して味覚が伴っている、ということだろうか?

 

「たぶん、そんな名前やったと思う。わかる?」

 

「ああ、なんとなく想像はついた。しかし、すごい能力だな」

 

「そんなことあらへんよ。ええことなんかひとっつも無いし」

 

「・・・ん?ちょっと待って。じゃあ日常の全ての音に味があるってこと?」

 

「せやで」

 

「今日のダンスレッスンの曲とかも?」

 

「うん。めっちゃ辛かった。ちなみにオカマの先生ぇの声は小魚の佃煮みたいな味で笑ろてもーたわ」

 

「で、俺の声は焼き芋なの?」

 

「いっつもてワケやないで?今のん声は、そーやなぁ、栗っぽい感じ?なんか声のトーンとか雰囲気でもちょっとずつ変わんねん」

 

まるで共感はできないが、なんとなく理解だけはできた御徒町

何の役にも立たない特殊能力を、ウィーカが持っているということだけは把握した。

やがて車はウィーカの住むマンションの前に到着した。

 

「じゃあ、明日は事務所に10時で。迎えに来れれば良いんだけど、俺は朝から会議でさ」

 

「そんなんかまへんよ。こうやって送ってくれただけでも有り難いんやから」

 

「それじゃおやすみ」

 

「ん。また明日」

 

手に持ったデイバッグをひょいと背負い、エントランスに入るウィーカ。

カードキーをかざすと自動ドアが開く。

エレベーターホールまで真っ直ぐ進み、ボタンを押す。

間も無くエレベーターの到着を告げるポーンという音が鳴った。

 

「・・・にがい・・・」

 

 

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不安定。やっぱ何度も描かなあかんな。