下記の話の続きです。
1.キャラクターとショートストーリー
2.【上】それぞれのプロローグ
3.【中】それぞれのプロローグ
4.【下】それぞれのプロローグ
5.【前】それぞれの入国
6.【後】それぞれの入国
7.集結の園へ
8.心よ原始に戻れ
9.Beautiful World
10.慟哭へのモノローグ
11.FLY ME TO THE MOON
12.魂のルフラン
13.甘き死よ、来たれ
キャラクターをお貸し頂いた皆様、本当にありがとうございます。
ウチの子
所属国 |
名前 |
特徴 |
キスビット(タミューサ村) |
エウスオーファン |
嗅覚村長 |
キスビット(タミューサ村) |
ダクタス |
姿形変化 |
キスビット(タミューサ村) |
ラニッツ |
雷雲創造 |
キスビット(タミューサ村) |
アウレイス |
完全回復 |
キスビット(タミューサ村) |
オジュサ |
土石操作 |
キスビット(タミューサ村) |
エコニィ |
大剣使い |
キスビット(タミューサ村) |
マーウィン |
分身出現 |
キスビット(タミューサ村) |
アルファ |
謎の存在 |
キスビット(ジネ) |
カミューネ |
暗闇移動 |
キスビット(タミューサ村) |
エスヒナ |
友情出演 |
に・・・20人も居たッ( ̄Д ̄;)!!
~・~・~・~・~・~・~・~
私は寝坊した。
起きて、慌てて、走った。
エウス村長のお屋敷まで、そんなに遠くない。
もうすぐお屋敷が見えてくるあたりで、なんだかとても心地良い音が聴こえてきた。
私は走った。
また怒られちゃうな。
なんて言い訳しようかな。
でも、素直に謝るべきだよね。
あ、みんな庭に出てる。
何してるんだろう?
そんなことを考えてた。
そしたら・・・
ついさっきまで晴れ渡っていた青空が、一瞬で真っ黒に変わった。
そんな風に見えた。
でもそうじゃなかった。
「それ」はエウス村長のお屋敷をすっぽり包むほどの大きさで、突然空から降って来た。
誰にもどうすることもできなかった。
巨大な真っ黒い布が、ファサッと落ちて、あとには何も無くなってしまった。
私の目の前で、お屋敷も木もみんな、無くなった。
「嘘・・・なに、これ・・・嘘だよね・・・?嫌だ・・・こんなの・・・うわああぁぁぁーッッッッ!!!!」
エウスの屋敷が在った場所には、ただ黒く変色した地面だけが残っていた。
まるで焚火をしたあとのように黒くなっている。
雑草が生えている緑色の地面と、くっきり境界が見て取れる黒色の地面。
その狭間で膝から崩れ落ち、慟哭することしかできないエスヒナの涙が、地面を濡らす。
「うぅ・・・なんだ?何が起こった?」
ダンは突然真っ暗になった視界が徐々に戻るのを感じつつ、周囲の状況を確認した。
さっきまでエウス村長の屋敷の庭で、町田とアスミの演奏を聴いていたはずだ。
青く晴れ渡っていた空が、暗い紫色をしている。
それに驚くほど風が強い。
そしてこの浮揚感はどうしたことか。
ここまで考えて、ダンの意識は覚醒した。
「こ、これはッ!?」
自分を含め、あの場に居た面々がみな強風に巻き上げられ、空中に静止している。
その中心にはハサマが居た。
直立の姿勢で腕を組み、魔王さながらの視線を眼下に向けていた。
その視線の先の大地、そこに半壊したエウスの屋敷が在った。
あの庭がそのまま在る。
しかしそれより先には荒野がどこまでも広がっている。
その枯れた大地にただひとつ、かなり遠いが人影が見える。
「おまえたち なんで あのおと しってる ヤメロ ヤメロ」
目を凝らすと相貌が見えてきた。
尖った耳から察するに精霊のようだが、その肌はサムサールのように浅黒く、頭部にはサターニアのような角が生えている。
恐らくはそれが発したであろう言葉は、不思議と距離を感じさせずに聴こえる。
そしてとてもたどたどしく、幼稚だった。
言葉を覚えたての子供が、初めて意味の通る発言をしたかのような。
「ハサマ王、これは一体・・・?」
ダンの問い掛けにハサマが答える。
「屋敷周辺の空間ごと『運ばれた』んだよ。いや、放り投げられたと言った方が正しいかも知れない。落ちる前に浮かせたから、たぶんみんな大丈夫だと思うよ」
「ッ!?この風は貴方の能力か!するとここは・・・」
ダンは察した。
ハサマはこくりと頷いた。
ここは1,000年前のキスビット。
そしてアレが、邪神になり果てたビットだろうか。
状況を整理しようと必死に思考を巡らせるダンに、ハサマが言う。
「みんなを護りながらじゃチカラが出せないから、頼んだよ」
すると風の方向が急に変わり、ハサマ以外の皆が一気に屋敷前の地面に降ろされた。
どうやら目を覚ましたのはダンのみで、他の者は気を失っているようだ。
町田とアスミが演奏していたピアノ周辺に寝かされる面々。
ダンは夢追いの剣を抜き、ビットが居る方向に構えた。
「この身に代えても、皆を護る!」
ダンの言葉を合図に、ハサマが大きく両腕を振り上げた。
するとビットの足元の地盤が突き上がり、まるで石柱のように伸びていく。
激しく揺れる地面にどうにかバランスを取りつつ立っているダンは、改めてハサマの壮絶な能力を目の当たりにした。
つくづく味方で良かったと思う。
と、ハサマが振り上げた両腕を、今度は勢い良く振り下ろした。
ダンは我が目を疑った。
空に浮かぶ紫色の暗い雲を突き抜け、眩い光の柱が降り注いだではないか。
「天をも穿つ閃光の一撃ッ!!」
光の柱は、ビットが乗る突き上がった地盤に命中した。
かのように見えた。
しかし衝撃も爆発も、被弾の音すらも起きなかった。
「チッ・・・」
本来ゲイ・ボルグには、発動までに力を溜め集中する時間を要する。
そこを省略し無理矢理に放った一撃は、ビットの頭上に現れた黒い手に包まれ、消えてしまった。
充分な威力を乗せられなかった一撃とは言え、それでも城の1つや2つは簡単に破壊する程度の規模だったはずだ。
黒い手の正体が分からない以上、無意味な攻撃は得策では無い。
そう判断したハサマは暴風を操り、皆の元に移動する。
石柱の頂上ではビットが小首をかしげている。
何かしたか?
そう言いたげな態度にハサマは歯噛みした。
「んん・・・なんだ・・・急に真っ暗に・・・」
ダンの後ろで紫電が目を覚ます。
それを契機に、皆が続々と上体を起こす。
「手短に言うぞ。我らは1,000年前のキスビットに居る。ハサマ王が邪神ビットと交戦中だ。みな、用心しろ!」
先に目覚めた者の務めとばかりに、ダンは情報共有を図り、喝を入れる。
その言葉で状況を理解した者はそれぞれに身構え、周囲の策敵を行う。
「いよいよ俺様、神を倒せし者になるってか?」
軽口を叩きつつ、大型の剣を軽々と抜き放ったクォル。
常人では両手でも扱いに苦労しそうなスケールの剣を片腕でひょいと構える。
さすがに歴戦、思考の切り替えが早い。
「そのデカいの振り回して、私に当てないでよ?」
ふいに後ろから声を掛けられた。
ちらりと視線を向けるとエコニィが、同様に大剣を構えている。
こんな無駄口はエコニィらしくないのだが、緊張がそうさせているのだろうか。
「おっと。同じ剣士同士、仲良くしよーぜ」
額に汗を滲ませるエコニィに対し、ニヤけた顔を向けるクォル。
すると横からも声が掛かる。
「おいクォ!油断してんじゃねぇぜ!」
苛立ち気味の怒声を上げたのは紫電だった。
決して、クォルが自分以外の女性と会話をしたから苛ついているわけではない。
この状況が、あまりに現実離れしているためだ。
「俺様、大人気じゃん」
しかしそれでも軽口を叩くのは、もう性分なのだろう。
そんなやり取りを切り裂いて、悲痛な声を上げたのはカミューネだ。
ビットとは反対側を指差している。
「あ、あれッ!あれを見てください!」
「なにぃ・・・!?おいおい・・・なんだありゃ・・・」
思わず驚きの声を漏らすのはカウンチュド。
カミューネが指差し、カウンチュドが見詰める視線の先で蠢くものたち。
「あれは・・・ゴーレムッ!?」
キスビット人であるオジュサが悲鳴に似た叫びを上げた。
土を操る魔法を使うキスビット人は、その命を代償にすることで壮絶な戦闘力を手に入れることができる。
土を身に纏い、命が尽きるまで無敵の力を得ることができるのだ。
それがゴーレムである。
戦力は一体で王都エイ マヨーカの一個大隊にも匹敵する。
そのゴーレムが地面からボコボコと這い出てくるではないか。
「これは・・・逃げる方が得策かもしれませんよ?」
冷静に敵戦力を見れば、このラニッツの判断は間違ってはいない。
まともに相手をしていては命がいくつあっても足りない。
「ただし、逃げる場所があれば・・・の話ね・・・」
まだ起きないアスミと町田の前で、二人を庇うように立つルビネルが核心を突く。
そう、土から這い出たゴーレムはこちらを取り囲むように、ぐるりと円周を描いている。
「師匠のキックで倒せるかどうか、まだ判断できません」
アルファは知覚センサーでゴーレムをスキャニングするが、まだ距離があるのと、実際の戦闘を見ていないため、役に立つ情報は得られていない。
「じゃあちょっと、試しに蹴ってみようかしら?」
口では冗談を言うものの、ラミリアの額には汗がにじんでいる。
危機的状況であるという緊迫感が神経をビリビリと刺激する。
これまでの戦闘経験や切り抜けた修羅場によって磨かれた警戒警報が、全力で鳴っている。
「まぁ☆これは夕立の前触れですか?洗濯物を取り込まなければ・・・」
エウスオーファンに抱き起こされたメリッサが、暗紫色の空を見上げて言う。
これが本当に単なる夕立前の曇りであればどんなに良かっただろう。
「村長、さて・・・どうしたもんか・・・」
ダクタスが悲壮な顔でエウスオーファンに視線を送る。
ちょうどそこへ、上空から旋風を伴ってハサマ王が舞い降りてきた。
「ハサマ王、率直なご意見を願う。我々は足手まといか?」
「最初はそう思ったんだけどね、どうにも・・・」
そう言うや否や、ハサマは右腕を大きく振り払う。
すると一瞬にして巨大な竜巻が立ち昇った。
同時に大地を揺るがすような轟音が鳴り響く。
空を見上げれば、絶望的な大きさの岩の塊がこちらに向けて放たれていたものを、ハサマが竜巻で粉砕したようだ。
先ほど大地から突き上げられた石柱を、ビットが放り投げてきたらしい。
そして状況は更に絶望的となる。
空中で粉砕された岩の塊が、そのままゴーレムに変型しながら次々と着地していく。
ハサマは躊躇していた。
ゴーレムを掃討することは、可能である。
しかしそれには、ここに居る者の安全を考えないならば、という但しが付く。
そしてゴーレムが土から這い出てきたこと、また砕けた岩からも変型したことを考えれば、一次的に駆逐したとしてもすぐに補充されると見るべきだ。
「一点突破しよう」
悲壮感に包まれた中、エウスオーファンが口を開いた。
ビットとは反対側に向かってゴーレムを切り崩しながら進み、可能な限り距離を取る。
最大戦力であるハサマが存分に戦えるようにすることが、いま最も重要なのだ。
しかし先ほどのような規定外の攻撃をビットが仕掛けてきた場合、それを防御できるのもハサマだけなのである。
ゴーレムを突破するのは、ハサマ以外でやり遂げなければならない。
「ぃよっしゃーッ!!俺様一番のりィーッッッ!!」
方向性が定まったのならあとは全力で暴れるだけとばかりに、クォルが先陣を切って駆け出した。
「あ!ちょっと、クォっ!?」
先走るクォルを見て後を追おうとするラミリアを制止したのは、エウスだった。
「彼にはあれが適任かもしれない。オジュサ、頼む」
エウスが手短に戦術を伝えると、先程まで絶望に沈んでいたオジュサの表情に生気が戻る。
クォルの背中から視線を剥がせずにいたラミリアも、納得した。
「メリッサ、マーウィン、キツイ役回りになるが、任せたぞ」
いまいち状況が飲み込めていないメリッサだが、エウスに依頼されたのは至極簡単なことだった。
二つ返事で承諾する。
「はいッ☆土のお人形さんたちに捕まらないように鬼ごっこですね?」
朗らかな様子のメリッサと対象的に、マーウィンの表情は固い。
「そんな大役が、私などに務まるでしょうか?」
俯き、視線を足元に落とすマーウィンに、ダクタスが声を掛ける。
「エウス村長が今まで、できぬ者にできぬ事を命じたことがあったか?」
「あははははは☆鬼さんこちらッですぅ~♪・・・に゛ゃッ!」
満面の笑顔でゴーレムたちの間を縫って走るメリッサ。
足元の石につまづいて転んだ。
つい一瞬前までメリッサの頭があった空間を、ゴーレムの巨腕が通過する。
「あいたたた・・・」
よろよろと起き上がるメリッサ。
その鼻先を掠めて大地を踏みしめるゴーレム。
転んだままであれば間違いなく踏みつぶされていた。
膝を擦り剥いていないか確認するために上体を下げると、そこを石の礫が素通りする。
「メリッサは、あの枯れ木を目指してくれ」
エウスの指示は、ゴーレムに捕まらないよう、遠くに見えていた枯れ木まで辿り着くこと。
ただそれだけだった。
ゴーレムの数を分散させるというエウスの狙いは、見事に的中した。
メリッサを追って数体のゴーレムが地響きを立てる。
それぞれが腕を振り、足を蹴り上げ、メリッサを狙う。
しかしそのことごとくが外れ、空かされてしまう。
それどころか、同士討ちとなって崩れ去るゴーレムも多い。
舞い上がる砂埃でくしゃみをし、地面の凹凸でつまづき、呼ばれた気がして振り向く、その全ての動作が芸術的な回避運動になっている。
「とぉーちゃあ~っく☆」
枯れ木に辿り着いたメリッサ。
さて、ここからどうすれば良いのだろうか?
次の指示を仰ごうとして今来た方向を振り返る。
と。
メリッサは目を疑った。
「アスミちゃんッ!避けてくださいッッッッ!!!」
悲痛な叫びが空しく響く。
いつの間に目を覚ましたのか、ゴーレムたちの間にアスミが居た。
そして、あまりにも呆気なく、踏みつぶされてしまった。
もうもうと撒き上がる土煙の中に、メリッサは町田の姿も確認した。
「ッ!!町田さ・・・」
声を掛けるより早く、町田の体は軽々とゴーレムに持ち上げられ、握りつぶされてしまった。
「・・・・んで・・・」
俯くメリッサ。
肩が震えている。
「・・・んな・・・るん・・・」
足元の乾いた土に、パタパタと水滴が落ちる。
「なんでそんなことするんですかぁーーーッッッ!!!」
メリッサは激怒した。
足元に落ちていた枯れ枝を拾い上げ、ゴーレムに打ちかかる。
「ひどいです!アスミちゃんを、町田さんを、返してくださいッ!!!」
枝をぶんぶんと振り回しながら走るメリッサ。
ゴーレムからすれば格好の標的だ。
しかしどんな攻撃も当たりはしない。
それどころか同士討ちの回数が増えてきている。
「どおおおぉぉぉぉりゃあああああっっっ!!!」
高く跳んだクォルが全体重を乗せて振り下ろした剣は、ゴーレムを頭部から真っ二つに分断した。
硬い岩の塊に叩き付けたというのに、その剣は刃こぼれひとつしていない。
剣自体の強度もあろうが、使用者の腕によるところが大きい。
「遅い遅いッ!!」
力はありそうなので攻撃を受けたり捕まればダメージは大きいだろうと予測されるゴーレムだが、しかしその動きは緩慢であり、クォルはこの戦闘に余裕を感じていた。
心配だった強度も、それほど硬質というわけではない。
恐らくカウンチュドの矢、紫電の拳やラミリアの蹴りでも砕くことは可能と思われる。
クォルには知る由も無いことだが、キスビットの悪魔と恐れられる無敵のゴーレムは、命を燃やす精霊が存在してこそ力を発揮する。
いま周囲で生成されているのはただの土の塊なのである。
いける、そう判断したクォルはこのまま露払い役を務め、血路を開くことを改めて決意し、後陣を振り返った。
「ッ!?」
カミューネが陣形を離れ、一人でぽつんと立っていた。
そこにゴーレムの剛腕が唸りを上げて襲いかかる。
左の脇腹あたりに命中した岩の拳はそのまま振り抜かれ、カミューネの上半身だけが空に舞う。
「カ、カミュ・・・ッッッ!!!」
声を掛ける隙さえ無いほどの刹那。
地面に残されたカミューネの下半身が音も無く倒れるその後ろで、ダンとエウスに襲いかかるゴーレム。
二人は目の前に集中しているためだろうか、後方からの攻撃に気付いていないようである。
両手を組みハンマーのように振り下ろされたゴーレムの腕に、ダンとエウスは叩き潰されてしまった。
「うそ・・・だろ・・・?」
戦闘中に我を忘れることは禁忌である。
しかしそれでも、クォルのことを誰が責められようか。
彼の目の前に広がるその光景、それは絶望をしてなお、ぬるいと言わしめるほどの地獄だった。
ついさっきまで一緒に居た仲間たち。
その『仲間たちだった部品』が転がっている。
大地を一歩踏みしめたゴーレムが潰したのは、ルビネルの頭部だったように見えた。
岩の腕が粉砕したのはエコニィの左半身だろうか。
そして、クォルの目に、ラミリアが映った。
構えたまま動かない。
恐怖に竦んでいるのだろうか。
「避けろッ!!ラミィィッッッ!!!!」
クォルは全身全霊で叫ぶと、雷のごとく駆けた。
真っ直ぐラミリアまでの最短距離を最速で抜ける。
彼に自覚は無いだろうが、途中に立ちはだかるゴーレムを紙屑のように蹴散らしながら。
まさに鬼神のごとき疾走であった。
しかし。
あと一歩、遅かった。
ゴーレムの放つ、下から掬い上げるような拳はラミリアの全身を捉えていた。
メキメキと嫌な音を立てながら吹き飛ばされるラミリア。
更にその先には大きく両腕を上げたゴーレムが待ち構えており、ラミリアの体は濡れ雑巾のように地面に叩きつけられた。
「よくも・・・よくもォォ・・・」
噛みしめた唇から血が流れる。
クォルの燃える瞳からは、涙が溢れていた。
そして獣のような咆哮が空気を切り裂く。
「ォォォ俺のラミリアをぉぉぉォォーッッ!!!」
微かな光さえ無い真闇の中。
エウスとダンの会話が聞こえる。
皆もその声に集中している。
「エウス殿、俄かには信じがたいことなのだが・・・ビットに、その・・・夢の気配を感じた・・・勘違いでは無いはずだ・・・」
「ダン、君のその能力を借りたい。私も確かに嗅いだのだ。奴の中にもうひとつの存在を。その夢の内容を鮮明に判別するには、どうすれば良い?」
「この剣で触れるか、あるいはもう少し時間があれば、探れると思う」
「分かった。何としても奴の夢とやらを暴いてくれ」
何も見えない本当の暗闇の中、メリッサとクォル以外の全員が、そこに居た。
紫電がアスミを、カウンチュドが町田を背負い、息をひそめて気配を殺している。
頭上から、どしんどしんと音が聞こえる。
ここはオジュサが土を操作して作り出した地下空間である。
エウスの作戦はこうだった。
まずオジュサが、ある程度ヒトの形をした土人形を作る。
それをダクタスの変化の呪詛で、全員の風貌そっくりに見せかける。
クォルとメリッサが大多数のゴーレムを引き付けてくれたお陰で、どうにか隙が生まれていたのだ。
そのままオジュサは地下室を形成し、全員がその中に隠れた。
上手くいけばビットはこちらを全滅させたと思い、退散してくれる。
そうなれば、ひとまずは時間が稼げるというというわけだ。
「クォル様が、倒された土人形を発見されました」
マーウィンの声だ。
マーウィンの役目、それは分身を地上に出現させ、状況を知覚することだった。
「す・・・すごい・・・あのゴーレムをあんなに簡単に・・・」
「避けろッ!!ラミィィッッッ!!!!」
クォルの叫び声が、地下室にまで響いてきた。
「ありゃ、私の人形がやられそーなのね」
詳しい状況は分からないが、自分に向けられたクォルの声を、まるで別方向から聞くのはなんだか少し照れくさかった。
そして。
「ォォォ俺のラミリアをぉぉぉォォーッッ!!!」
「ッ!?・・・あンの馬鹿・・・バカ・・・もう・・・」
怒りの狂闘状態となったクォルの戦闘は、まるで嵐のようだった。
彼を中心に、ゴーレムたちが次々と粉砕されていく。
しかし悲しいかな、人間の体力は無尽蔵では無い。
自覚するしないに関わらず、突如として訪れる体力切れ。
クォルが地面に膝をついた、その瞬間。
「今です!」
マーウィンの声が響き、オジュサが地面に穴をあける。
突如として足場を失い、自由落下するクォル。
穴はクォルを飲み込むと、瞬時に閉じた。
そして予め用意されていたクォルの土人形がその場に現れ、ゴーレムに打ち砕かれる。
それを確認したあと、マーウィンの分身も攻撃を受けて消失してしまったらしい。
ヒッという短い悲鳴が、マーウィンから漏れる。
直接肉体的なダメージは無いものの、知覚を共有している分身が致死級の攻撃を受けるということは、精神的に何度も死んでいるようなものだ。
この地下室に入ってから数分のうちに、マーウィンはもう三度も死を経験している。
「マーウィン、次はメリッサだ」
「・・・はいッ」
エウスの指示に従い、マーウィンは再び地上に分身を出現させた。
本当はもう、神経がすり減り、ギリギリの状態だった。
エウスはそれを分かっていたし、マーウィンも、エウスがそれを知っていると気付いている。
だが今はそれを言っていられる場面ではない。
確かに、二人の間には信頼と絆が存在していた。
「4時の方向に、十五・・・十六歩です」
クォルの回収時にも、こうして地下室を少しずつ拡張しながら、真下にまで移動してきたのだ。
今やこの地下室は、エウスの屋敷よりも広いほどに拡大されている。
「・・・ってぇ・・・ここは?」
いきなり地面が無くなって落ちたと思ったらそこは真っ暗闇で何も見えない。
クォルは何が何だか分からなかった。
しかし。
「クォルさん、大丈夫ですか?」
「その声は・・・カミューネちゃんか!?なんで・・・え?俺様・・・死んだのか!?」
「静かにしろッ」
狼狽するクォルに、紫電が声を抑えながら手短に説明をする。
「だから、さっきお前が見たラミリアは土人形なのさ」
なぜか『ラミリア』の部分をやたらと強調した口調の紫電。
苛ついているようだ。
「なんだ・・・そっか・・・良かった・・・」
ラミリアの予想では、何で俺様にだけその作戦を教えないんだとクォルが騒ぐだろうと思っていた。
それに対して、あんたが聞かずに走ってたのが悪いんでしょと叱り飛ばしてやろう、と構えていたのだ。
しかし、クォルの反応があまりにも意外で気勢を殺がれてしまった。
「この上です」
クォルの時と同じ要領でメリッサを回収する。
「は・・・はえ?・・・真っ暗こわいですぅ~~~!」
急に周囲が暗闇になってしまいパニックになるメリッサの口をエウスが押さえる。
「ん?え・・・?ここは・・・?なんだ!?」
メリッサの声で気が付いたのか、町田が目を覚ました。
目を開けたはずなのに暗闇という状況は、精神的にかなりダメージが大きいものだ。
「大丈夫よ町田くん。落ち着いて、ここは地下室なの」
ルビネルの声に落ち着きを取り戻す町田。
カウンチュドの背中から降りる。
アスミは紫電がしっかりと背負っているということを確認し、安堵した。
これで、とにかく全員が地下室に隠れることができたわけだ。
攻撃対象が消失し、ゴーレムたちは目的を見失った。
その場でボロボロと崩れ始めるゴーレムたち。
ビットはどこに居るだろうか?
土煙に紛れていたマーウィンは、攻撃を受ける前に分身を解除した。
「聞いて欲しいことがある」
漆黒の闇の中、エウスの声が響く。
静かに、だが力強い声だ。
「今のままでは、我々には万に一つも勝ち目は無いだろう」
誰一人反論も質問もしない。
この沈黙が、認識を共有している証拠となる。
「しかし、ダンが感じた『ビットの夢』とやらが、どうにも引っかかる。私の嗅覚でも感じたのだが、奴の中に『何か』が居る」
こればかりは、それを知覚した者にしか分からない世界だ。
しかしダンとエウス、この二人が言うのだから間違いは無いだろう。
ダンがビットの夢の内容について知覚を進める一方、エウスはある試みを説明し始めた。
「この地下室が、我々の生命線になるかも知れん。よく聞いてくれ」
仮に、ビットを倒せる何かの糸口が見つかった場合、しかしそれでも戦力は歴然だろう。
となればこちらはヒット&アウェイを強いられる可能性が高い。
また、負傷者が出た場合の避難所としても、この地下室を利用したい。
「つまりカミューネ、君が我々の命綱だと言うことだ」
突然に名前を呼ばれたカミューネがびくりと身体を硬直させた。
「わ、私が・・・命綱・・・?」
エウスの説明はこうだった。
カミューネの闇から闇へ瞬間移動できる能力は、身体の一部が触れてさえいれば他者と一緒に飛ぶことができる。
人員の運搬として非常に有用だ。
地上に出たあとも、ラニッツが生成する雷雲の中に飛び込めば、その内部は闇であり、この地下室へ戻ってこれるのではないか、というのだ。
「ラニッツさんの雲が光を遮断できるのであれば、可能だと思います」
「その点はお任せください」
これでずいぶん戦術の幅が広がったように思える。
例えば地上に雷雲をいくつか生成しておき、さらに地下室も複数個所に作れば、それらの中を瞬間移動しつつビットに攻撃を加えることもできそうだ。
「あまりチョロチョロ飛び回るのは、得策とは思えないけどね」
ふいに、ハサマが口を挟んだ。
「もしハサマが同じことされたら、周辺一帯、消すよ」
先ほどビットと一戦交えたハサマの言葉は重かった。
恐らくは、間違っていない。
それをするだけの能力を持つ者ならではの発想だった。
静まり返る一同。
その沈黙を破ったのはダンだった。
「・・・どういうことだ・・・これは・・・?」
どこまでも広がる緑の大地。
その草原に数人の人影が。
布製の簡素なテント。
周辺に居るのは、長い耳からして精霊と思われる。
キスビット人だろうか。
彼らは手に手に長い木の棒を持っている。
地面には、中身を空洞にくり抜かれた木製の筒が横たえられている。
その筒を、木の棒で叩くと、なんとも心地よいポクポクという音が鳴る。
筒は一本の木を加工して作られているようで、片方が太く、もう片方は細くなっている。
叩く位置によって、鳴る音が違う。
その筒状の木の前に、幾人ものキスビット人が並んだ。
そして、順番に、あるいは同時に、棒で筒を叩く。
ポクポクという音は重なり合い、旋律となる。
「これは・・・アスミと町田が聴かせてくれた・・・?」
カウンチュドが言う。
確かに、町田が作り上げたピアノで、アスミと町田が連弾で奏でたあの曲だった。
今、ダンは自分が知覚した夢を皆に見せている。
『この音を、ずっと聴いていたい』
そんな想いが感じられる。
夢とも言えないようなささやかな希望だった。
「でも、キスビットに音楽は無いんでしょう?」
ルビネルの質問は誰に投げられたものでも無かったが、確かにその通りだった。
ここに居るキスビットで生まれ育った者たちは、音楽という物を知らない。
「なんとなく、分かってきました」
「町田?」
何かに気付いたらしい町田にカウンチュドが声を掛ける。
どうやら何か思い当たることがあるらしい。
「僕の仮説ですが・・・ビットの中に居るのは、本来の土壌神なのでは?」
その昔、まだキスビットに国という概念もなく、精霊たち単一種がまばらに生息していた時代。
彼らは土壌神ビットを祀り、祈りを捧げていた。
その祈りの儀式に使われるのが、あの木の棒と筒だったのではないか。
極めて原始的ではあるが、しかしだからこそ心に訴えかけるような旋律。
そんな精霊たちの純粋な信仰心から生まれたビットはしかし、時とともに邪悪な思念を吸収するようになってしまった。
時とともに邪念の方が勝ることとなり、今のような事態を招いた。
だが、原初のビットはまだ完全に消え去ったわけでは無い。
邪神の内に確かに存在し、時を待っているのではないか。
そんな物語を、町田は話した。
「ここに着いたとき、あいつは『その音をやめろ』と言っていたよ」
ハサマが言う。
その声はダンも聞いていた。
その事実は、町田の仮説を裏付けているように思える。
エウス村長からキスビットの成り立ちについての説明を受けていた者には、町田の仮説はとても納得のいく、筋の通ったものだった。
全てのつじつまが合うような気がする。
「しかし町田、村長の話を聞いていないお前がなぜその流れを知っているんだ?」
カウンチュドの質問は当然である。
元々は純粋な神だったビットが邪神に成り果てた経緯を、エウスが皆に説明したとき、町田はアスミと共に席を外していたのだ。
「ダンさんが見せてくれた光景と、エウス村長が『ビットの中に何か居る』と言われたので、そこから仮説を立ててみましたけど、どうでしょうか?」
あまり自信の無いような町田の問い掛けに、誰もがふっと肩の力を抜いた。
呆れるほどの想像力だ。
エウスが静かに言う。
「私は、町田くんの考えが正しいと思う。となれば、可能性の鍵はピアノの演奏かもしれない。だとすると・・・」
エウスの話しを遮ったのは、大きな地震だった。
「なにぃッ!?」
「きゃあーッ!!」
地下室の天井が裂け、明かりが差し込んでくる。
揺れと地響きは収まらず、亀裂はどんどんと大きくなった。
「オジュサ!」
「はい!」
このまま地下室を維持し続ければ、天井部分が崩落して危険である。
エウスは止むを得ず、一旦地上に出る決断を下した。
地下室だった場所が徐々にせり上がり、天井部分が消え失せていく。
と、その変化が途中で止まった。
皆がオジュサを振り返る。
「は、ははは・・・参ったな・・・ゴフッ」
オジュサの胸から、黒い腕が生えている。
その後ろに、奴は居た。
精霊のような長い耳、サターニアのような角、サムサールのような黒い肌を持つ邪神、ビットが。
「に、逃げッ・・・ガハッ」
ダクタスが叫ぶ。
しかしそのダクタスの胸からも、黒い手が覗いた。
オジュサとダクタスを両腕に突き刺したまま、ビットは少し小首を傾げた。
そして乱暴な動作で二人を放り投げるように、腕を振り払った。
オジュサをカウンチュドが、ダクタスをエウスオーファンが受け止める。
即死では無いが、明らかに致命傷である。
次の瞬間、ビットの目の前に土の壁が突き出した。
オジュサの、最期の機転だった。
一瞬視界を奪われたビットだったが、まるで飴細工でも壊すようにその壁は破られる。
しかしそれだけで充分だった。
土壁を越えようと身を乗り出したビットに対して、三本の剣が三方から襲いかかる。
上段から振り降ろすカウンチュドの剣。
左側から横に薙ぐダンの剣。
右側から突き込むエコニィの剣。
その全てが、ビットの身体を捉えた。
はずだった。
しかし、三本の剣が斬り裂き、断ち、貫いたのは、ラニッツであった。
「なん・・・で・・・」
断末魔の悲鳴も無く、目を見開いたまま崩れ落ちるラニッツ。
剣士三人は動揺を隠せない。
「さがれっっっ!!!」
エウスが叫んだが、しかし遅かった。
動揺は一瞬だったが、その瞬間は生死を分けるのには充分すぎる時間だった。
ビットが腕をひと薙ぎする。
カウンチュドの胸が裂け、鮮血が吹き上がった。
遅れて、ダンの左腕が地面に落ち、エコニィの右腕が宙に舞う。
何をされたのかまるで分からない。
衝撃だけがあり、次に自らの出血を確認し、最後に激痛が襲ってくる。
「ぎゃああああああっっ!!!!」
もう、仲間を巻き込めないなどという考えは戯言となった。
ハサマは決意する。
ここでこいつを消しておかなければ、被害はこの国だけでは収まらないかもしれない。
自国への悪影響だけは何に代えても避けなければならない。
例えこの連中もろとも消し去ることになろうとも。
突風に乗って上空へ飛ぼうとしたその時だった。
ビットの背中から巨大な黒い腕が出現した。
「ッ!!」
嫌な予感が全神経を駆け廻る。
あれは、万全ではない威力だったとは言え、ゲイ・ボルグを防いだ腕だ。
風を操り、辛うじて腕との接触を避けたハサマ。
その陰から勢いよく飛び出したのはクォルだった。
ビットの背から生えた黒い腕めがけて大剣を振り下ろす。
「だめだ!触れるな!」
ハサマが珍しく大声を上げた。
どういう能力かは不明だが、とにかく危険であることは分かる。
しかし一度攻撃態勢に入った大剣が途中で止まることなど有り得ない。
次の瞬間、ハサマの予想を大きく超える事態が起こる。
ビットの黒い腕から眩い光が発生したのだ。
レーザービームのように一直線に、クォルが居た場所を貫く閃光。
それはまさしく、ハサマが放った天をも穿つ閃光の一撃だった。
「馬鹿な・・・」
地面に尻もちをついた体勢で、クォルは閃光を見上げていた。
完全にカウンター攻撃を食らったと思ったが、どうやら被弾は免れたようだった。
「おぅ、クォ。お前が死んじまったら、誰がラミリアを守るんだ?」
ゲイ・ボルグの光が収まると、そこには紫電が立っていた。
そして、ゆっくりと、崩れ落ちた。
「紫電ッ!!!」
見れば右半身が円形に失われている。
断面が真っ黒に焼け焦げている。
皮肉なことにそれが出血を防ぎ、即死を免れているようだ。
また、鬼の生命力も手伝っているのだろう。
だがそのせいで苦痛を感じる時間ができてしまったとも、言える。
「だから、ぐ・・・ゆ、油断すんな、っつったろ・・・」
クォルの手に伝わる紫電の体温。
土人形などでは無い、まぎれもなく本物の紫電だ。
「さ、最期が、お前の・・・う、腕の・・・中たぁ・・・くっくっく・・・」
紫電が微かに笑い、目を閉じた、その時。
瞬間的に眩しい光が弾け、半球状に広がっていく。
アウレイスの回復魔法だった。
光は仲間全員のみならず、ビットをも包み込んだ。
肉体的な傷はもちろん、疲労や病気、さらに精神的な焦燥や絶望などもすべて癒すことができるアウレイスの魔法。
柔らかく温かく優しい光に包まれ、見る間に傷が塞がり、肉体が再生成される。
心が満ち足り、皆が安心と幸福感を覚えた。
ただ一人を除いて。
「ぐおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!」
空気を震わせるような絶叫が響く。
悶絶しているのはビットだった。
両手で頭を抱え、苦しそうによたよたと歩き、地面に膝をつく。
「ぅぐッ・・・かはっ・・・」
突然、治癒の光が消失した。
光の中心に居たアウレイスが吐血して倒れたのである。
ビットはよろよろと立ち上がると、背中の黒い大きな手で自分を掴んだ。
ハサマのゲイ・ボルグを放ったあの手である。
すると、ビットは一瞬で消えて居なくなってしまった。
逃げた、ように見えた。
「アウレイスさん、大丈夫でしょうか・・・」
メリッサが額の冷布を替えながら心配そうに言う。
ここはエウスの屋敷の中である。
半壊とは言え、文明らしきものが何も見当たらないこの土地で、この屋敷は唯一の安息の場と言えた。
「アウリィ・・・」
ルビネルが悲痛な面持ちでアウレイスの髪を撫でる。
銀色の部分はほとんど生え際あたりしか残っておらず、あの美しかった銀髪が、いまは真っ黒く変色している。
しかも、ルビネルのような艶のある黒ではない。
まったく光を反射しない、鈍く濁った黒。
じっと見ていると魂を持って行かれそうになるような、暗闇の黒だった。
「あのとき、アウレイスの回復が無かったらと思うと、ゾッとするな・・・」
カウンチュドがビットとの交戦を思い出して身震いをした。
実際のところ、オジュサとダクタス、ラニッツ、そして紫電に関してはアウレイスの回復が無ければ命は無かったし、ダンとカウンチュド、エコニィも再起不能であった。
「悪い予感が当たってしまった・・・」
エウスは暗い声でそう呟いた。
アウレイスが新しく身につけた能力が回復魔法だと聞いたとき、エウスはとても喜んだ。
もともと引っ込み思案で奥手な性格と、身体の透明化という能力。
活用方法はいくらでもあるはずだが、彼女自身が「役に立たない能力」というレッテルを自分に貼ってしまっているフシがあった。
それに加え、不幸な事故。
身体の透明化が部分的にできなくなるという事態に、彼女の自己否定は一層強くなってしまった。
しかし、エウスはアウレイスの中に可能性のニオイを感じていた。
何か、新しい力となり得る希望の種の気配を。
それが開花したとき、回復魔法という様式で発現したその能力。
明確に「他者の役に立つ能力」だった。
これでアウレイスの心も救われる、エウスはそう思った。
しかし、この能力には致命的な欠陥があった。
他者の肉体的、精神的な不調を「自らに取り込むことで解消する」能力。
それに気付いたのは、アウレイスの黒く変色した髪のニオイを感じたときだった。
それはキスビットに蔓延している負の感情と同じニオイだった。
もしアウレイスがこの能力を使い続け、吸収できる許容量を超えてしまったら?
彼女の身に何が起こるのか見当もつかないが、悪い予感がすることは確かだ。
だから、使用を禁じた。
だが、あの状況、あのタイミングでアウレイスが能力を発動していなければ・・・。
「あの・・・少し良いですか?」
町田がエウスに話しかける。
エウスは無言のまま頷く。
「アウレイスさんの魔法は、僕の不安な気持ちを吸い取ってくれるようでした。でも、それでビットが苦しんでいたということは・・・」
実はエウスも同じことを考えていた。
ビットが、人々の負の感情を吸収して邪神になったのであれば、その力の源もまた、人々の負の感情なのだろう。
しかしアウレイスの能力はその負の感情を吸収する。
ビットにとっては力を吸われたようなものだ。
ただ、ビットが蓄えている負の感情は想像を絶する量なのだろう。
アウレイスは吸収に耐えきれず、倒れてしまったというわけだ。
「ピアノ、なんとかなりそうですよ」
屋敷の外からオジュサとラニッツが戻ってきた。
庭に置いてあったピアノも、この地に一緒に運ばれている。
ピアノという言葉に、はっと顔を上げるアスミ。
自分が気を失っている間に、色々なことが起こったらしい。
仕方ないこととは言え、足手まといになってしまったことが悔しかった。
しかし。
「アスミちゃん、僕たちにしかできないことが、あるよ」
町田は確信めいた表情でアスミに告げる。
あの曲は本来の土壌神ビットを祀るためのもの。
まだ邪神の中に純粋な神としての存在が残っているのなら、この曲が力になるのではないか。
だからこそこの曲をやめさせるために、ビットはこんなことをしたのではないか。
もしかしたら、キスビットに音楽という文化が無いのも、邪神ビットがそれを嫌ったからなのではないか。
町田の中で次々と仮説が生まれ、そのどれもが正しいように思えてならない。
「ピアノを弾くことがそうだと言うのなら、私、弾きますっ!」
アスミの瞳に力が宿る。
人は、自分のなすべきことを明確に自覚したとき、強さを得る。
問題は、この仮説が正しかった場合、必ずビットが演奏を邪魔しに来ることである。
だがビットに届かないような演奏では、奴の中に居る純神にも力を与えることはできない。
音をぶつけるようなつもりで臨まなければならないのだ。
「結局、私たちが二人の演奏を邪魔されないよう、ガードに徹するってことよね?」
ラミリアの見解は正しい。
戦闘力としては皆無であるただの一般人の二人が、ビットを倒せるかもしれない鍵を握っているのだ。
「ああッッ!!!」
ふいに、町田が大声を上げた。
そして階段を駆け上がり、エウスの部屋に向かう。
少しして、深刻な表情で降りてくる町田。
「あの石碑が砕けていました。恐らくここに運ばれた衝撃で・・・」
町田の報告を聞いたエウスは事態を理解した。
確信ではないが、それに近い考えがある。
恐らく町田の言いたい事も同じだろう。
「皆、その場で聞いてくれ」
エウスは現在の状況、そして今後の行動について話し始めた。